夕顔の帖 十一 夕顔の正体

(現代語訳)
 九月の二十日を過ぎると、ゲンジの君の病は完治した。すっかりやつれてしまったのだが、それがずいぶんとセクシーなのである。空気ばかり見つめながら、声を出して泣き出すので、その姿を見た女官などは、「化け物に取り憑かれたのかも知れない」と心配するのだった。

 気持ちの良い夕暮に、ゲンジの君は右近を呼び、とりとめもなく話す。

 「なぜあの人は自分の正体を隠していたのか理解に苦しむよ。たとえ漁師の子だとしても、私の燃える心に気付かないふりでで牽制したのだから、寂しいんだ」

などと言うので、右近は、

 「そこまでかたくなに隠す理由なんてないですわ。知られてもどうにもならない名前だから、お伝えするタイミングがなかったのです。虹をつかむような出会いに、現実世界のことに思えないと言っていました。あなたも名前を隠すほどの身分の人でしょうと言って……。遊びなのでしょうと落ち込んでいたのです」

と答えるのだった。

 「お互いにやせ我慢だったね。私だって隠すつもりは無かったんだ。でもね、こんな火遊びのような恋は初めてだったから。ミカドから叱られるだけじゃなくて、用心しなくちゃいけないことが多い境遇なんだ。ちょっとした火遊びでも、大火事みたく騒がれて、非難の的になってしまう。それでも、白い花を見た夕暮から恋が始まったんだ。あの人が心にちらついて、無茶をしてでも会いに行ったのに、こんな仕打ちに合うとは。懐かしく、そして切ない。こんなに儚い恋なのに、どうしてあんなに悲しく可愛い人だったんだろう。もっとあの人のこと話して欲しい。今夜は何も隠さず教えてくれ。仏画を描いて供養しても、誰のことを心に思っていいのかわからないんだ」

とゲンジの君が言うのだった。

 「隠し事なんて思ってもいません。本人が隠し通していたことを無くなった後に話すのも口が軽いと思っております。あの方の両親は早くに他界しました。三位中将といった方です。姫様をずいぶんと可愛がっていましたが、ご自身の出世がままならないことを悩んでいるうちに、命さえままならなくなってしまったのです。そんなことがあった後、偶然にも、まだ少将だった頭中将様がご執心になって、三年間は熱心に通われたのです。それでも、去年の秋に、頭中将様の奥方の実家から、とても非道いことを言ってきましたので、何でも怖がる姫様は、怖くて仕方なく、都の西に乳母が住んでおりましたので、逃げて隠れていたのです。そこも息苦しい場所で、住み続けるのが限界でしたので、山奥に籠もろうかと思っていた矢先に、今年から不吉な方角になってしまって、方位除けへと、場末へ潜伏していたら、あなたに見つかってしまったと途方に暮れていました。普通の人とは違って、気が弱い物だから、恋をしても人に知られるのが恥ずかしかったのでしょうか、努めて平静を装っていました」

と右近が話すので、ゲンジの君は「やっぱり」と思い、ますます可哀想に思った。

 「子供が行方不明だと中将が嘆いていたが、それは本当か?」

と右近に問うと、

 「はい。一昨年の春に生まれました。あどけない女の子でして」

と答えた。ゲンジの君は、

 「どこにいるのか? 誰にも黙って私に預けるようにして欲しい。儚く死んだ人の形見だと思えば、これほど嬉しいことはない」

などと言うのだった。挙げ句の果てには、

 「本当は中将にも教えてあげたいが、細かいことで恨まれるかも知れない。どちらにしても、育てて悪いって言うことはないのだから、その子の乳母も適当に誤魔化して、ここに連れてきてくれ」

と言い出す始末だ。

 「それは嬉しいお申し出です。あの都の西で大人になるのは不憫ですから。私たちではろくな教育ができいので、あんな所に預けてあるのです」

と右近も満更ではない。

 静かな夕暮れで、空は透き通っている。庭の植え込みは枯れ枯れで、虫の声も虫の息だ。染まりゆく紅葉は絵のように広がっている。見渡す右近は、まさかの展開に、あの夕顔が咲く家を思い出すと恥ずかしくなるのだった。竹藪の中では家鳩という鳥が不機嫌に鳴いている。それを聞くゲンジの君は、あの隠れ家で、この鳥の鳴き声を、とても怖がる夕顔の姿が、なんとも可愛かったのを思い出し、

