若紫の帖 七 兵部卿宮、若紫を訪問する
(現代語訳)
ゲンジの君が帰った後、ちょうどその日に父の兵部卿宮が、アゼチの大納言の屋敷にやって来た。ますます荒廃している広くて古い建物に、人数少なく寂しく暮らしているのを見て、
「小さな子供が、こんなところでどうやって生きていくと言うのですか。やはり私の家に引き取ろう。そんなに以後小土地の悪い場所じゃありませんよ。少納言の乳母は、部屋を用意しましょう。姫君には小さな異母兄弟もいますから、一緒に遊んだら、とても楽しいでしょう」
と言うのだった。側へと呼び寄せると、昨夜のゲンジの君の移り香がするので、悪趣味極まったが、
「おや、良い香りがするね。だけど、着物が皺くちゃだ」
と兵部卿宮は痛ましく思うのだった。
「とかく病気ばかりしている老人と一緒にいるよりは、たまには家に遊びに来て水入らずにと話していたのだが、お祖母様は、許してくれなかった。家にいる人も臍を曲げていたのだが、こんなことになって姫君を引き取るのだから、忍びないな」
「そうでございます。心配ですから、しばらくはここで育てようと思います。もう少しわきまえができるようになってから引き取って頂いた方がよろしいでしょう」
と理解を求めるのだった。
「夜も昼も構わず、お祖母様恋しさに泣いておりますので、食欲もないようで」
と少納言の乳母が説明するのだが、確かに痩せている。それが、凛々しく可愛らしいので、むしろ美しいのだった。
「どうして泣くの。死んだ人は生き返らないんだよ。お父様がいるではないですか」
と兵部卿宮が幼い姫君を慰める。日が暮れる前に兵部卿宮が帰ろうとするので、幼い姫君は「寂しい」と思って泣くので、兵部卿宮も泣けてくるのだった。
「そんなに泣いたら駄目だよ。今日、明日のうちにお迎えに来ますから」
と兵部卿宮は、あらゆる方法であやして帰って行った。幼い姫君は、兵部卿宮が帰った後も寂しくて、ひたすら泣いていた。自分の将来のことなど考えて泣いてくるのでなく、ただいつも一緒だった尼君が、今はもういないのだと思って泣くのである。子供の考えることだが、胸が潰れる思いがして、いつものようには遊ばない。それでも昼間は堪えているようだが、日が暮れると、滅入ってしまう。「こんな様子で、どうやって生きていくのかしら」と慰めようもなく、少納言の乳母たちも泣くしかなかった。
その夜、ゲンジの君はコレミツを遣わした。
「今夜もそちらに行くはずだったのですが、ミカドから呼び出しがあって行けません。いたいけない人が心配です」
と伝言して、コレミツは家来に警備の指示を出す。
「嫌なこと。戯れ言にしても、もう結婚したような気で、手の混んだことを」
「兵部卿宮様に知れたら、付き人の不注意だと叱られるわ」
「大変。姫様、お父様とお話しても、うっかり口を滑らせて、ゲンジの君のことを言ってはいけませんよ」
などと女官たちは言うのだった。幼い姫君は、その意味が理解できないのだから、話しにならない。少納言の乳母は、コレミツに不安を打ち明けるのだった。
「時間が絶って、もしお二人が運命の人であれば、逃れられない結婚でもありましょう。ただ、今はまだ全く不似合いな二人ではないですか。幼い姫様に言い寄ってくるのが気持ち悪いので、いったい何を考えているのかと思ってしまうんです。今日、父宮様がいらっしゃって『変態には気をつけなさい。くれぐれも間違いの無いように』と釘を刺されました。そんなことを言われたばかりなのに、こういう嫌らしいことをされて迷惑なのです。ずっと平和に暮らしてきたのに」
と言いながら、あまり悲しそうにしていると、「この人に、何か変態めいた行為があったと誤解される」と思って口を閉ざす。コレミツも「何があったんだろう」と釈然としない。
コレミツが戻り、状況を報告する。ゲンジの君は、可哀想に思うのだが、夫婦のように通うのも下品な気がした。世間から、「変態が血迷った」と馬鹿にされるのも癪なので、「もう誘拐するしかない」という結論に至ったのだった。
ゲンジの君は、手紙を佃煮にするほど差し出す。日が暮れると、いつものようにコレミツを使者に飛ばす。
「事情があって行けないのですが、薄情だと思っていないでしょうか」
