若紫の帖 三 ゲンジの君、若紫の世話を申し込む。病の全快と帰京
(現代語訳)
ゲンジの君は気分がすぐれないのに、雨がぽつぽつと降りはじめ、山風が吹き出した。滝の音も強まってくる。やや眠そうな経を読む声が、こんな場所で、ぼそぼそと聞こえてくるのだから、無神経な人にも悲しみを誘うだろう。ましてや煩悩の多いゲンジの君とあっては、寝付けるはずもないだろう。僧都が「夕方の礼拝」と言っていたが、すでに夜更けのようだ。奥にいる女たちも眠っていないようで、物音を憚っている。それでも、数珠が肘掛け椅子にぶつかる音が小さく聞こえ、ふわりと衣擦れの音が聞こえる。ゲンジの君は、しっとりと聞き、狭い場所なので、外に並んで立っている屏風を少しずらし、扇を「パチン」と鳴らして人を呼んだ。女たちは「何ごとか?」と思うのだが、知らんぷりもできないので、近づく人がいる。すぐに引き返して、「変ね、幻聴かしら」と怪訝に思っているのを聞いて、
「仏の導きは、暗闇でも迷いがありませんよ」
と言うゲンジの君の声が、神々しいほど元気はつらつなので、女は恥ずかしそうな声で、
「誰への導きで手引きをすればよいのか、わかりませんわ」
と困惑している。ゲンジの君は、
「突然のことに混乱されるのは、わかります。
若草の若葉の人を我見たり 旅寝の袖は涙の露か
と伝えてください」
と言うのだった。
「こんな色っぽい言葉がわかる人が、ここには、いないと知っていましょうに。どなたにと」
と女が言うので、ゲンジの君は、
「止むに止まれぬ事情があると理解してください」
などと言うので、女は唖然としたまま、奥へ戻って取り次ぐ。尼君が、
「まあ、ときめいたことを。この姫君が年頃の恋する乙女だとでも思っているのかしら。でも、あの若草の歌を、どうやって知ったのでしょう」
と不審な点が多いのだが、返歌が遅れると失礼だと思って、
「旅寝するひと夜の露の冷たさに苔生す我らを比べなさるな
乾きにくいものですから」
とやり過ごす。ゲンジの君は、
「こんな人づてのやりとりは、初体験なのです。失礼ながら、この機会に真摯にお願いしたいことがあるんです」
と泣きつくのだが、尼君は、
「勘違いなさっているのでしょう。輝く方と交わす言葉もありません。恥ずかしいこと」
と迷惑がる。女官たちが「このままでは、ぞんざいだと思われます」と言うので、
「そうね。若い娘ならば恥ずかしいでしょうが、私ならば。あれほど一途なのも忍びないですから」
と考え直して、ゲンジの君の側に近づくのだった。
「突然の相談を軽薄だと思われても仕方ありませんが、私は本気なのです。神様だけがご存じのことです」
とゲンジの君が言い出したまま赤面し、硬直してしまった。
「本当ですね。こうして相談をお話ししてくださるのですから、浅からぬご縁かと」
と尼君がフォローする。
「可哀想な暮らしている姫君のお話を聞きました。私を亡くなった母上の代わりだと思って頂けませんでしょうか。私も子供の頃、寄り添った母に先立たれて、寂しい少年時代を送ってきました。似たような運命の人がいらっしゃると聞きましたので、身内に入れて頂けないかとお願いしたいのです。こんな機会は滅多にある物ではありませんので、そちらの気持ちも考えずに相談させて頂くのです」
とゲンジの君が告白し出すので、尼君は、
「御言葉を嬉しく思うのですが、勘違いなさっているのではないかと心配しているのです。こんな尼を頼りにしている孫娘がおりますが、まだまだ本当に子供で、目をつむっても見所がありませんので、返答に窮してしまうのです」
と答えるしかなかった。
「すべて承知で無茶なことを相談しているのです。そんな堅苦しいことを言わないで、私の倒錯に心を開いてください」