 「あの人は何歳だったの。普通とは違って、華奢には見えたのだから、やっぱり長生きができなかったんだ」

と言った。右近が、

 「十九歳になったのでしょう。私は亡くなった姫様の乳母の子でございます。捨てられたように先立たれた私を、三位中将の君が可愛がってくれまして、姫様の側を離れず育ててくれましたのに。ご恩を思えば、私など生きていることも憚られます。どうしてこんなに馴れてしまったのかと悔しくも思います。か弱い姫様だけを頼りにして、ずっと生きて来たのです」

と答える。ゲンジの君が、

 「儚く見える女はいとおしいのだ。頭が良くて我が儘な女なんて、とても好きになれない。私は鈍くさくて頼りない男だからね。女は無邪気で、もしかしたら男に騙されそうな感じなのだが、やっぱり臆病で、恋人だけを信じているというような人が可愛いんだ。そんな人を、私の思いどおりに教育していけたら、きっと素敵だろう」

などというので、右近も、

 「姫様だったら、そんなお好みにぴったりの人だと思うのです。思い出すだけでもつらくて」

と泣き出した。空が曇りだし、風が冷たくなった。ゲンジの君は静かに景色を見つめ、

 亡骸の煙を雲と眺めれば夕日の空に溶ける想い出

と口ずさむ。右近は返歌できない。ただ、夕顔が生きていればと思い胸が潰れるだけだった。ゲンジの君はうるさいと思った五条の衣を打つ棍棒の音さえ恋しく思い、「八月、九月、まさに長き夜、千声、万声止むときなし」と歌って眠った。


(原文)
 九月二十日のほどにぞおこたりはてたまひて、いといたく面痩せたまヘれど、なかなかいみじくなまめかしくて、ながめがちに音をのみ泣きたまふ。見たてまつり咎むる人もありて、御物の怪なめりなどいふもあり。

 右近を召し出でて、のどやかなる夕暮に物語などしたまひて、

 「なほいとなむあやしき。などてその人と知られじとは隠いたまヘりしぞ。まことに海人の子なりとも、さばかりに思ふを知らで隔てたまひしかばなむつらかりし」

とのたまへば、

 「などてか深く隠しきこえたまふことははべらん。いつのほどにてかは、何ならぬ御名のりを聞こえたまはん。はじめよりあやしうおぼえぬさまなりし御事なれば、『現ともおぼえずなんある』とのたまひて、御名隠しもさばかりにこそはと、聞こえたまひながら、なほざりにこそ紛らはしたまふらめとなん、うきことに思したりし」

と聞こゆれば、

 「あいなかりける心くらべどもかな、我はしか隔つる心もなかりき。ただかやうに人にゆるされぬふるまひをなん、まだならはぬことなる。内裏に諌めのたまはするをはじめ、つつむこと多かる身にて、はかなく人に戯れ言を言ふもところせう、とりなしうるさき身のありさまになんあるを、はかなかりし夕より、あやしう心にかかりて、あながちに見たてまつりしも、かかるべき契りこそはものしたまひけめと、思ふもあはれになむ。またうち返しつらうおぼゆる。かう長かるまじきにては、などさしも心にしみてあはれとおぼえたまひけん。なほくはしく語れ。今は何ごとを隠すべきぞ。七日七日に仏かかせても、誰がためとか心の中にも思はん」

とのたまへば、

 「何か隔てきこえさせはべらん。みづから忍び過ぐしたまひしことを、亡き御後に口さがなくやはと、思うたまふるばかりになん。親たちははや亡せたまひにき。三位中将となん聞こえし。いとらうたきものに思ひきこえたまへりしかど、わが身のほどの心もとなさを思すめりしに、命さヘたヘたまはずなりにし後、はかなきもののたよりにて、頭中将なんまだ少将にものしたまひし時、見そめたてまつらせたまひて、三年ばかりは心ざしあるさまに通ひたまひしを、去年の秋ごろ、かの右の大殿よりいと恐ろしきことの聞こえ参で来しに、もの怖ぢをわりなくしたまひし御心に、せん方なく思し怖ぢて、西の京に御乳母の住みはべる所になむ、這ひ隠れたまへりし。それもいと見苦しきに住みわびたまひて、山里に移ろひなんと思したりしを、今年よりは塞がりける方にはべりければ、違ふとて、あやしき所にものしたまひしを見あらはされたてまつりぬることと、思し嘆くめりし。世の人に似ずものづつみをしたまひて、人にもの思ふ気色を見えんを恥づかしきものにしたまひて、つれなくのみもてなして御覧ぜられたてまつりたまふめりしか」

