帚木の帖 六 左馬のカミの体験談 (嫉妬深く指を噛む女編)

(現代語訳)
 「もう昔のことだ。僕がまだ下っ端だった頃、恋人がいてね。言ったみたく見た目なんて気にしてなくて、若気の至りだったんだ。運命の人だとは思っていなかったけど妻のつもりで通っていた。満たされなくて浮気ばかりしていたから、彼女が嫉妬しやがるんだ。頭にきて、ツベコベ言わずに大目に見ろよって思ってた。あんまりしつこく追及してくるから面倒でね。どうして僕みたいな女たらしを見捨てないで好きなのか不思議だったよ。そう考えると不憫だから、少しは女たらしも控え目にしていたつもりなんだ。彼女は好きな男のために出来ないことでも無茶するたちで、安っぽい女だと思われたくない一心で苦手なことからも逃げたりしなかった。世話好きの姉御肌なんだけど、夫のヘソを曲げないように気を遣うような女だったな。出しゃばったところもあったけど、だんだん言うことも聞くようになって、丸くなったんだ。美人じゃないから夫に嫌われないように、せっせと化粧してさ、知らない人に顔を見られたら夫の恥だと思ったのか、いつも縮まって隠れてた。一緒に暮らしたんだけど、いじらしい性格は嫌いじゃなかった。でも、彼女の嫉妬心の強さには我慢ならなかったな。

 当時は『この女は俺に捨てられるのが怖くてビクビクなんだ。一度お灸を据えてたら、大人しくなって嫉妬もしなくなるだろう。もう面倒だからお前と別れてやるってきつく言えば、本当は一緒にいたいんだから懲りるだろう』って自惚れていた。わざと冷たく扱ってね、彼女がいつもの嫉妬心を剥き出しにしたときに、

 『お前の嫉妬にはうんざりだ。俺達が運命の赤い糸で結ばれていたとしても、これ以上は無理。サヨナラするから、いくらでも好きに疑えよ。それが嫌だったら我慢して少しぐらい大目に見ろ。嫉妬さえしなければ、お前は可愛い女なのに。俺だって人並みに出世して、それなりの男になるだろうから、その時は、お前だって誰にも負けないような妻になっているんだぞ』

口が自動的に開くから調子に乗ってしゃべっていると、彼女が馬鹿にしたように笑って、

 『あんたは何をやっても駄目じゃないの。いつまで経ってもウダツが上がらないでしょうね。出世が遅れるのは最初からわかりきってるから待つのも苦じゃないわ。苦しいのは、あんたの浮気なの。あんたが改心する日を夢見て何年も辛抱しろっていうの? もう潮時ね』

と意地悪な反撃をしてくる。腹が立ったね。言い返したら、彼女も意地っ張りなので、僕の指を一本つかんで思い切り噛みつくんだ。痛くて大声で怒鳴った。

 『こんな傷まで付けられたら、もう人前には出られん。どうせ俺は下っ端役人だ。お先真っ暗だから世を捨ててやる』

って、捨て台詞を吐いて、

 『今日でサヨナラだ』

と痛む指を折り曲げて、押さえながら逃げた。

 この恋を指折り数えてみたけれど 焼き餅だけが悪いんじゃない

『俺を恨むのは筋違いだ』って一首詠んだら彼女は泣き出した。それでも、

 指を折り浮気を数えて耐えるのも今日でおしまい あなたと手を切る

 などと抜かしやがる。だけど別れ話は冗談だったんだ。何日も放っておいて手紙も出さなかった。相変わらず、女の元から別の女の元へと浮かれ歩く毎日だよ。賀茂の臨時祭のリハーサルがあった夜、みぞれが降り出して、みんな帰ったんだ。どう考えても僕の帰る家は、あの女の家しか思い当たらない。後宮に戻って独り寝も間抜けだし、盛りのついた犬みたいな女房なんてゾッとするだろ。彼女は今頃どうしてるかなって様子を見に行く気になったんだ。みぞれが雪になり、雪を払っていると、バツが悪くて恥ずかしいんだよね。でも、あの夜なら許て貰えそうな気がした。彼女の部屋に入ると間接照明が壁に当たっている。ふわりと綿が入った部屋着が大きな篭に掛けてあって香に焚かれているんだ。寝室のカーテンが少し開いていて、僕を待ち構えているようなんだよね。思った通りだって得意になっていると本人がいない。家政婦が何人か留守番をしていて『今夜は実家に帰っています』なんて言うんだ。気の利いた歌一つ詠まず、それっぽい手紙も置いていない。黙って消えちゃったので拍子抜けしたよ。あんなにブツブツ文句を垂れていたのも、僕に捨てられるように仕組んだんじゃないかって、変に勘ぐってムシャクシャもした。でも用意してくれた着物が、いつもより上等に染めてあって仕立ても悪くないんだ。別れた男でも、こうやって心配してくれている。別れたと言っても、すぐに元通りになるって甘くみていたんだけどね。たくさん手紙を書いて説得したよ。それでも、彼女は、別れようともせず、姿を消すこともなかった。適当にあしらうんだ。

