桐壺の帖 五、帰ってきた命婦の報告。

 後宮に戻るとミカドは未だ眠れずにいる。それを見た命婦は可哀想に思う。屋敷の前にある鉢植えが生々しく咲き乱れ満開なのを見つめ、気を許した四五人の女を侍らせて、しんみりと物語などしている。この頃では宇多天皇が書いた長恨歌の絵に伊勢物語だとか紀貫之の短歌が書いてあるものや漢詩など、しみったれた結末の物語ばかり選ぶ。そして命婦に気がつくと御息所の実家の様子を詳しく尋ねた。命婦は「あまりにも惨めで同情しました」と辛そうに話すのだった。ミカドが母君からの返事を読むと、

 「畏れ多いお言葉で、穴があったら入りたい気分です。ミカドからこのようなお願いをされましても悶絶するしか術を知りません。
 枯れたのは荒れ風凌ぐ母でした小さな萩が飛ばされそうで」

返歌も失礼で、ずいぶん取り乱しているようだ。それでもミカドは「気が動転しているのだろう」と許してやる気になるのであった。自分も同じ気持ちで、人に悟られないように辛抱しているのだが、もう我慢の限界なのである。出会った頃のことをいろいろと思い出し「あの頃は少しの間でも離れていられなかったのに、よくも今日まで生きてこれた」と、我ながら意外に思う。

 「亡き大納言の遺言に背かず、宮仕えに尽くしてくれた礼に相応の報いをしたかったのだが、今となってはどうにもできない」

とミカドは不憫でならない。

 「それでも息子が大人になれば、いずれ宮中に上がる機会も巡ってくるだろう。それまでお婆様も長生きすることだ」

とも言うのだ。命婦が貰った贈り物を見ると「長恨歌にあるように、魔法使いが亡き姫の所へ訪ねた証拠のかんざしならば救われるものを」と嘆くのも仕方ない。

 どんなに手練れの画家でも筆に限界があるように、絵に描かれた楊貴妃も本人と比べれば精彩を欠くだろう。皇城の池に浮かぶハスやビョウヤナギによく似ていたという楊貴妃だが、外国の衣装をまとった姿は言葉では言い尽くせないはずだ。亡き人を、花の色や鳥のさえずりに喩えることなどできようか。朝晩の約束に「翼を並べる鳥のように、重なり合う枝のように二人で生きていこう」と誓ったことも叶わぬ夢だった。やはり運命は残酷だ。

 風の音、虫の声が悲しい季節だが、弘徽殿の婦人は長らくミカドの部屋を訪ねていない。気持ちよさそうに浮かんでいる月を眺めては、夜更けまで音楽を楽しんでいるようだ。ミカドは、その浮かれた音色を聞いて「人の気も知れずに」と不機嫌になる。最近のミカドの様子を知っているお偉方や女官たちは、弘徽殿の婦人の無神経さに気が気でない。この婦人は我が儘で、トゲのある女なのだ。ミカドの気持ちなど考えず、勝手気ままに振る舞っているのだろう。そうして、月は沈む。

 これほどに涙で曇る秋月夜 荒れた家にも浮かぶものだか

ミカドは母君に返歌を詠み、灯りの芯が無くなっても目覚めている。交互に行われる宿直は、今日は右近衛府のようだ。声が聞こえてくるから午前二時頃なのであろう。ミカドは目立たぬよう寝室に入るのだが、モヤモヤとして寝付けない。朝に目覚めても「夜が明けたのもわからない」などとうわごとを言い、朝廷の勤めも留守がちになっている。

 食事にしても少しだけ箸をつけ、メインディッシュにはまるで手をつけないので、配膳係が腫れ物に触るように扱っている。側近は皆、男でも女でも「面倒なことになった」とため息をつく。「やはりこういう結末になりましたか。人々の非難も顧みず、女に溺れた行く末に、朝廷の仕事まで捨てるようでは、もうおしまいだ」と、外国の皇帝の話を引き合いにして、コソコソと嘆きあう。

 月日が流れ、若君が宮中にやってきた。成長するにつれて、ますます人間離れした美貌を振りまいているので、かえって薄気味悪くさえある。ミカドは、来年の春の皇太子の内定に第一王子を越えて抜擢したいと思ったが、後押しする親戚もおらず、まして世間が承知しないので「もう面倒なことは、もうこりごりだ」と、そんなそぶりも見せないでいた。世間は「あんなに可愛がっていたのに、無理なものは無理なのでしょう」と噂し、弘徽殿の婦人も油断していた。

 