と語り出づるに、さればよと思しあはせて、いよいよあはれまさりぬ。

 「幼き人まどはしたりと中将の愁へしは、さる人や」

と問ひたまふ。

 「しか。一昨年の春ぞものしたまへりし。女にていとらうたげになん」

と聞こゆ。

 「さていづこにぞ。人にさとは知らせで、我に得させよ。あとはかなくいみじと思ふ御形見に、いと嬉しかるべくなん」

とのたまふ。

 「かの中将にも伝ふべけれど、言ふかひなきかごと負ひなん。とざまかうざまにつけて、育まむに咎あるまじきを、そのあらん乳母などにも異ざまに言ひなしてものせよかし」

など語らひたまふ。

 「さらばいと嬉しくなんはべるべき。かの西の京にて生ひ出でたまはんは心苦しくなん。はかばかしく扱ふ人なしとて、かしこになむ」

と聞こゆ。

 タ暮の静かなるに、空の気色いとあはれに、御前の前栽枯れ枯れに、虫の音も鳴きかれて、紅葉のやうやう色づくほど、絵に描きたるやうにおもしろきを見わたして、心より外にをかしき交らひかなと、かの夕顔の宿を思ひ出づるも恥づかし。竹の中に家鳩といふ鳥のふつつかに鳴くを聞きたまひて、かのありし院にこの鳥の鳴きしをいと恐ろしと思ひたりしさまの面影にらうたく思し出でらるれば、

 「年齢は幾つにかものしたまひし。あやしく世の人に似ず、あえかに見えたまひしも、かく長かるまじくてなりけり」

とのたまふ。

 「十九にやなりたまひけん。右近は、亡くなりにける御乳母の捨ておきてはべりければ、三位の君のらうたがりたまひて、かの御あたり去らず生ほし立てたまひしを、思ひたまヘ出づれば、いかでか世にはべらんとすらん。いとしも人にと、くやしくなん。ものはかなげにものしたまひし人の御心を頼もしき人にて、年ごろならひはべりけること」

と聞こゆ。

 「はかなびたるこそはらうたけれ。かしこく人になびかぬ、いと心づきなきわざなり。みづからはかばかしくすくよかならぬ心ならひに、女はただやはらかに、とりはづして人に欺かれぬべきが、さすがにものづつみし、見ん人の心には従はんなむあはれにて、わが心のままにとり直して見んに、なつかしくおぼゆべき」

などのたまヘば、

 「この方の御好みにはもて離れたまはざりけりと思ひたまふるにも、口惜しくはべるわざかな」

とて泣く。空のうち曇りて、風冷やかなるに、いといたくながめたまひて、

 見し人の煙を雲とながむれば夕の空もむつましきかな

と、独りごちたまヘど、えさし答ヘも聞こえず。かやうにておはせましかばと思ふにも、胸ふたがりておぼゆ。耳かしがましかりし砧の音を思し出づるさへ恋しくて、「正に長き夜」と、うち誦じて臥したまヘり。


(註釈)
1 海人の子
 ・新古今、雑下、詠み人知らず「白波の寄する渚に世を尽くす海人の子なれば宿も定めず」

2 七日七日
 ・十三の仏陀と菩薩(不動明王・釈迦如来文殊菩薩普賢菩薩地蔵菩薩弥勒菩薩薬師如来観音菩薩勢至菩薩阿弥陀如来・阿しゅく如来大日如来虚空蔵菩薩)のうち、七つの名を、七日七日に書いて供養した。

3 いとしも人に
 ・拾遺集、恋四、詠み人知らず「思ふとていとこそ人に馴れざらめしかならひてぞ見ねば恋しき」

4 正に長き夜
 ・『白氏文集』「八月九月正長夜、千声万声無了時」