跋文

■ 原文

底本 跋文

這両帖、吉田兼好法師、燕居之日、徒然向暮、染筆写情者也。頃、泉南亡羊処士、箕踞洛之草廬、而談李老之虚無、説荘生之自然。且、以晦日、対二三子、戯講焉。加之、後将書以命於工、鏤於梓、而付夫二三子矣。越、句読・清濁以下、俾予糾之。予、坐好其志、忘其醜、卒加校訂而己。復、恐有其遺逸也。

慶長癸丑仲秋日黄門

光広

上、訳文

這ノ両帖ハ、吉田ノ兼好法師、燕居ノ日、徒然トシテ暮ニ向ヒ、筆ヲ染メテ情ヲ写スモノナリ。頃、泉南ノ亡羊処士、洛ノ草廬ニ箕踞シテ、李老ノ虚無ヲ談ジ、荘生ノ自然ヲ説キ、且ツ、暇日ナルヲ以テ、二三子ニ対シ、戯レニ焉ヲ講ズ。加之、後ニ、将ニ、書シテ以テ工ニ命ジ、梓ニ鏤ミテ、夫ノ二三子ニ付セントス。越ニ、句読・清濁以下、予ヲシテ之ヲ糾サシム。予、坐ニ、其ノ志ヲ好シ、其ノ醜ヲ忘レ、卒ニ校訂ヲ加フルノミ。復、其ノ遺逸アランコトヲ恐ルヽナリ。

慶長癸丑ノ仲秋ノ日黄門

光広


■ 現代語訳

この徒然草上・下二巻は吉田先生が、暇な毎日に、だらだらしながら人生の黄昏に向かって、心に浮かんだ妄想を書き写したものである。最近、堺市儒学者・三宅寄斎がこたつで脚を伸ばしながら、老子の虚しさを話し、荘子の自然を説明し、暇な日には、二、三人の弟子に対して、徒然草の講義を行った。それでは飽きたらず、後に、徒然草を書き写して、印刷屋に注文し版下を作り、その二、三人の弟子にくれてやった。その際に句読点や清音、濁音、その他の校正を行った。私はなんとなく、その経緯を気に入って、自分が未熟なことを忘れて、すぐに校訂を入れただけだ。また、この底本にやり残しがないことには恐れを感じるばかりである。

一六十三年 八月十五日 中納言

烏丸光広