若紫の帖 五 ゲンジの君と藤壺の密会と懐胎

(現代語訳)
 藤壺の宮は、体調を崩し里に帰っていた。ゲンジの君は、ミカドが心配し錯乱する様子に身につまされつつも、好機が到来を感じたのだった。ただ上の空で、どこに行く出もなく、後宮でも、二条院でも、昼間は放心していた。日が暮れると、王命婦を泣き落として密会のチャンスを窺った。

 いかなる裏技を使ったのか、密会の準備が整った。ゲンジの君は、乾いた雑巾から血を絞り出す思いで会いに行く。情事は儚く夢のようにしか思えないのだった。ゲンジの君は身悶えする。藤壺の宮も、前回の情事の火傷を思い出した。人生の汚点なので、過失を繰り返してはいけないと心に誓っていたのだが、これで二度目なのだった。藤壺の宮が絶望に殺気立つ姿さえ、慈愛に満ちていた。それでも決して心を許すことなく、純真に恥じらっている。その様子が常人離れしているので、ゲンジの君は、「なぜここまで完璧な人なのだろう」と思い、孤独を感じた。ゲンジの君は、何を言ってみたところで、思いを伝えきれるはずはなかった。夜の明けない世界にまみれてしまいたいが、夏の短い夜である。ゲンジの君は、「かえって会わない方が良かった」と思った。

 もう二度と逢える夜さえないのなら消えてしまえよ今夜の夢に

 と嗚咽しながら一首詠むゲンジの君を、藤壺の宮は、さすがに不憫に思ったのか、

 夢でない二人の悪夢が人に知れ風に吹かれることが怖くて

と思い詰めている。ゲンジの君は、「当然だ」と思い直視できない。王命婦がゲンジの君の衣類を取りまとめて持ってきた。

 ゲンジの君は二条院に戻り、一日中、泣き伏していた。手紙を差し出しても、「いつものようにご覧になりません」と報告があるだけなので、今日に始まったことではないが、満たされないのだった。抜け殻になって、後宮にも行かず、二、三日閉じ籠もっていた。ミカドが「どうしたのか」と心配してくるので、ゲンジの君は生きた心地がしないのだった。

 藤壺の宮も、ふしだらな運命を呪って吐息が混じった。病状も悪化し、「早く後宮に戻るように」と伝令に急かされるのだが、拒絶反応が出る。「どうしてこんなに気分が悪いのか」と考えれば、思い当たる節があるので、泣きたくなり、「どうなってしまうの」と憔悴しきっていた。夏の暑い間は寝たきりだった。妊娠が三ヶ月を迎えると、もう誰の目にもはっきりわかった。女官達が察して勘ぐるので、藤壺の宮は、呪われた宿命を呪うしかなかった。他人は知ったことではないので、「どうして三ヶ月になるのに、ミカドに伝えないのだろう」と理解に苦しんだ。藤壺の宮の心の中だけに、事実が確信となって居座っているのだった。

 乳母の弁の君や、王命婦は風呂の世話などもしているので、すべてお見通しだった。不自然だと思うのだが、二人で相談しても手の施しようがないので、互いに無口だった。王命婦は、「避けられない宿命だったのでしょう」と動揺するのだった。後宮で待つ人たちには、悪霊のせいにして、懐妊に気がつかなかったと、誤魔化したのだろう。誰もがめでたく騙されていた。結果、ミカドは以前にも増して恋しく思うようになり、伝令が絶えないので、藤壺の宮は恐怖のあまり摩耗しきっていた。

 ゲンジの中将も悪夢にうなされた。分析学者を呼んで夢判断をさせる。すると、衝撃の判定が弾き出されたのだった。

 「この判定は目出度いことですが、悪い予感がします。お気を付けなさいませ」

と分析学者が言うので、ゲンジの君は用心のため、

 「私の夢ではないぞ。他人の夢を話したのだ。夢が現実になるまで、口外するな」

と箝口令を出した。胸中では、「何が起こるのか」と戦慄を覚えていたのだが、藤壺の宮の懐妊を知ると、「もしや、このことかも知れない」と直感した。これ以上なく全身全霊を尽くして藤壺の宮に会いたがるのだが、王命婦は、取り返しの付かない深刻な事態が忌まわしく、密会の手引きなどもっての他だった。覚え書き程度の手紙も届かなくなり、ゲンジの君と藤壺の宮は音信不通になった。

 七月になると、ようやく藤壺の宮が後宮に戻った。藤壺の宮の妊娠に、ミカドは喜び、溺愛ぶりは激しさを増した。少し大きくなったお腹とは裏腹に、苦しそうに頬が痩けている。それがまた類い希ない色っぽさを放っているのだった。ミカドは、以前のように朝から晩まで桐壺の館に通い詰めた。演奏会には誂え向きの季節なので、ゲンジの君を必要以上に呼び寄せて、琴や笛などあらん限りに演奏させた。ゲンジの君は必死に平静を装うのだが、堪えきれずに思いが溢れ出てしまう。藤壺の宮はそれを受信して胸が痛くなり、色々と思い続けた。


