帚木の帖 九 藤シキブ丞の体験談 (ニンニクを食べる賢い女編)

(現代語訳)
 「シキブにも面白い体験があるだろ? 少し話してみろよ」

と中将がせっついた。

 「僕は下級階級の下ですよ。君たちを喜ばせる話なんてあるわけないです」

とシキブは辞退するのだが、中将は許さない。「早くしろよ」とせかすので、何を話そうか考えている。

 「学生時代のことです。頭がよい女の見本とつきあっていました。左馬のカミが言ったように、仕事の相談ができて、処世術の心得も深く、中途半端な博士などは敵わないぐらいの学識があって、僕なんかでは口出しもできない人でした。それはある博士の家へ学問のために通っていた頃の話です。先生に娘が大勢いると聞いたので、誘惑に負けて言い寄ってしまったのです。先生にばれると、盃を持ち出して「私が二つ話をするのでよく聞きなさい。金持ちの娘は嫁ぎやすくて早く嫁に行くが、夫を馬鹿にする。貧乏人の娘は婚期を逃して嫁ぐのが遅いが、姑に優しい」などと、白楽天の婚礼の詩を歌い出したんです。僕は遊びのつもりだったのですが、先生の親心を考えると断り切れず、うだうだとしていました。相手は親切に世話をしてくれましたよ。寝物語にも役に立つ勉強や、社会人としての心得などを色々と教えてくれました。手紙も立派に漢字で書いて、仮名を一切使いません。しっかりとした文章を書くので、ずるずるべったりになってしまい、ついにその女に弟子入りすることになりました。上手ではありませんが漢詩も、その女から習ったので、今でも恩を忘れられません。でも、自然な夫婦として一緒にいると、頭の悪い僕が馬鹿のように見えるから格好悪かったんです。雲の上にいるゲンジの君や中将には、こんなエリート女史は必要ないですね。頭が悪くてがっかりする女だと思っても、なぜか気になって運命の人になるという話だってあるんだから、男は単純なんでしょう」

とシキブが言った。中将は話を続けさせようと、

 「面白そうな女だな」

とヨイショする。シキブもそのつもりなので、ピクピク鼻を動かして続ける。

 「そしてです。長いこと逢わないでいたんです。何かのついでに立ち寄ったんですが、いつものように心を許して部屋に入れてくれません。非道いことにバリケードを立てて僕と話すんです。怒っているのかと思うと馬鹿馬鹿しくて、これを機会に別れちゃおうと思っていました。しかし、この女は曲者で、先走って怒ったりしません。かなりの手練れで恨んだりもしません。ただ、キンキン声で言うんです。

 『この頃、風邪が悪化して苦しくて、総合感冒の薬草を服用しました。とても臭いので面会謝絶です。ご用は物影から聞きますわ』

すまし声なので、僕は閉口しました。ただ『わかりました』と言って帰ろうとしたら、女は寂しかったのか、

 『このニオイがなくなった頃にまた来てね』

と金切り声で叫びます。無視するのも可哀想だし、躊躇している場合でもないんです。ニンニクのニオイが強烈で泣きそうになりました。逃げ道を探しながら、

 『訪問を虫が知らせた夕暮れに「ひる」を消してとあなたは避ける

蒜【ヒル】のニオイが消えるまでって、いったい何の言い訳ですか』

と言い終わる間もなく逃げ出しました。後から遣いが追いかけてきて、

 「毎晩をともに重ねる夫婦なら昼でも蒜でもよくってよ」

などと当意即妙に返歌する女なんです」

シキブが事も無げに言うので、ゲンジの君も中将もあきれて「うそばっかり」と笑う。「そんな女がいるもんか。そんなのと一緒にいるんだったら鬼と一緒にいた方がまだマシだね。気味が悪い」と、シキブを爪弾きにする。「もっとまともな話をしろよ」と責めるのだが、シキブは「これ以上、珍しい話は無いですよ」などと、とぼけている。


