帚木の帖 十五 ゲンジ、また中川へ空蝉に逢いに行く

(現代語訳)
 ゲンジの君は、いつものように後宮に引きこもっていたが、ちょうどよい方位除けの日を待って、急に思い出したような素振りで、中川の家へ立ち寄った。紀伊のカミは驚いて「庭の水の手柄ですね」などと神妙な顔をして喜んでいる。弟には事前に昼間から「今日は姉さんに逢いに行く」と打ち合わせてあるのだ。一日中そばに連れている弟なので、今夜もすぐに呼び寄せる。空蝉にも手紙を渡してあった。空蝉は、こうまでして訪ねてくるゲンジの君の気持ちを、女心に嬉しく思ったが「だからといって簡単に心を許してしまえば、醜態をさらすだけ」と頑なだ。あの悪夢のような過ちを再び繰り返してはならないと悩んだ。「こういう風にゲンジの君を迎える運命の女ではない」と心に決めて、弟がいなくなった隙に、

 「ゲンジの君の近くにいるのは申し訳ないわ。体調も良くないみたいだから、そっとマッサージをして欲しいの。どこか遠くの部屋へ連れて行って」

と言って廊下の奥に、あの中将の女官の部屋があるので逃げた。その気になっているゲンジの君は、家来をさっさと寝かしつけてスタンバイしているのだけど、弟は空蝉を見つけることができない。あちこちを探し回り、廊下をすり抜け、やっとのことで捜し出した。「非道いよ、あんまりだよ」と思い、

 「僕が使えない子供だと思われるよ」

と泣きべそをかいている。姉は、

 「何て悪い子なの。子供がこんなお使いをするのは、いけないことなのよ」

と叱りつけ、

 「気分が悪いから、女官たちのそばにいて介抱してもらっていると言いなさい。周りの人に怪しまれるでしょ」

と追い返す。本当は「まだ結婚していない頃、お父さんも生きていたあのお屋敷へ、思いがけなくゲンジの君が訪ねてくるのを待っていられたとしたら、きっと幸せだったのに。意地を張って知らんぷりしているのだから、身の程知らずの馬鹿な女だと思われているでしょうね」と胸が締め付けられる思いなのだった。それでも「人妻の私は、どう転んでもゲンジの君とは結ばれない」と諦めて「嫌な女で押し通そう」と覚悟を決めた。ゲンジの君は、どんな段取りになっているのかと、頼みの弟がまだ子供なので心配だ。寝っ転がりながら待っていると、弟が「失敗しました」と伝えに来た。

 「意地悪な女だな。開いた口が塞がらないよ。私も恥ずかしくなってきた」

と嘆くゲンジの君に、哀愁が漂う。しばしの沈黙の後、ため息ひとつ。切なくてたまらないようだ。

 「近づけば消えてしまう箒木のあなたと知らず彷徨うばかり
もう何も言わないよ」

と一首詠んで贈った。空蝉も眠れないで悶えていた。

 つまらない荒れ屋に生きる私です あなたの前から消える箒木

と返歌する。弟はゲンジの君が不憫でしかたなく、一睡もせずに行ったり来たりしている。空蝉は、

 「みんなが怪しむ」

と気が気でない。例のごとく家来たちは泥酔して深い夢の中だ。ただ一人、ゲンジの君だけは悔しくて目をギラギラさせている。珍しいほど気の強い女で憎たらしいのだけど、恋しくて、近づくと見えなくなってしまうという箒木のように、都合良くは消えてはくれない。悔しいのだけど「こんな女だから惹かれてしまうのかも知れない」と思う。あまりの仕打ちが気に食わず、どうでも良くなってくるが、やっぱり、どうでも良くないのだ。