 『今までみたく浮気ばかりなら我慢できない。女たらしをやめて良い子になったら会ってあげる』

って言う。どうせ向こうも口だけだと思って少し懲らしめてやるつもりだった。『お前しかいない』なんて言えるわけないじゃん。拗ねたまま話を長引かせていたら、彼女が悲しみに暮れて死んだんだ。僕はとんでもないことをしてしまった。あの女が運命の人だったのかもしれないって、いつも思い出すんだ。つまらないことから真剣なことまで心を割って話したし、布を染めさせれば秋を染める龍田姫のようだった、裁縫の腕前は織り姫にも負けなかったよ」

 と、左馬のカミは涙ぐんで想い出に浸る。中将は、

 「機織りでなく、七夕姫のように永遠の愛を誓えたら良かったね。君の龍田姫が染めた反物には誰も敵わないだろうな。枯れ落ちる、花や紅葉だって季節がうまく染め抜かないとマダラになるから人目も知らずに消えちまう。運命の人を決めるのは至難の業だね」

と指を噛む女に心を奪われている。


(原文)
 「はやう、まだいと下臈にはべりし時、あはれと思ふ人はべりき。聞こえさせつるやうに容貌などいとまほにもはべらざりしかば、若きほどのすき心には、この人をとまりにとも思ひとどめはべらず、よるべとは思ひながら、さうざうしくて、とかく紛れはべりしを、もの怨じをいたくしはべりしかば、心づきなく、いとかからで、おいらかならましかばと思ひつつ、あまりいとゆるしなく疑ひはべりしもうるさくて、かく数ならぬ身を見もはなたで、などかくしも思ふらむと、心苦しきをりをりもはべりて、自然に心をさめらるるやうになんはべりし。この女のあるやう、もとより思ひいたらざりけることにも、いかでこの人のためにはと、なき手を出だし、後れたる筋の心をも、なほ口惜しくは見えじと思ひ励みつつ、とにかくにつけて、ものまめやかに後見、つゆにても心に違ふことはなくもがなと思へりしほどに、すすめる方と思ひしかど、とかくになびきてなよびゆき、醜き容貌をも、この人に見や疎まれんと、わりなく思ひつくろひ、疎き人に見えば面伏せにや思はんと、憚り恥ぢて、みさをにもてつけて、見馴るるままに、心もけしうはあらずはべりしかど、ただこの憎き方ひとつなん心をさめずはべりし。

 そのかみ思ひはべりしやう、かうあながちに従ひ怖ぢたる人なめり。いかで、懲るばかりのわざして、おどして、この方もすこしよろしくもなり、さがなさもやめむ、と思ひて、まことにうしなども思ひて絶えぬべき気色ならば、かばかり我に従ふ心ならば、思ひ懲りなむと思ひたまへえて、ことさらに情なくつれなきさまを見せて、例の、腹立ち怨ずるに、

 『かくおぞましくは、いみじき契り深くとも、絶えてまた見じ。限りと思はば、かくわりなきもの疑ひはせよ。行く先長く見えむと思はば、つらきことありとも念じて、なのめに思ひなりて、かかる心だに失せなば、いとあはれとなん思ふべき。人なみなみにもなり、すこし大人びんに添へても、また並ぶ人なくあるべき』

やうなど、かしこく教へたつるかなと思ひたまへて、われたけく言ひそしはべるに、すこしうち笑ひて、

 『よろづに見だてなく、ものげなきほどを見過ぐして、人数なる世もやと待つ方は、いとのどかに思ひなされて、心やましくもあらず。つらき心を忍びて、思ひ直らんをりを見つけんと、年月を重ねんあいな頼みは、いと苦しくなんあるべければ、かたみに背きぬべききざみになむある』