(原文)
 「式部がところにぞ、気色あることはあらむ。すこしづつ語り申せ」

と、責めらる。

 「下が下の中には、なでふことか聞こしめしどころはべらむ」

と言へど、頭の君、まめやかに、「おそし」と責めたまへば、何ごとをとり申さんと、思ひめぐらすに。

 「まだ文章生にはべりし時、かしこき女の例をなん見たまへし。かの馬頭の申したまへるやうに、おほやけごとをも言ひあはせ、わたくしざまの世に住まふべき心おきてを思ひめぐらさむかたもいたり深く、才の際、なまなまの博士恥づかしく、すべて口あかすべくなんはべらざりし。それは、ある博士のもとに、学問などしはべるとて、まかり通ひしほどに、あるじのむすめども多かりと聞きたまへて、はかなきついでに言ひよりてはべりしを、親聞きつけて、盃もて出でて、「わが両つの途歌ふを聴け」となん、聞こえごちはべりしかど、をさをさうちとけてもまからず、かの親の心を憚りて、さすがにかかづらひはべりしほどに、いとあはれに思ひ後見、寝覚めの語らひにも、身の才つき、おほやけに仕うまつるべき道々しきことを教へて、いときよげに、消息文にも仮名といふもの書きまぜず、むべむべしく言ひまはしはべるに、おのづからえまかり絶えで、その者を師としてなん、わづかなる腰折文作ることなど習ひはべりしかば、今にその恩は忘れはべらねど、なつかしき妻子とうち頼まむには、無才の人、なまわろならむふるまひなど見えむに、恥づかしくなん見えはべりし。まいて、君達の御ため、はかばかしくしたたかなる御後見は、何にかせさせたまはん。はかなし、口惜しと、かつ見つつも、ただわが心につき、宿世の引く方はべるめれば、男しもなん、仔細なきものははべるめる」

と、申せば、「残りを言はせむ」とて、

 「さてさて、をかしかりける女かな」

と、すかいたまふを、心は得ながら、鼻のわたりをこつきて、語りなす。

 「さて、いと久しくまからざりしに、ものの便りに立ち寄りてはべれば、常のうちとけゐたる方にははべらで、心やましき物越しにてなん会ひてはべる。ふすぶるにやと、をこがましくも、またよきふしなりとも思ひたまふるに、このさかし人、はた、かるがるしきもの怨じすべきにもあらず、世の道理を思ひ取りて、恨みざりけり。声もはやりかにて言ふやう、

 『月ごろ風病重きにたへかねて、極熱の草薬を服して、いと臭きによりなん、え対面賜はらぬ。目のあたりならずとも、さるべからん雑事等はうけたまはらむ』

と、いとあはれに、むべむべしく言ひはべり。答へに何とかは。ただ、『うけたまはりぬ』とて、立ち出ではべるに、さうざうしくやおぼえけん、

 『この香失せなん時に立ち寄りたまへ』

と、高やかに言ふを、聞きすぐさむもいとほし、しばし休らふべきにはたはべらねば、げにそのにほひさへはなやかに立ち添へるも、すべなくて、逃げ目を使ひて、

 『ささがにのふるまひしるき夕暮にひるますぐせと言ふがあやなさ

いかなることつけぞや』

 と、言ひもはてず、走り出ではべりぬるに、追ひて、

 あふことの夜をし隔てぬ仲ならばひるまも何かまばゆからまし

さすがに口疾くなどははべりき」

と、しづしづと申せば、君達、あさましと思ひて、「そらごと」とて、笑ひたまふ。「いづこのさる女かあるべき。おいらかに鬼とこそ向ひゐたらめ。むくつけきこと」と、つまはじきをして、言はむ方なしと、式部をあはめ憎みて、「すこしよろしからむことを申せ」と、責めたまへど、「これよりめづらしき事はさぶらひなんや」とて、をり。


(注釈)

1 わが両つの途歌ふを聴け
 ・白氏文集(巻二、秦中吟十首)より。「我ガ両途ヲ歌フヲ聴ケ、富家ノ女ハ嫁シ易ク、嫁スルコト早ケレドモ其ノ夫ヲ軽ンズ、貧家ノ女ハ嫁シ難ク、嫁スルコト晩クシテ姑ニ孝ナリ」とある。

2 腰折文
 ・駄文のこと。短歌の上の句と下の句の接続が悪いものを「腰折」と言う。「この体―ていーはやすきやうにて、きはめて難し。一文字も違ひなばあやしの腰折れになりぬべし。いかにも境にいたらずして詠み出でがたきさまなり」と『無名抄』にある。

3 草薬
 ・この薬草はニンニクで、解熱剤として使われた。