などとゲンジの君が狂いはじめたのだが、尼君は「どう考えてもかみ合わない年齢だと知らないで無茶を言っている」と思えてしかたなく、思考停止状態に陥った。
そこに僧都がやって来て、
「まあまあ。そこまで相談すれば大丈夫でしょう」
と屏風を立てて遮った。
夜が明けようとしている。お堂では儀式がはじまり、法華経を読む声が、山風に乗って、滝の音と混ざり、神聖な合唱となる。
吹き下ろす深山の風に目が醒めて涙を誘う滝の音かな
と一首詠むゲンジの君に、僧都が、
「かりそめの旅寝を濡らす山水も住める私は心動かず」
もう聴き慣れてしまいました」
と言うのだった。
明るくなっていく空は、霧で視界が奪われている。どこからともなく山鳥がさえずりあっている。名も無き木や草の花たちが百花繚乱に咲き乱れ錦色の絨毯を広げたような場所に、鹿が歩く姿を別世界のように見ていると、ゲンジの君の気分も紛れて元気が出てきた。
聖は老体に鞭打って、ゲンジの君に加持を行う。かすれ声で抜けた歯の隙間から漏れる呪文も徳があり、いかにも正真正銘の風格がある。
都から迎えの人がやって来た。ゲンジの君の快復を喜び、帝からも使者が遣わされた。僧都は、都では見たこともない果物のあれこれを、谷底から取ってきては、接待をした。
「年内は山籠もりの願を掛けていますので、都までお見送りすることができません。今となっては願掛けも悔しく思われます」
と僧都は言い、酒をすすめる。
「山にも水も名残惜しいですが、ミカドが心配していますのが畏れ多くて。
山桜の盛りのうちにまた来ます。
都へと帰って人に伝えよう 風より早く見よ山桜」
とゲンジの君が一首詠む姿や声が、まぶしく光り輝くので、
三千の年経て開く花見れば山の桜も目にも映らず
と僧都は詠まずにいられないのだった。ゲンジの君は微笑みながら、
「三千年に一度だけ咲く花を見るのは不可能なことですよ」
と言う。聖は盃を手にして、
奥山の末の庵の戸を開けて見たこともなき花を見るよう
と泣きながらゲンジの君の顔を見つめるのだった。聖は護身用の両端に刃が付いた鈷杵を贈る。僧都も、それを見て、聖徳太子が百済から取り寄せたというコンゴウジュの実で作った数珠を渡す。昔、百済から送ってきた時のまま、唐風の箱に入れて、五葉の枝に結びつけた。それから、紺色の瑠璃の壺に薬を入れて、藤や桜の枝に結びつけた物など、山里ならではの手土産を揃えて渡す。ゲンジの君は、聖と、読経をした法師へのお布施として、様々な品物を都から取り寄せていた。この山一帯で働く労働者までにも、適当な物を、誦経のお布施として贈って出発する。
僧都は宿舎の奥に入って、ゲンジの君との話を姉の尼君に伝えるのだが、
「何と言われましても、今返事ができる相談ではありません。本当にその気があるのなら、あと四、五年待ってからのことです」
と答える。僧都が「そういうことで」と、全く進展のない返事をするので、ゲンジの君は、がっかりするのだった。手紙には、僧都のもとにいる女の童に托して、
夕暮れにキラリと光る花を見て今朝は霞が足止めをする
とあり、返歌は、
本当に花の近くは去りがたく霞むあなたの空を見ましょう
と上品な達筆なのだが、ぶっきらぼうに書かれている。
ゲンジの君が車に乗り込もうとすると、左大臣の屋敷から、「どこへ行くかも知らせずに、姿を暗ませましたね」と言って、迎えの人々、子供たちが大勢でやって来た。頭中将、左中弁の兄弟、その他の子供たちも、ゲンジの君を慕って、
「こんなお供なら喜んで一緒に行くのに、仲間はずれにされました」
と拗ねている。
「満開の花の下で休憩もせずに直帰するのはつまらないことですよ」