と手紙に書いてある。少納言の乳母は、
「兵部卿宮様が、急に明日迎えに来ることになりまして、立て込んでおります。長年住みなれた草生い茂る家でも離れるのは寂しくて、女官たちも戸惑っていますわ」
と言葉数も少ない。コレミツは適当にあしらわれ、縫い物や引っ越しの準備に慌ただしいようなので、撤収することにした。
(原文)
かしこには、今日しも、宮渡りたまへり。年ごろよりもこよなう荒れまさり、広うもの古りたる所の、いとど人少なにさびしければ、見わたしたまひて、
「かかる所には、いかでか、しばしも幼き人の過ぐしたまはむ。なほかしこに渡したてまつりてむ。何のところせきほどにもあらず。乳母は、曹司などしてさぶらひなむ。君は、若き人々あれば、もろともに遊びて、いとようものしたまひなむ」
などのたまふ。近う呼び寄せたてまつりたまへるに、かの御移り香の、いみじう艶に染みかへらせたまへれば、
「をかしの御匂ひや。御衣はいと萎えて」
と心苦しげに思いたり。
「年ごろも、あつしくさだすぎたまへる人に添ひたまへるよ。かしこに渡りて見ならしたまへなどものせしを、あやしう疎みたまひて、人も心おくめりしを、かかるをりにしもものしたまはむも、心苦しう」
などのたまへば、
「何かは。心細くとも、しばしはかくておはしましなむ。すこしものの心思し知りなむに渡らせたまはむこそ、よくははべるべけれ」
と聞こゆ。
「夜昼恋ひきこえたまふに、はかなきものも聞こしめさず」
とて、げにいといたう面痩せたまへれど、いとあてにうつくしく、なかなか見えたまふ。
「何か、さしも思す。今は世に亡き人の御ことはかひなし。おのれあれば」
など語らひきこえたまひて、暮るれば帰らせたまふを、いと心細しと思いて泣いたまへば、宮うち泣きたまひて、
「いとかう思ひな入りたまひそ。今日明日渡したてまつらむ」
など、かへすがへすこしらへおきて、出でたまひぬ。なごりも慰めがたう泣きゐたまへり。行く先の身のあらむことなどまでも思し知らず、ただ年ごろたち離るるをりなうまつはしならひて、今は亡き人となりたまひにける、と思すがいみじきに、幼き御心地なれど、胸つとふたがりて、例のやうにも遊びたまはず、昼はさても紛らはしたまふを、タ暮となれば、いみじく屈したまへば、かくてはいかでか過ごしたまはむ、と慰めわびて、乳母も泣きあへり。
君の御もとよりは、惟光を奉れたまへり。
「参り来べきを、内裏より召しあればなむ。心苦しう見たてまつりしも、静心なく」
とて、宿直人奉れたまへり。
「あぢきなうもあるかな。戯れにても、もののはじめにこの御ことよ」
「宮聞こしめしつけば、さぶらふ人々のおろかなるにぞさいなまむ」
「あなかしこ。もののついでに、いはけなくうち出できこえさせたまふな」
など言ふも、それをば何とも思したらぬぞあさましきや。少納言は、惟光にあはれなる物語どもして、
「あり経て後や、さるべき御宿世、のがれきこえたまはぬやうもあらむ。ただ今は、かけてもいと似げなき御ことと見たてまつるを、あやしう思しのたまはするも、いかなる御心にか、思ひよる方なう乱れはべる。今日も宮渡らせたまひて、『うしろやすく仕うまつれ、心幼くもてなしきこゆな』と、のたまはせつるも、いとわづらはしう、ただなるよりは、かかる御すき事も思ひ出でられはべりつる」
など言ひて、この人も事あり顔にや思はむ、など、あいなければ、いたう嘆かしげにも言ひなさず。大夫も、いかなることにかあらむ、と心得がたう思ふ。
参りてありさまなど聞こえければ、あはれに思しやらるれど、さて通ひたまはむも、さすがにすずろなる心地して、かるがるしう、もてひがめたると、人もや漏り聞かむなど、つつましければ、ただ迎へてむと思す。
御文はたびたび奉れたまふ。暮るれば、例の大夫をぞ奉れたまふ。
「さはる事どものありて、え参り来ぬを、おろかにや」
などあり。
「宮より、明日にはかに御迎へにとのたまはせたりつれば、心あわたたしくてなむ。年ごろの蓬生をかれなむも、さすがに心細く、さぶらふ人々も思ひ乱れて」
と、言少なに言ひて、をさをさあへしらはず、物縫ひいとなむけはひなどしるければ、参りぬ。
(註釈)
1 もののはじめ
・結婚後は、三日続けて通い続ける風習がある。