第二百三十九段

■ 原文

八月十五日・九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。


■ 注釈

1 婁宿
 ・古代中国の天文学で、黄道に近い二十八星座を基準に月や太陽の位置を示した。これを二十八宿と呼び、「婁宿」は、その一つ。

参照:婁宿 - Wikipedia
参照:二十八宿 - Wikipedia


■ 現代語訳

十五夜と十三夜は牡羊座が輝いている。その頃は空気が澄んでいるから月を観賞するのにもってこいだ。

第二百三十七段

■ 原文

柳筥に据うる物は、縦様・横様、物によるべきにや。「巻物などは、縦様に置きて、木の間より紙ひねりを通して、結い附く。硯も、縦様に置きたる、筆転ばず、よし」と、三条右大臣殿仰せられき。

勘解由小路の家の能書の人々は、仮にも縦様に置かるゝ事なし。必ず、横様に据ゑられ侍りき。


■ 注釈

1 柳筥(やないばこ)
 ・柳の組木細工で作った箱。二つの足を台に付け、蓋には、烏帽子、冠、お経、書物、硯、筆を載せた。三角に切った柳の木材を紐で結んで作ったのでギザギザの溝がある。

参照:http://www.kanshin.com/keyword/1112407

2 三条右大臣殿仰
 ・右大臣は内大臣の誤りで、三条実重か。太政大臣。その息子、公茂との説もある。

参照:三条実重 - Wikipedia
参照:三条公茂 - Wikipedia

3 勘解由小路の家
 ・書能家、藤原行成の家系。

参照:藤原行成 - Wikipedia


■ 現代語訳

道具箱の蓋の上に物を置く際には、縦に向けたり横に向けたり、物によってそれぞれだ。巻物は、溝に向かって縦に置き、組木の間から紐を通して結ぶ。硯も縦に置くと筆が転がらなくて良い」と三条実重が言っていた。

勘解由小路家の歴代の能書家達は、間違っても硯を縦置きにしなかった。決まって横置きにしていた。

第二百三十六段

■ 原文

丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。

御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。


■ 注釈

1 丹波に出雲
 ・現在の京都府亀岡市千歳町出雲。出雲神社がある。

参照:出雲大神宮 - Wikipedia


2 聖海上
 ・伝未詳。


■ 現代語訳

京都の亀岡にも出雲がある。出雲大社の分霊を祀った立派な神社だ。志田の某という人の領土で、秋になると、「出雲にお参り下さい。そばがきをご馳走します」と言って、聖海上人の他、大勢を連れ出して、めいめい拝み、その信仰心は相当なものだった。

神前にある魔除けの獅子と狛犬が後ろを向いて背中合わせに立っていたので、聖海上人は非常に感動した。「何と素晴らしいお姿か。この獅子の立ち方は特別です。何か深い由縁があるのでしょう」と、ボロボロ泣き出した。「皆さん、この恍惚たるお姿を見て鳥肌が立ちませんか。何も感じないのは非道いです」と言うので、一同も変だと思い、「本当に不思議な獅子狛犬だ」とか、「都に帰って土産話にしよう」などと言い出した。上人は、この獅子狛犬についてもっと詳しく知りたくなった。そこで、年配のいかにも詳しく知っていそうな神主を呼んで、「この神社の獅子の立ち方は、私などには計り知れない由縁があるとお見受けしました。是非教えて下さい」と質問した。神主は、「あの獅子狛犬ですか。近所の悪ガキが悪戯したのですよ。困ったガキどもだ」と言いながら、もとの向きに戻して去ってしまった。果たして、聖海上人の涙は蒸発したのだった。

第二百三十五段

■ 原文

主ある家には、すゞろなる人、心のまゝに入り来る事なし。主なき所には、道行人濫りに立ち入り、狐・梟やうの物も、人気に塞かれねば、所得顔に入り棲み、木霊など云ふ、けしからぬ形も現はるゝものなり。

また、鏡には、色・像なき故に、万の影来りて映る。鏡に色・像あらましかば、映らざらまし。

虚空よく物を容る。我等が心に念々のほしきまゝに来り浮ぶも、心といふもののなきにやあらん。心に主あらましかば、胸の中に、若干の事は入り来らざらまし。


■ 現代語訳

主人がある家には、他人が勝手に入って来ない。主人のない家には通りすがりの人がドカドカ押し入る。また、人の気配が無いので、狐や梟のような野生動物も我が物顔で棲み着く。「こだま」などという「もののけ」が出現するのも当然だろう。