とも言う。岩陰の苔生す上に座って並び、宴会がはじまった。落ちて来る水の流れが気持ちいい滝壺なのだった。頭中将が懐から笛を取り出して澄んだ音を鳴らす。左中弁の君は扇を小さくトントン鳴らして「葛城の寺の前なるや、豊浦の寺の西なるや」と催馬楽を口ずさむ。二人とも人並み外れた貴公子だが、ゲンジの君が気怠そうに岩に寄りかかっている姿は不気味なぐらいに美しく見えるのだった。見る人の視界には輝くゲンジの君の姿しか映らない。いつもの篳篥を吹く家来や、笙の笛を持つ道楽者もいる。僧都は、自分の琴を持ってきて、
「どうせなら一曲これを弾いて、山鳥を驚かせてみせましょう」
と一曲所望する。ゲンジの君は、
「気分が悪いのですが」
と言いながらも、適当に弾き鳴らし一緒に立ち上がった。後ろ髪引かれる思いに、取るに足らない身分の法師や子供たちまでが涙を流し出す。宿舎の奥にいる老いぼれた尼たちは、このような貴公子を見たことがなかったのだから「まるで彼岸からお迎えが来たようです」と浮かれている。僧都も、
「どんな宿命で、こういう美しい人が、汚れた世界に生まれたのだろう。悲しいことだ」
と目頭を押さえる。幼い姫君も、子供心に「素敵な人」と思って見つめている。
「お父様よりもすごい人なのね」
と言うのだった。
「だったら、あの人の子になったら」
と女官に言われると、頷いて、満更でもなさそうだった。それからというもの、彼女は人形遊びをするにも、絵を描くにも「これがゲンジの君」と言って、綺麗な服を着せてお気に入りにしている。
(原文)
君は心地もいとなやましきに、雨すこしうちそそき、山風ひややかに吹きたるに、滝のよどみもまさりて、音高う聞こゆ。すこしねぶたげなる読経の絶え絶えすごく聞こゆるなど、すずろなる人も、所がらものあはれなり。まして思しめぐらすこと多くて、まどろませたまはず。初夜といひしかども、夜もいたう更けにけり。内にも人の寝ぬけはひしるくて、いと忍びたれど、数珠の脇息にひき鳴らさるる音ほの聞こえ、なつかしううちそよめくおとなひ、あてはかなり、と聞きたまひて、ほどもなく近ければ、外に立てわたしたる屏風の中をすこしひき開けて、扇を鳴らしたまへば、おぼえなき心地すべかめれど、聞き知らぬやうにやとて、ゐざり出づる人あなり。すこし退きて、「あやし。ひが耳にや」とたどるを聞きたまひて、
「仏の御しるべは、暗きに入りても、さらに違ふまじかなるものを」
とのたまふ御声の、いと若うあてなるに、うち出でむ声づかひも、恥づかしけれど、
「いかなる方の御しるべにか。おぼつかなく」
と聞こゆ。
「げに、うちつけなり、とおぼめきたまはむもことわりなれど、
はつ草の若葉のうへを見つるより旅寝の袖もつゆぞかわかぬ
と聞こえたまひてむや」
とのたまふ。
「さらにかやうの御消息うけたまはり分くべき人もものしたまはぬさまは、しろしめしたりげなるを、誰にかは」
と聞こゆ。
「おのづから、さるやうありて聞こゆるならん、と思ひなしたまへかし」
とのたまへば、入りて聞こゆ。
「あな、今めかし。この君や世づいたるほどにおはする、とぞ思すらん、さるにては、かの若草を、いかで聞いたまへることぞ」
とさまざまあやしきに、心乱れて、久しうなれば、情なしとて、
「枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深山の苔にくらべざらなむ
ひがたうはべるものを」
と聞こえたまふ。
「かうやうの伝なる御消息は、まださらに、聞こえ知らず、ならはぬことになむ。かたじけなくとも、かかるついでにまめまめしう聞こえさすべきことなむ」
と聞こえたまへれば、尼君、
「ひが事聞きたまへるならむ。いと恥づかしき御けはひに、何ごとをかは答へきこえむ」
とのたまへば、「はしたなうもこそ思せ」と人々聞こゆ。
「げに、若やかなる人こそうたてもあらめ。まめやかにのたまふ、かたじけなし」