(原文)
 命婦は、まだ大殿篭らせたまはざりけると、あはれに見たてまつる。御前の壼前栽の、いとおもしろき盛りなるを、御覧ずるやうにて、忍びやかに、心にくきかぎりの女房四五人さぶらはせたまひて、御物語せさせたまふなりけり。このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院の描かせたまひて、伊勢貫之に詠ませたまへる、大和言の葉をも、唐土の詩をも、ただその筋をぞ、枕言にせさせたまふ。いとこまやかにありさま問はせたまふ。あはれなりつること、忍びやかに奏す。御返り御覧ずれば、

 「いともかしこきは、置き所もはべらず。かかる仰せ言につけても、かきくらす乱り心地になん。
 あらき風ふせぎしかげの枯れしより小萩がうへぞしづごころなき」

などやうに乱りがはしきを、心をさめざりけるほどと、御覧じゆるすべし。いとかうしも見えじと、思ししづむれど、さらにえ忍びあへさせたまはず。御覧じはじめし年月のことさへ、かき集めよろづに思しつづけられて、時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日は経にけりと、あさましう思しめさる。

 「故大納言の遺言あやまたず、宮仕の本意深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ、言ふかひなしや」

とうちのたまはせて、いとあはれに思しやる。

 「かくても、おのづから、若宮など生ひ出でたまはば、さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ」

などのたまはす。かの贈物御覧ぜさす。亡き人の住み処尋ね出でたりけん、しるしの釵ならましかば、と思ほすも、いとかひなし。

 たづねゆくまぽろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく

絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければ、いとにほひすくなし。太液の芙蓉、未央の柳も、げに、かよひたりし容貌を、唐めいたるよそひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥の色にも音にも、よそふべき方ぞなき。朝夕の言ぐさに、翼をならべ、枝をかはさむと契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせずうらめしき。

 風の音、虫の音につけて、もののみ悲しう思さるるに、弘徽殿には、久しく上の御局にも参う上りたまはず、月のおもしろきに、夜更くるまで遊びをぞしたまふなる。いとすさまじう、ものしと聞こしめす。このごろの御気色を見たてまつる上人女房などは、かたはらいたしと聞きけり。いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、ことにもあらず思し消ちて、もてなしたまふなるべし。月も入りぬ。

 雲のうへもなみだにくるる秋の月いかですむらん浅茅生のやど

思しやりつつ、燈火を挑げ尽くして、起きおはします。右近の司の宿直奏の声聞こゆるは、丑になりぬるなるべし。人目を思して、夜の殿に入らせたまひても、まどろませたまふことかたし。朝に起きさせたまふとても、明くるも知らで、と思し出づるにも、なほ朝政は怠らせたまひぬべかめり。ものなどもきこしめさず。朝餉の気色ばかりふれさせたまひて、大床子の御膳などは、いとはるかに思しめしたれば、陪膳にさぶらふかぎりは、心苦しき御気色を見たてまつり嘆く。すべて、近うさぶらふかぎりは、男女、いとわりなきわざかな、と言ひあはせつつ嘆く。さるべき契りこそはおはしましけめ、そこらの人のそしり、恨みをも憚らせたまはず、この御ことにふれたることをば、道理をも失はせたまひ、今はた、かく世の中の事をも思ほし棄てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなりと、他の朝廷の例まで引き出で、ささめき嘆きけり。

 月日経て、若宮参りたまひぬ。いとど、この世のものならず、きよらにおよすけたまへれば、いとゆゆしう思したり。明くる年の春、坊定まりたまふにも、いとひき越さまほしう思せど、御後見すべき人もなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなかあやふく思しはばかりて、色にも出ださせたまはずなりぬるを、さばかり思したれど、限りこそありけれ、と世人も聞こえ、女御も御心落ちゐたまひぬ。


(注釈)
1 前栽
 ・庭園や植え込みのこと。

2 長恨歌
 ・唐の白楽天が記したオデュッセイア。楊家の娘が玄宗皇帝の寵愛を受けて后となり栄華を極めるが、戦乱で殺され悲しんだ玄宗がその魂を探し求めるというストーリー。

3 亭子院
 ・宇多天皇文人を集めて多くの宴を開催したことでも知られている。

4 伊勢貫之
 ・『伊勢物語』と紀貫之が詠んだ和歌。

5 釵
 ・【かむざし】楊貴妃の死語、幻術士が玄宗の命令で持ち帰った金釵の由来による。

6 楊貴妃
 ・中国唐代の皇妃。(一・7)

7 太液の芙蓉・未央の柳
 ・【たいえきちのはちす】太液芙蓉未央柳。芙蓉如面柳如眉。『長恨歌

8 夜の殿
 ・【よるのおとど】清涼殿にあるミカドの御寝所。

9 朝餉
 ・【あさがれひ】ミカドが朝餉で取る日常的な食事。朝食とは限らない。

10 大床子
 ・昼の御座【ひるのおまし】の公式の御膳。大床子という机を二つ立てて据える。

11 陪膳
 ・ミカドや公家の食事の配膳をすること。