帚木の帖 八 頭中将の体験談 (内気な女、夕顔編)

(現代語訳)
 中将が「私も馬鹿な男の話をしよう」と口を開く。

 「人知れず愛していた女がいたんだ。可愛らしい人で、きっと長続きはしないと思ってたんだけど、知れば知るほど惹かれるようになった。途切れ途切れにしか逢わなかったけど、女も私を信頼してくれたんだ。信頼していれば私を恨むこともあるだろうと私も反省していたんだけど、女は平静を装っている。なかなか逢わなくても『たまにしか来ない人ね』なんて怒らないで、いつも我慢しているんだ。あまりに可哀想なので、私も『一生面倒をみてやる』なんて思ってもないことを口にしたよ。彼女には親がなくて、儚く私に身を預けるから、胸がキュンとしたね。こんな優しくおっとりとした人だから、長いこと逢わなくても平気だったんだ。そんな頃に、後から聞いたんだけど、どうしてそうなったのか、妻の家が伝令を遣って、彼女に意地悪をしたらしい。そうとは知らずに私の方は、忘れたわけじゃないけど、彼女を放っておいて手紙も出さなかった。彼女は絶望して心配になったんだろうね。私との子供もいたから追い詰められたのかもしれない。彼女の遣いが手折った撫子の花を届けてきた」

と嗚咽しはじめた。「その便りには何て?」とゲンジの君が聞く。

 「どうっていうこともないんだ。

 この家の垣根が荒れてしまっても 娘のナデシコ 見捨てないでね

って詠んであった。行かなくちゃって訪ねたら、何事もなかったふりをするのだけど、ボサボサに荒れた庭を、思い詰めたように見つめて、虫の鳴き声にまみれて泣いているみたいなんだ。私は、神話の世界に紛れ込んだようで……。

 咲く花は百花繚乱あるけれど夕顔一輪ありありと咲く

娘のことは後回しにして、古今集にあった『塵ひとつ付けたくない』という歌みたく母親をなだめたんだ。

 塵を拭く袖も涙のトコナツに嵐も吹いて秋が来ました

彼女は小さな声で歌を詠んで、私に『飽きがきた』と思っている。でも、本気で怒っているようにも見えないんだよ。思わず涙を浮かべても、恥ずかしそうで、美意識に反するのか隠してしまうんだ。私が辛い目に遭わせるのを恨んでいると思われるのが、とても嫌だったんだろうね。それを良いことに、またご無沙汰してしまった。そのうち、女は姿を消して行方不明さ。まだ生きていれば、相当に落ちぶれていると思うよ。あの時、彼女がうるさいほど私を繋ぎ止めていてくれたなら、あんなに放ったらかしにしなかったのに。大切に愛して、いつまでも一緒にいられたのに。ナデシコと呼んだ娘も可愛かったから、どんな手段を使っても捜し出そうと思っているんだけど、未だ消息がわからない。左馬のカミが言った、儚い女っていうのは、こういう人だろう。彼女が私の薄情に苦しんでいたのも知らず、気持ちだけで愛していたんだから、馬鹿だよな。これも片思いの一種だよね。時間が彼女を忘れさせてくれそうだけど、彼女は私のことを忘れられずに切ない夜を泣いているかもしれない。男に過度の期待をしないで、ふわふわとしている女だった。きっと運命の人じゃなかったんだ。指を噛んだ左馬のカミの彼女だって、想い出だから美しいんだよ。現実はうるさいだけで、最悪は離婚かもしれないぞ。琴のうまい優等生だって浮気の罪は重いね。私の彼女も何を考えているかわからないのが問題だ。運命の女なんて決められないんじゃないかな。こうやって想い出話をしても、誰が一番かわからないんだから。こんな女たちの良いところだけ組み合わせて、欠点がひとつも無い人というのは、どこにもいないさ。天空界の女神に恋するようなもんだ。現実離れしていて虚しいし、何より線香くさいよ」