と、ねたげに言ふに、腹立たしくなりて、憎げなることどもを言ひ励ましはべるに、女もえをさめぬ筋にて、指ひとつを引き寄せて、食ひてはべりしを、おどろおどろしくかこちて、

 『かかる傷さへつきぬれば、いよいよ交らひをずべきにもあらず。辱しめたまふめる官位、いとどしく何につけてかは人めかん。世を背きぬべき身なめり』

など、言ひおどして、

 『さらば今日こそは限りなめれ』

と、この指をかがめてまかでぬ。

 『手を折りてあひみしことを数ふればこれひとつやは君がうきふし え恨みじ』

など言ひはべれば、さすがにうち泣きて、

 うきふしを心ひとつに数へきてこや君が手を別るべきをり

 など言ひしろひはべりしかど、まことには変るべきこととも思ひたまへずながら、日ごろ経るまで消息も遣はさず、あくがれまかり歩くに、臨時の祭の調楽に夜更けて、いみじう霙降る夜、これかれまかりあかるる所にて、思ひめぐらせば、なほ家路と思はむ方はまたなかりけり。内裏わたりの旅寝すさまじかるべく、気色ばめるあたりはそぞろ寒くやと思うたまへられしかば、いかが思へると気色も見がてら、雪をうち払ひつつ、なま人わるく爪食はるれど、さりとも今宵日ごろの恨みは解けなむと思ひたまへしに、灯ほのかに壁に背け、萎えたる衣どもの厚肥えたる、大いなる寵にうちかけて、引きあぐべきものの帷子などうちあげて、今宵ばかりやと待ちけるさまなり。さればよと心おごりするに、正身はなし。さるべき女房どもばかりとまりて、『親の家にこの夜さりなん渡りぬる』と答へはべり。艶なる歌も詠まず、気色ばめる消息もせで、いとひたや寵りに情なかりしかば、あへなき心地して、さがなくゆるしなかりしも我を疎みねと思ふ方の心やありけむと、さしも見たまへざりしことなれど、心やましきままに思ひはべりしに、着るべき物、常よりも心とどめたる色あひしざまいとあらまほしくて、さすがにわが見棄ててん後をさへなん、思ひやり後見たりし。さりとも絶えて思ひ放つやうはあらじと思うたまへて、とかく言ひはべりしを、背きもせず、尋ねまどはさむとも隠れ忍びず、かかやかしからず答へつつ、ただ、

 『ありしながらはえなん見過ぐすまじき。あらためてのどかに思ひならばなんあひ見るべき』

など言ひしを、さりともえ思ひ離れじと思ひたまへしかば、しばし懲らさむの心にて、『しかあらためむ』とも言はず、いたくつなびきて見せしあひだに、いといたく思ひ嘆きてはかなくなりはべりにしかば、戯れにくくなむおほえはべりし。

 ひとへにうち頼みたらむ方は、さばかりにてありぬべくなん思ひたまへ出でらるる。はかなきあだ事をもまことの大事をも、言ひあはせたるにかひなからず、龍田姫と言はむにもつきなからず、織女の手にも劣るまじく、その方も具して、うるさくなんはべりし」

とて、いとあはれと思ひ出でたり。中将、

 「その織女の裁ち縫ふ方をのどめて、長き契りにぞあえまし。げにその龍田姫の錦にはまたしくものあらじ。はかなき花紅葉といふも、をりふしの色あひつきなくはかばかしからぬは、露のはえなく消えぬるわざなり。さあるによりかたき世とは定めかねたるぞや」

と、言ひはやしたまふ。


(注釈)
1 下臈(げらふ)
 ・少ししか修行を積んでいない僧。転じて身分の低い者。身分の卑しい者。

2 臨時の祭の調楽
 ・賀茂臨時祭で、十一月の下の酉の日に行われる。その奏楽のリハーサルが調楽。

3 龍田姫
 ・龍田比古龍比売神社の祭神、龍田姫は秋の女神とされる。その龍田姫が紅葉を染める。

4 織女
 ・牽牛星の妻、織女星

5 長き契りに
 ・牽牛と織女の永遠の契りにあやかって。