夕顔の帖 十三 夕顔の四十九日

(現代語訳)
 夕顔の四十九日の法要は人目を憚って、比叡山の法華堂で行われた。簡単な式ではなく、死装束からはじめ、必要な物は全て入念に揃えて経文を唱えさせた。経や仏の飾りも格別である。コレミツの兄の阿闍梨は、徳の高い人なので立派に取り仕切った。ゲンジの君が昵懇にしている漢学の先生を呼び、仏への願文を作らせる。故人が誰かは証せないので「愛した人が儚く死んでしまったので、阿弥陀仏にすべてを委ねます」と心を込めて書いてみせると、

 「これでよろしいでしょう。添削の必要はありません」

と先生が言う。堪えきれず涙が落ち身悶えているので、

 「何者であろうか。思い人が亡くなったとは聞いていないが、君をここまで煩悶させるとは、何とも幸せな女だ」

と先生が慰めるのだった。ゲンジの君はこっそり仕立てさせた死装束の袴を手にし、

 泣きながら袴の紐を今日結ぶ ほどいて逢える日をも知らずに

と来世に托して下紐を結んだ。「四十九日の間、地上を彷徨っていた魂が、どの道へ吸い込まれていくのだろうか?」などと思いを馳せながら必死に祈った。

 ゲンジの君は、頭中将を見るたびに、無性に胸騒ぎがした。娘の撫子が生きていることを教え上げたいが、追及されるのが怖くて言い出せない。

 あの夕顔の咲く家では、行方不明の姫を心配するのだが、一向に探し出せない。右近とも連絡が取れないので、不審に思って悲しみに暮れあっていた。証拠はないが、通っているのはゲンジの君ではないかという情報もあったので、コレミツを尋問してみるのだが、我関せずを決めこんでいる。うまく誤魔化して、相変わらず女の尻を追いかけているので、悪い冗談のように思えてくるのだった。「もしかしたら地方役人の変態息子が、頭中将に恐れをなして田舎へと誘拐したのではないか」と良からぬ想像をふくらませる始末である。

 この家の主人は、都の西の乳母なる人の娘だった。三人姉妹だったが、右近とは血が繋がっていなかったので「右近は遠慮して何も教えてくれないのだ」と泣いて会いたがった。右近の方でも、面倒な事になるのは嫌だった。ゲンジの君も今になっては事実が露見することを恐れて隠蔽していたので、夕顔の娘のことを聞くわけにはいかなかった。そして夕顔の亡骸は行旅死亡人として扱われたことになったのだった。

 ゲンジの君は夢でも構わないから、夕顔に逢いたかった。比叡山の法事を行った翌日の晩に、うっすらと、あの荒ら屋で枕元に浮かび上がった悪霊が同じ姿で現れた。「荒れた場所に巣喰っていた化け物が自分に憑依して、あんな取り返しの付かないことが起きてしまったのだ」と鳥肌が立った。


(原文)
 かの人の四十九日、忍びて比叡の法華堂にて、事そがず、装束より始めてさるべき物どもこまかに、誦経などせさせたまふ。経仏の飾までおろかならず、惟光が兄の阿闍梨いと尊き人にて、二なうしけり。御文の師にて睦ましく思す文章博士召して、願文作らせたまふ。その人となくて、あはれと思ひし人の、はかなきさまになりにたるを、阿弥陀仏に譲りきこゆるよし、あはれげに書き出でたまヘれば、

 「ただかくながら。加ふべきことはべらざめり」

と申す。忍びたまヘど、御涙もこぼれて、いみじく思したれば、

 「何人ならむ。その人と聞こえもなくて、かう思し嘆かすばかりなりけん宿世の高さ」

と言ひけり。忍びて調ぜさせたまへりける装束の袴をとり寄せさせたまひて、

 泣くなくも今日はわが結ふ下紐をいづれの世にかとけて見るべき

このほどまでは漂ふなるを、いづれの道に定まりて赴くらんと、思ほしやりつつ、念誦をいとあはれにしたまふ。

 頭中将を見たまふにも、あいなく胸騒ぎて、かの撫子の生ひ立つありさま聞かせまほしけれど、かごとに怖ぢてうち出でたまはず。

 かの夕顔の宿には、いづかたにと思ひまどヘど、そのままにえ尋ねきこえず。右近だに訪れねば、あやしと思ひ嘆きあヘり。たしかならねど、けはひをさばかりにやとささめきしかば、惟光をかこちけれど、いとかけ離れ、気色なく言ひなして、なほ同じごとすき歩きければ、いとど夢の心地して、もし受領の子どものすきずきしきが、頭の君に怖ぢきこえて、やがて率て下りにけるにやとぞ思ひよりける。

 この家主ぞ西の京の乳母のむすめなりける。三人その子はありて、右近は他人なりければ、思ひ隔てて、御ありさまを聞かせぬなりけりと、泣き恋ひけり。右近はた、かしがましく言ひ騒がれんを思ひて、君も今さらに漏らさじと忍びたまヘば、若君の上をだにえ聞かず、あさましく行く方なくて過ぎゆく。

 君は夢をだに見ばやと思しわたるに、この法事したまひてまたの夜、ほのかに、かのありし院ながら、添ひたりし女のさまも同じやうにて見えければ、荒れたりし所に棲みけん物の我に見入れけんたよりに、かくなりぬることと思し出づるにもゆゆしくなん。


(註釈)
1 誦経
 ・喪主の願いを書いて、仏に供える文章。