と中将が言うから、一同が笑う。


(原文)
 中将、「なにがしは、しれ者の物語をせむ」とて、

 「いと忍びて見そめたりし人の、さても見つべかりしけはひなりしかば、ながらふべきものとしも思うたまへざりしかど、馴れゆくままに、あはれとおぼえしかば、絶え絶え、忘れぬものに思ひたまへしを、さばかりになれば、うち頼める気色も見えき。頼むにつけては、うらめしと思ふこともあらむと、心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを、見知らぬやうにて、久しきとだえをもかうたまさかなる人とも思ひたらず、ただ朝夕にもてつけたらむありさまに見えて、心苦しかりしかば、頼めわたることなどもありきかし。親もなく、いと心細げにて、さらばこの人こそはと、事にふれて思へるさまも、らうたげなりき。かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、この見たまふるわたりより、情なくうたてあることをなん、さる便りありて、かすめ言はせたりける、後にこそ聞きはべりしか。さるうき事やあらむとも知らず、心に忘れずながら、消息などもせで久しくはべりしに、むげに思ひしをれて、心細かりければ、幼き者などもありしに、思ひわづらひて撫子の花を折りておこせたりし」

とて、涙ぐみたり。「さて、その文の言葉は」と、問ひたまへば、

 「いさや、ことなることもなかりきや、

 山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよ撫子の露

思ひ出でしままにまかりたりしかば、例の、うらもなきものから、いともの思ひ顔にて、荒れたる家の露しげきをながめて、虫の音に競へる気色、昔物語めきておぼえはべりし。

 咲きまじる色はいづれと分かねどもなほとこなつにしくものぞなき

大和撫子をばさしおきて、まづ塵をだになど、親の心をとる。

 うち払ふ袖も露けきとこなつに嵐吹きそふ秋も来にけり

と、はかなげに言ひなして、まめまめしく恨みたるさまも見えず、涙を漏らし落しても、いと恥づかしくつつましげに紛らはし隠して、つらきをも思ひ知りけりと見えむはわりなく苦しきものと思ひたりしかば、心やすくて、またとだえおきはべりしほどに、跡もなくこそかき消ちて失せにしか。まだ世にあらば、はかなき世にぞさすらふらん。あはれと思ひしほどに、わづらはしげに思ひまつはす気色見えましかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとだえおかず、さるものにしなして、長く見るやうもはべりなまし。かの撫子のらうたくはべりしかば、いかで尋ねむと思ひたまふるを、今もえこそ聞きつけはべらね。これこそのたまへるはかなき例なめれ。つれなくて、つらしと思ひけるも知らで、あはれ絶えざりしも、益なき片思ひなりけり。今やうやう忘れゆく際に、かれはた、えしも思ひ離れず、をりをり人やりならぬ胸こがるる夕もあらむと、おぼえはべり。これなん、えたもつまじく頼もしげなき方なりける。されば、かのさがな者も、思ひ出である方に忘れがたけれど、さしあたりて見んにはわづらはしく、よくせずはあきたきこともありなんや。琴の音すすめけんかどかどしさも、すきたる罪重かるべし。このこころもとなきも、疑ひ添ふべければ、いづれとつひに思ひ定めずなりぬるこそ。世の中や、ただかくこそとりどりに、比べ苦しかるべき。このさまざまのよきかぎりをとり具し、難ずべきくさはひまぜぬ人は、いづこにかはあらむ。吉祥天女を思ひかけむとすれば、法気づき、霊しからむこそ、またわびしかりぬべけれ」

とて、みな笑ひぬ。


(注釈)
1 とこなつ
 ・「常夏」は、妻や愛人の意味。前の歌で女が子供を「撫子」と言うのに対し、撫子の別名である「常夏」と言い、母である夕顔を指している。

2 塵をだに
 ・(古今集、夏 凡河内躬恒) 塵をだにすゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花」

3 吉祥天女
 ・毘沙門天の妹で、美貌の天女。吉祥天を本尊として福徳を祈願する。