とて、ゐざり寄りたまへり。
「うちつけに、あさはかなりと御覧ぜられぬべきついでなれど、心にはさもおぼえはべらねば、仏はおのづから」
とて、おとなおとなしう、恥づかしげなるにつつまれて、とみにもえうち出でたまはず。
「げに思ひたまへ寄りがたきついでに、かくまでのたまはせ、聞こえさするも、浅くはいかが」
とのたまふ。
「あはれにうけたまはる御ありさまを、かの過ぎたまひにけむ御かはりに思しないてむや。言ふかひなきほどの齢にて、睦ましかるべき人にも立ちおくれはべりにければ、あやしう浮きたるやうにて、年月をこそ重ねはべれ。同じさまにものしたまふなるを、たぐひになさせたまへ、といと聞こえまほしきを、かかるをりはべりがたくてなむ、思されんところをも憚らず、うち出ではべりぬる」
と聞こえたまへば、
「いとうれしう思ひたまへぬべき御ことながらも、聞こしめしひがめたることなどやはべらん、とつつましうなむ。あやしき身ひとつを、頼もし人にする人なむはべれど、いとまだ言ふかひなきほどにて、御覧じゆるさるる方もはべりがたげなれば、えなむうけたまはりとどめられざりける」
とのたまふ。
「みなおぼつかなからずうけたまはるものを、ところせう思し憚らで、思ひたまへ寄るさまことなる心のほどを御覧ぜよ」
と聞こえたまへど、いと似げなきことをさも知らでのたまふ、と思して、心とけたる御答へもなし。
僧都おはしぬれば、
「よし、かう聞こえそめはべりぬれば、いと頼もしうなむ」
とて、おし立てたまひつ。
暁方になりにければ、法華三味おこなふ堂の懺法の声、山おろしにつきて聞こえくる、いと尊く、滝の音に響きあひたり。
吹き迷ふ深山おろしに夢さめて涙もよほす滝の音かな
「さしぐみに袖ぬらしける山水にすめる心は騒ぎやはする
耳馴れはべりにけりや」
と聞こえたまふ。
明けゆく空は、いといたう霞みて、山の鳥ども、そこはかとなう囀りあひたり。名も知らぬ木草の花どもも、いろいろに散りまじり、錦を敷けると見ゆるに、鹿のたたずみ歩くもめづらしく見たまふに、なやましさも紛れはてぬ。
聖、動きもえせねど、とかうして護身まゐらせたまふ。かれたる声の、いといたうすきひがめるも、あはれに功づきて、陀羅尼読みたり。
御迎への人々参りて、おこたりたまへるよろこび聞こえ、内裏よりも御とぶらひあり。僧都、世に見えぬさまの御くだもの、何くれと、谷の底まで掘り出で、いとなみきこえたまふ。
「今年ばかりの誓ひ深うはべりて、御送りにもえ参りはべるまじきこと。なかなかにも思ひたまへらるべきかな」
と、聞こえたまひて、大御酒まゐりたまふ。
「山水に心とまりはべりぬれど、内裏よりおぼつかながらせたまへるもかしこければなむ。
いまこの花のをり過ぐさず参り来む。
宮人に行きて語らむ山桜風よりさきに来ても見るべく」
とのたまふ御もてなし、声づかひさへ目もあやなるに、
優曇華の花待ち得たる心地して深山桜に目こそうつらね
と聞こえたまへば、ほほ笑みて、
「時ありて一たび開くなるは、かたかなるものを」
とのたまふ。聖、御土器賜はりて、
奥山の松のとぼそをまれにあけてまだ見ぬ花のかほを見るかな
とうち泣きて見たてまつる。聖、御まもりに、独鈷奉る。見たまひて、僧都、聖徳太子の百済より得たまへりける金剛子の数珠の玉の装束したる、やがてその国より入れたる箱の唐めいたるを、透きたる袋に入れて、五葉の枝につけて、紺瑠璃の壼どもに、御薬ども入れて、藤桜などにつけて、所につけたる御贈物ども捧げたてまつりたまふ。君、聖よりはじめ、読経しつる法師の布施ども、まうけの物ども、さまざまに取りに遣はしたりければ、そのわたりの山がつまで、さるべき物ども賜ひ、御誦経などして出でたまふ。
内に僧都入りたまひて、かの聞こえたまひしこと、まねび聞こえたまへど、