 「やむを得ん。隠れているところに連れて行ってくれ」

と言うと、弟が、

 「無理です。戸締まりが厳重で、見張りの女官がたくさんいます。そんなところへは連れて行けません」

と答えた。弟は、ゲンジの君が気の毒で仕方ない。

 「わかったよ。だったら、お前だけはそばにいてくれ」

とゲンジの君は、弟を隣に引き寄せる。目の前で、その若くて美しい美貌にドキドキしている弟を「冷酷な空蝉より、この子の方がよっぽど可愛い」と思うのだった。


(原文)
 例の、内裏に日数経たまふころ、さるべき方の忌待ち出でたまふ。にはかにまかでたまふまねして、道の程よりおはしましたり。紀伊守驚きて、遣り水の面目と、かしこまり喜ぶ。小君には、昼より、「かくなん思ひよれる」とのたまひ契れり。明け暮れまつはし馴らはしたまひければ、今宵もまづ召し出でたり。女も、さる御消息ありけるに、思したばかりつらむほどは浅くしも思ひなされねど、さりとて、うちとけ、人げなきありさまを見えたてまつりても、あぢきなく、夢のやうにて過ぎにし嘆きをまたや加へんと、思ひ乱れて、なほさて待ちつけきこえさせんことのまばゆければ、小君が出でて去ぬるほどに、

 「いとけ近ければかたはらいたし。なやましければ、忍びてうち叩かせなどせむに、ほど離れてを」

とて、渡殿に、中将といひしが局したる隠れに移ろひぬ。さる心して、人とく静めて御消息あれど、小君は尋ねあはず。よろづの所求め歩きて、渡殿に分け入りて、からうじて辿り来たり。いとあさましくつらしと思ひて、

 「いかにかひなしと思さむ」

と、泣きぬばかり言ヘば、

 「かくけしからぬ心ばヘはつかふものか。幼き人のかかること言ひ伝ふるは、いみじく忌むなるものを」

と言ひおどして、

「『心地なやましければ、人々退けず押ヘさせてなむ』と、聞こえさせよ。あやしと誰も誰も見るらむ」

と言ひ放ちて、心の中には、いとかく品定まりぬる身のおぼえならで、過ぎにし親の御けはひとまれる古里ながら、たまさかにも待ちつけたてまつらば、をかしうもやあらまし。しひて思ひ知らぬ顔に見消つも、いかにほど知らぬやうに思すらむと、心ながらも胸いたく、さすがに思ひ乱る。とてもかくても、今は言ふかひなき宿世なりければ、無心に心づきなくてやみなむと、思ひはてたり。君は、いかにたばかりなさむと、まだ幼きをうしろめたく待ち臥したまヘるに、不用なるよしを聞こゆれば、

 「あさましくめづらかなりける心のほどを、身もいと恥づかしくこそなりぬれ」

と、いといとほしき御気色なり。とばかりものものたまはず、いたくうめきて、うしと思したり。

 「帚木の心をしらでその原の道にあやなくまどひぬるかな
聞こえん方こそなけれ」

とのたまヘり。女も、さすがにまどろまざりければ、

 数ならぬ伏屋に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木と

聞こえたり。小君、いといとほしさに、眠たくもあらでまどひ歩くを、

 「人あやしと見るらん」

とわびたまふ。例の、人々はいぎたなきに、一所、すずろにすさまじく思しつづけらるれど、人に似ぬ心ざまの、なほ消えず立ちのぼれりけると、ねたく、かかるにつけてこそ心もとまれと、かつは思しながら、めざましくつらければ、さばれと思せども、さも思しはつまじく、

 「隠れたらむ所になほ率ていけ」

とのたまヘど、

 「いとむつかしげにさし篭められて、人あまたはべるめれば、かしこげに」

と聞こゆ。いとほしと思ヘり。

 「よし、あこだにな棄てそ」

と、のたまひて、御かたはらに臥せたまヘり。若くなつかしき御ありさまを、うれしくめでたしと思ひたれば、つれなき人よりは、なかなかあはれに思さるとぞ。


(注釈)
1 箒木
 ・信濃の園原にあったという、遠くから見るて、近くで見るとなくなってしまうと言う伝説の木。