つれづれ草 下

第二百四十三段

■ 原文八つになりし年、父に問ひて云はく、「仏は如何なるものにか候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひけ…

第二百四十二段

■ 原文とこしなへに違順に使はるゝ事は、ひとへに苦楽のためなり。楽と言ふは、好み愛する事なり。これを求むること、止む時なし。楽欲する所、一つには名なり。名に二種あり。行跡と才芸との誉なり。二つには色欲、三つには味ひなり。万の願ひ、この三つに…

第二百四十一段

■ 原文望月の円かなる事は、暫くも住せず、やがて欠けぬ。心止めぬ人は、一夜の中にさまで変る様の見えぬにやあらん。病の重るも、住する隙なくして、死期既に近し。されども、未だ病急ならず、死に赴かざる程は、常住平生の念に習ひて、生の中に多くの事を…

第二百四十段

■ 原文しのぶの浦の蜑の見る目も所せく、くらぶの山も守る人繁からんに、わりなく通はん心の色こそ、浅からず、あはれと思ふ、節々の忘れ難き事も多からめ、親・はらから許して、ひたふるに迎へ据ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。世にありわぶる女の、似げ…

第二百三十九段

■ 原文八月十五日・九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。 ■ 注釈1 婁宿 ・古代中国の天文学で、黄道に近い二十八星座を基準に月や太陽の位置を示した。これを二十八宿と呼び、「婁宿」は、その一つ。参照:婁宿 - Wikipedia…

第二百三十七段

■ 原文柳筥に据うる物は、縦様・横様、物によるべきにや。「巻物などは、縦様に置きて、木の間より紙ひねりを通して、結い附く。硯も、縦様に置きたる、筆転ばず、よし」と、三条右大臣殿仰せられき。 勘解由小路の家の能書の人々は、仮にも縦様に置かるゝ事…

第二百三十六段

■ 原文丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。御前なる獅…

第二百三十五段

■ 原文主ある家には、すゞろなる人、心のまゝに入り来る事なし。主なき所には、道行人濫りに立ち入り、狐・梟やうの物も、人気に塞かれねば、所得顔に入り棲み、木霊など云ふ、けしからぬ形も現はるゝものなり。また、鏡には、色・像なき故に、万の影来りて…

第二百三十四段

■ 原文人の、物を問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのまゝに言はんはをこがましとにや、心惑はすやうに返事したる、よからぬ事なり。知りたる事も、なほさだかにと思ひてや問ふらん。また、まことに知らぬ人も、などかなからん。うらゝかに言ひ聞かせたら…

第二百三十三段

■ 原文万の咎あらじと思はば、何事にもまことありて、人を分かず、うやうやしく、言葉少からんには如かじ。男女・老少、皆、さる人こそよけれども、殊に、若く、かたちよき人の、言うるはしきは、忘れ難く、思ひつかるゝものなり。万の咎は、馴れたるさまに…

第二百三十二段

■ 原文すべて、人は、無智・無能なるべきものなり。或人の子の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言ふとて、史書の文を引きたりし、賢しくは聞えしかども、尊者の前にてはさらずともと覚えしなり。また、或人の許にて、琵琶法師の物語を聞かんと…

第二百三十一段

■ 原文園の別当入道は、さうなき庖丁者なり。或人の許にて、いみじき鯉を出だしたりければ、皆人、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかゞとためらひけるを、別当入道、さる人にて、「この程、百日の鯉を切り侍るを、今日欠き侍るべ…

第二百三十段

■ 原文五条内裏には、妖物ありけり。藤大納言殿語られ侍りしは、殿上人ども、黒戸にて碁を打ちけるに、御簾を掲げて見るものあり。「誰そ」と見向きたれば、狐、人のやうについゐて、さし覗きたるを、「あれ狐よ」とどよまれて、惑ひ逃げにけり。未練の狐、…

第二百二十九段

■ 原文よき細工は、少し鈍き刀を使ふと言ふ。妙観が刀はいたく立たず。 ■ 注釈1 妙観(めうくわん) ・大阪府箕面市にある勝尾寺の観音像と四天王像を彫刻した僧。参照:勝尾寺 - Wikipedia ■ 現代語訳名匠は少々切れ味の悪い小刀を使うという。妙観が観音…

第二百二十八段

■ 原文千本の釈迦念仏は、文永の比、如輪上人、これを始められけり。 ■ 注釈1 千本 ・京都市上京区千本にある瑞応山大報恩寺。通称千本釈迦堂。参照:大報恩寺 - Wikipedia2 釈迦念仏 ・「南無釈迦牟尼仏」と、釈尊の名号を唱えて菩提を祈願する念仏。二月…

第二百二十七段

■ 原文六時礼讃は、法然上人の弟子、安楽といひける僧、経文を集めて作りて、勤めにしけり。その後、太秦善観房といふ僧、節博士を定めて、声明になせり。一念の念仏の最初なり。後嵯峨院の御代より始まれり。法事讃も、同じく、善観房始めたるなり。 ■ 注釈…