同じく、鏡には色や形がないから、全ての物体を映像にする。もし鏡に色や形があれば、何も反射しないだろう。

大気は空っぽで、何でも吸い取る。我々の心も、幾つもの妄想が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。もしかしたら、心の中身は空っぽなのかも知れない。家に主人がいるように、心にも主人がいたら、妄想が入り込む余地もないだろう。

第二百三十四段

■ 原文

人の、物を問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのまゝに言はんはをこがましとにや、心惑はすやうに返事したる、よからぬ事なり。知りたる事も、なほさだかにと思ひてや問ふらん。また、まことに知らぬ人も、などかなからん。うらゝかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞えなまし。

人は未だ聞き及ばぬ事を、我が知りたるまゝに、「さても、その人の事のあさましさ」などばかり言ひ遣りたれば、「如何なる事のあるにか」と、押し返し問ひに遣るこそ、心づきなけれ。世に古りぬる事をも、おのづから聞き洩すあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げ遣りたらん、悪しかるべきことかは。

かやうの事は、物馴れぬ人のある事なり。


■ 現代語訳

何かを尋ねる人に、「まさか知らないわけがない、真に受けて本当のことを言うのも馬鹿馬鹿しい」と思うからだろうか、相手を惑わす答え方をするのは悪いことだ。相手は、知っていることでも、もっと知りたいと思って尋ねているのかも知れない。また、本当に知らない人がいないとは断言できない。だから、屁理屈をこねずに正確に答えれば、信頼を得られるであろう。

まだ誰も知らない事件を自分だけ聞きつけて、「あの人は、あきれた人だ」などと省略して言うのも良くない。相手は何の事だかさっぱり分からないから、「何の事ですか?」と、聞き返す羽目になる。有名な話だとしても、偶然に聞き漏らすこともあるのだから、正確に物事を伝えて何が悪いのか。

このような言葉足らずは、頭も足りない人がすることだ。

第二百三十三段

■ 原文

万の咎あらじと思はば、何事にもまことありて、人を分かず、うやうやしく、言葉少からんには如かじ。男女・老少、皆、さる人こそよけれども、殊に、若く、かたちよき人の、言うるはしきは、忘れ難く、思ひつかるゝものなり。

万の咎は、馴れたるさまに上手めき、所得たる気色して、人をないがしろにするにあり。


■ 現代語訳

何事でも失敗を避けるためには、いつでも誠実の二文字を忘れずに、人を差別せず、礼儀正しく、口数は控え目でいるに超したことはない。男でも女でも、老人でも青二才でも同じ事である。ことさら美男子で言葉遣いが綺麗なら、忘れがたい魅力になろう。

様々な過失は、熟練した気で得意になったり、出世した気で調子に乗って人をおちょくるから犯すのだ。

第二百三十二段

■ 原文

すべて、人は、無智・無能なるべきものなり。或人の子の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言ふとて、史書の文を引きたりし、賢しくは聞えしかども、尊者の前にてはさらずともと覚えしなり。また、或人の許にて、琵琶法師の物語を聞かんとて琵琶を召し寄せたるに、柱の一つ落ちたりしかば、「作りて附けよ」と言ふに、ある男の中に、悪しからずと見ゆるが、「古き柄杓の柄ありや」など言ふを見れば、爪を生ふしたり。琵琶など弾くにこそ。盲法師の琵琶、その沙汰にも及ばぬことなり。道に心得たる由にやと、かたはらいたかりき。「柄杓の柄は、檜物木とかやいひて、よからぬ物に」とぞ或人仰せられし。

若き人は、少しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。


■ 注釈

1 琵琶法師
 ・『平家物語』を琵琶の伴奏で聞かせる盲目の僧侶。

参照:琵琶法師 - Wikipedia


■ 現代語訳

人間は何事も知らず、出来ず、馬鹿のふりをしたほうが良い。ある賢そうな子供がいた。父親がいる前で人と話すので中国の史書から話題を引いていた。利口には見えたが、目上の人の前だといっても、そこまで背伸びすることもなかろうと思われた。また、ある人の家で琵琶法師の物語を聞こうと琵琶を取り寄せたら柱が一つ取れていた。「柱を作って付けなさい」と言うと、会場にいた人格者にも見えなくはない男が、「使わない柄杓の柄はないか」と立ち上がった。爪を伸ばしているから、この男も琵琶を弾くのだろう。だが、盲目の法師が弾く琵琶に、そこまで気を遣うこともない。琵琶を心得たつもりでいるのだろうと思えば、片腹痛くなった。「柄杓の柄は、わっぱ細工だから琵琶の柱になどにできる物ではない」という説もある。

若者は、わずかなことで、よく見え、悪くも見える。