「ともかくも、ただ今は聞こえむ方なし。もし御心ざしあらば、いま四五年を過ぐしてこそは、ともかくも」
とのたまへば、「さなむ」と同じさまにのみあるを、本意なし、と思す。御消息、僧都のもとなる小さき童して、
夕まぐれほのかに花の色を見てけさは霞の立ちぞわづらふ
御返し、
まことにや花のあたりは立ちうきとかすむる空のけしきをも見む
とよしある手のいとあてなるを、うち棄て書いたまへり。
御車に奉るほど、大殿より、「いづちともなくておはしましにけること」とて、御迎への人々、君たちなどあまた参りたまへり。頭中将、左中弁、さらぬ君たちも慕ひきこえて、
「かうやうの御供には、仕うまつりはべらむ、と思ひたまふるを、あさましくおくらさせたまへること」
と恨みきこえて、
「いといみじき花の蔭に、しばしもやすらはず、たちかへりはべらむは、あかぬわざかな」
とのたまふ。岩隠れの苔の上に並みゐて、土器まゐる。落ち来る水のさまなど、ゆゑある滝のもとなり。頭中将、懐なりける笛取り出でて、吹きすましたり。弁の君、扇はかなううち鳴らして、「豊浦の寺の西なるや」とうたふ。人よりはことなる君たちを、源氏の君いといたううちなやみて、岩に寄りゐたまへるは、たぐひなくゆゆしき御ありさまにぞ、何ごとにも目移るまじかりける。例の、篳篥吹く随身、笙の笛持たせたるすき者などあり。僧都、琴をみづから持てまゐりて、
「これ、ただ御手ひとつあそばして、同じうは、山の鳥もおどろかしはべらむ」
と、せちに聞こえたまへば、
「乱り心地いとたへがたきものを」
と聞こえたまへど、けにくからず掻き鳴らして、みな立ちたまひぬ。あかず口惜しと、言ふかひなき法師童べも、涙を落しあへり。まして内には、年老いたる尼君たちなど、まださらにかかる人の御ありさまを見ざりつれば、「この世のものともおぼえたまはず」と聞こえあへり。僧都も、
「あはれ、何の契りにて、かかる御さまながら、いとむつかしき日本の末の世に、生まれたまへらむ、と見るに、いとなむ悲しき」
とて、目おし拭ひたまふ。この若君、幼心地に、めでたき人かなと見たまひて、
「宮の御ありさまよりも、まさりたまへるかな」
などのたまふ。
「さらば、かの人の御子になりておはしませよ」
と聞こゆれば、うちうなづきて、いとようありなむ、と思したり。雛遊びにも、絵描いたまふにも、源氏の君と作り出でて、きよらなる衣着せ、かしづきたまふ。
(註釈)
1 仏の御しるべは
・法華経方便品に「従冥入於冥。永不聞佛名」とある。
2 懺法【せむぽふ】
・誦経して贖罪を懺悔する法要。経文の読み方は呉音でも漢音でもなく「妙法蓮華経」は「ぺいはーれんぐわけい」のように読んだ。
3 滝の音
・懺法を読む調子の一つ。これと、水が落ちる「滝」の音が掛けられている。
4 護身
・被甲護身のことで、健康を祈る加持。わらわ病は完治しているので、それとは別の加持を行った。
5 優曇華【うどむげ】
・果実が実るが花が咲かないので、三千に一度開花し、その際に仏が降臨すると信じられた伝説の花。実際は、ヒマラヤ山麓、デカン高原、セイロン島にあり、無花果のようなくぼんだ花托内に花を付けるので、花がないと信じられていた。
6 誦経
・誦経のお布施にする物のこと。
7 扇拍子
・雅楽では笏によって拍子をとる笏拍子というものがあり、この場合は、扇を掌で打ち鳴らして無雑作に拍子を取った。
8 豊浦の寺の西なるや
・催馬楽、葛城の中の句。
9 末の世
・仏教思想の、末法時。仏教の預言の一つであり、仏滅後五百年は、正法時、その後の千年が像法時と呼ばれ、その後一万年が末法時である。『扶桑略記』に、後冷泉帝の永承七年に「此年末法ニ入ル」とあり、紫式部の時代は末法時に近かった。