第二百二十六段

■ 原文後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉ありけるが、楽府の御論議の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、五徳の冠者と異名を附きにけるを、心憂き事にして、学問を捨てて遁世したりけるを、慈鎮和尚、一芸ある者をば、下部までも召し置きて…

第二百二十五段

■ 原文多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に興ある事どもを選びて、磯の禅師といひける女に教へて舞はせけり。白き水干に、鞘巻を差させ、烏帽子を引き入れたりければ、男舞とぞ言ひける。禅師が娘、静と言ひける、この芸を継げり。これ、白拍子の根…

第二百二十四段

■ 原文陰陽師有宗入道、鎌倉より上りて、尋ねまうで来りしが、先づさし入りて、「この庭のいたすらに広きこと、あさましく、あるべからぬ事なり。道を知る者は、植うる事を努む。細道一つ残して、皆、畠に作り給へ」と諌め侍りき。まことに、少しの地をもい…

第二百三十八段

■ 原文御随身近友が自讃とて、七箇条書き止めたる事あり。皆、馬芸、させることなき事どもなり。その例を思ひて、自賛の事七つあり。 一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の辺にて、男の、馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒…

第二百二十三段

■ 原文鶴の大臣殿は、童名、たづ君なり。鶴を飼ひ給ひける故にと申すは、僻事なり。 ■ 注釈1 鶴の大臣殿 ・九条基家。内大臣。鶴殿(たずどの)と号した。歌人で『続古今集』の選者。参照:九条基家 - Wikipedia ■ 現代語訳九条基家が、鶴の大臣と呼ばれる…

第二百二十二段

■ 原文竹谷乗願房、東二乗院へ参られたりけるに、「亡者の追善には、何事か勝利多き」と尋ねさせ給ひければ、「光明真言・宝篋印陀羅尼」と申されたりけるを、弟子ども、「いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏に勝る事候ふまじとは、など申し給はぬぞ」と申し…

第二百二十一段

■ 原文「建治・弘安の比は、祭の日の放免の附物に、異様なる紺の布四五反にて馬を作りて、尾・髪には燈心をして、蜘蛛の網書きたる水干に附けて、歌の心など言ひて渡りし事、常に見及び侍りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍りしか」と、老いたる道志…

第二百二十段

■ 原文「何事も、辺土は賤しく、かたくななれども、天王寺の舞楽のみ都に恥ぢず」と云ふ。天王寺の伶人の申し侍りしは、「当寺の楽は、よく図を調べ合はせて、ものの音のめでたく調り侍る事、外よりもすぐれたり。故は、太子の御時の図、今に侍るを博士とす…

第二百十九段

■ 原文四条黄門命ぜられて云はく、「竜秋は、道にとりては、やんごとなき者なり。先日来りて云はく、『短慮の至り、極めて荒涼の事なれども、横笛の五の穴は、聊かいぶかしき所の侍るかと、ひそかにこれを存ず。その故は、干の穴は平調、五の穴は下無調なり…

第二百十八段

■ 原文狐は人に食ひつくものなり。堀川殿にて、舎人が寝たる足を狐に食はる。仁和寺にて、夜、本寺の前を通る下法師に、狐三つ飛びかゝりて食ひつきければ、刀を抜きてこれを防ぐ間、狐二疋を突く。一つは突き殺しぬ。二つは逃げぬ。法師は、数多所食はれな…

第二百十七段

■ 原文或大福長者の云はく、「人は、万をさしおきて、ひたふるに徳をつくべきなり。貧しくては、生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかんと思はば、すべからく、先づ、その心遣ひを修行すべし。その心と云ふは、他の事にあらず。人間常住の思ひに住…

第百二十六段

■ 原文最明寺入道、鶴岡の社参の次に、足利左馬入道の許へ、先づ使を遣して、立ち入られたりけるに、あるじまうけられたりける様、一献に打ち鮑、二献に海老、三献にかいもちひにて止みぬ。その座には、亭主夫婦、隆辨僧正、主方の人にて座せられけり。さて…

第二百十五段

■ 原文平宣時朝臣、老の後、昔語に、「最明寺入道、或宵の間に呼ばるゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂のなくてとかくせしほどに、また、使来りて、『直垂などの候はぬにや。夜なれば、異様なりとも、疾く』とありしかば、萎えたる直垂、うちうち…

第二百十四段

■ 原文想夫恋といふ楽は、女、男を恋ふる故の名にはあらず、本は相府蓮、文字の通へるなり。晋の王倹、大臣として、家に蓮を植ゑて愛せし時の楽なり。これより、大臣を蓮府といふ。廻忽も廻鶻なり。廻鶻国とて、夷のこはき国あり。その夷、漢に伏して後に、…