(原文)
 藤壼の宮、なやみたまふことありて、まかでたまへり。上のおぼつかながり嘆ききこえたまふ御気色も、いといとほしう見たてまつりながら、かかるをりだにと、心もあくがれまどひて、いづくにもいづくにも参うでたまはず、内裏にても里にても、昼はつれづれとながめ暮らして、暮るれば、王命婦を責め歩きたまふ。

いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、現とはおぼえぬぞわびしきや。宮もあさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむ、と深う思したるに、いとうくて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させたまはぬを、などかなのめなることだにうちまじりたまはざりけむ、と、つらうさへぞ思さるる。何ごとをかは聞こえつくしたまはむ。くらぶの山に宿も取らまほしげなれど、あやにくなる短夜にて、あさましうなかなかなり。

 見てもまたあふよまれなる夢の中にやがてまぎるるわが身ともがな

とむせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、

 世がたりに人や伝へんたぐひなくうき身を醒めぬ夢になしても

思し乱れたるさまも、いとことわりにかたじけなし。命婦の君ぞ、御直衣などは、かき集めもて来たる。

 殿におはして、泣き寝に臥し暮らしたまひつ。御文なども、例の御覧じ入れぬよしのみあれば、常のことながらも、つらう、いみじう思しほれて、内裏へも参らで、二三日籠りおはすれば、また、いかなるにかと、御心動かせたまふべかめるも、恐ろしうのみおぼえたまふ。

 宮も、なほいと心うき身なりけり、と思し嘆くに、なやましさもまさりたまひて、とく参りたまふべき御使しきれど、思しも立たず。まことに御心地例のやうにもおはしまさぬは、いかなるにかと、人知れず思すこともありければ、心うく、いかならむとのみ思し乱る。暑きほどはいとど起きも上がりたまはず。三月になりたまへば、いとしるきほどにて、人々見たてまつりとがむるに、あさましき御宿世のほど心うし。人は思ひよらぬことなれば、この月まで奏せさせたまはざりけること、と驚ききこゆ。わが御心ひとつには、しるう思し分くこともありけり。

 御湯殿などにも親しう仕うまつりて、何ごとの御気色をもしるく見たてまつり知れる、御乳母子の弁、命婦などぞ、あやしと思へど、かたみに言ひあはすべきにあらねば、なほのがれがたかりける御宿世をぞ、命婦はあさましと思ふ。内裏には御物の怪のまぎれにて、とみに気色なうおはしましけるやうにぞ奏しけむかし。見る人もさのみ思ひけり。いとどあはれに限りなう思されて、御使などのひまなきもそら恐ろしう、ものを思すこと隙なし。

 中将の君も、おどろおどろしうさま異なる夢を見たまひて、合はする者を召して問はせたまへば、及びなう思しもかけぬ筋のことを合はせけり。


 「その中に違ひ目ありて、つつしませたまふべきことなむはべる」

と言ふに、わづらはしくおぼえて、

 「みづからの夢にはあらず、人の御ことを語るなり。この夢合ふまで、また人にまねぶな」

とのたまひて、心の中には、いかなることならむと思しわたるに、この女宮の御こと聞きたまひて、もしさるやうもや、と思しあはせたまふに、いとどしくいみじき言の葉尽くし聞こえたまへど、命婦も思ふに、いとむくつけう、わづらはしさまさりて、さらにたばかるべき方なし。はかなき一行の御返りのたまさかなりしも、絶えはてにたり。

 七月になりてぞ参りたまひける。めづらしうあはれにて、いとどしき御思ひのほど限りなし。すこしふくらかになりたまひて、うちなやみ面痩せたまへる、はた、げに似るものなくめでたし。例の明け暮れこなたにのみおはしまして、御遊びもやうやうをかしき空なれば、源氏の君もいとまなく召しまつはしつつ、御琴笛など、さまざまに仕うまつらせたまふ。いみじうつつみたまへど、忍びがたき気色の漏り出づるをりをり、宮もさすがなる事どもを、多く思しつづけけり。


(註釈)
1 王命婦
 ・王家の皇女が宮仕えして命婦になった。

1 くらぶの山
 ・「暗部山」で、京都の鞍馬にある歌枕。夜の明けない暗い場所の意味に使われる。墨染めのくらぶの山に入りし人惑ふを惑ふも帰りきななむ 『古今六帖』

2 中将の君
 ・ゲンジの官職はまだ中将であった。