末摘花の帖 五 末摘花、ゲンジに着物を贈る

(現代語訳)
 年も暮れゆく。ゲンジの君が、後宮の宿直所にいると、タイフの命婦がやってきた。髪を梳かせたりするには、色っぽい関係でなくて、それでいて冗談を言えるような女が良かったので、タイフの命婦は、もってこいなのであった。タイフの命婦も、話したいことがあれば、呼び出しがなくても、ゲンジの君のいる桐壺の間へやってくる。

 「一風変わったことがあるのですが、報告しないのは、あんまりだと思って、躊躇っているのです」

とタイフの命婦は、微笑んだまま黙ってしまった。

 「何なのだい。私に隠し事をしても仕方ないだろう」

とゲンジの君が尋問するので、

 「隠し事なんてしませんよ。あたしの心配事なら、ご迷惑でも一番はじめに相談に乗ってもらいますわ。でも、今回だけは、思いあぐねてしまって」

ともったいぶるのである。ゲンジの君は「いつもの思わせぶりか」と苛立つのだった。タイフの命婦は「あの姫宮からの、お手紙がありまして」と言って取り出す。

 「だったら、隠す必要もないじゃないか」

とゲンジの君が受け取る。タイフの命婦は気が気でない。ぶ厚い和紙に、香だけは深く焚いてある。手紙に見えないでもない。歌もあった。

 からごろも君の心が冷たくて私の袖はびしょ濡れになる

とあるのが意味不明なので、ゲンジの君は首をかしげる。すると、タイフの命婦が、布で包まれた重そうな古ぼけた衣装箱を置いて、ゲンジの君の前に押し出した。

 「こんな物、恥ずかしくて見せられるわけがありません。お正月の礼服にと、わざわざあたしに言付けるのを、まさか、返品するわけにもいかなくて。あたしの考えで保管しておくのも失礼でしょう。とにかく見て頂いてから処分を考えようと思って」

とタイフの命婦が困惑しているので、ゲンジの君は、

 「保管されたら困るじゃないか。私には、濡れた袖を乾かす人もいないのだから、有り難い贈り物だ」

と言ったまま無言になってしまった。「なんという、お粗末な歌なのだろう。これがあの姫君の渾身の作なのだ。いつもは侍従が添削しているのだな。侍従の他に先生がいないのいないのだろう」と呆れてる。「姫君が悶絶しながら捻り出した歌なのだろう」と察して、ゲンジの君は「畏れ多い歌というのは、このような歌のことを言うのだろう」と笑ってしまうのだった。タイフの命婦は赤面するばかり。

 濃すぎる紅梅色がおぞましく、古くさくて光沢のない直衣なのである。裏地も同じように濃く染めてあって、どこにでも転がっていそうな直衣なのは、袖や裾の仕立てでわかるのだった。ゲンジの君は白けてしまって、手紙をひろげて、その端に落書きをはじめた。それを、タイフの命婦が横から覗く。

 「気になった色でないのに紅色のすえつむ花を摘んでしまった

 濃い色の花だとは思ったが」

と書き付けてあった。タイフの命婦は「どうして紅花を馬鹿にするのかしら」と訝しがる。すると、月影で見た姫君の鼻を思い出したので「お非道い」と思いながらも、可笑しくなってしまうのだった。

 「一度だけ紅く染めた衣でも笑いものにはなさらぬように

 可哀想ですから」

と達者ぶって独り言をしているタイフの命婦の歌も、駄作だったが、「あの姫君に、せめてこれぐらいの知恵があったなら」とゲンジの君は幻滅したのだった。それでも、姫君の身分を思えば、名を汚すような噂が立つのは可哀想に思った。そろそろ、人々がゲンジの君の御前にやってくるので、

 「これは隠しておこう。こんなことは、まともな人間がする芸当ではないから」

とゲンジの君が苦笑いして言う。タイフの命婦「なんで、こんな物を見せちゃったのだろう。あたしまで徒花になったみたい」と恥ずかしくなって、そっと逃げるのだった。

 翌日、タイフの命婦後宮の詰め所にいると、ゲンジの君が覗いて、

 「ほら、昨日の返事を書いた。やっぱり気になって放っておけなくてさ」

と手紙を投げ入れる。周りの女官たちは、「なんなの」と手紙を見たがる。

 「ただ梅が色づくように、三笠の山の少女を捨てて」

などとゲンジの君が鼻唄交じりで立ち去るので、タイフの命婦は、やっぱり可笑しい。何も知らない女官たちは「なんで一人で笑っているの」と怪しむのだった。

 「なんでもないわよ。こんな寒い霜の朝だから、みんなの鼻を梅の花と間違ったのかも。面白い歌ね」

とタイフの命婦が言うので、

 「失礼しちゃうわ。ここには鼻が染まった人なんていませんよ。赤鼻の、左近の命婦や、肥後のウネメもいませんから」

と意味不明なことを言い合った。

 タイフの命婦が、ゲンジの君の返事を持って行くと、常陸宮邸では、女官たちが集まって絶賛するのだった。

 逢わぬよう隔てるための衣なら重ねて着ろと君は言うのか

と白い紙に気取らずに書いてあるのが、かえって引き立っているのだった。年の終わりの夕方に、末摘花の君の衣装として、人からもらった衣服一揃え、葡萄色に染めた上着、山吹色の上着など、色々と詰め込んだ物をタイフの命婦が持って来た。「このあいだ贈った着物の色が、お気に召さなかったのかしら」と思う人もいるのだが、「あの着物だって、綺麗な紅色だから、負けてはいませんね」と年寄りが勝手なことを言っている。

 「歌だって、姫様の歌は筋が通った秀歌でしたわ。この返歌は、技巧に頼りすぎね」

などと身の程知らずなのだった。末摘花も会心の一首だと思ったので、あの歌を複写していた。

 元旦の儀式が終わると、今年は男踏歌という行事があった。そんなわけで、街中は歌の稽古で賑わっている。ゲンジの君も慌ただしいのだが、寂しげな常陸宮邸が気になって仕方なかった。白馬の節句が閉宴し夜になった頃、ミカドの御前を下がり、桐壺の宿直所に泊まったふりをして夜更けの出発を待った。

 常陸宮邸は、以前と比べれば華やいでいて、普通の家のようにも見えた。末摘花も少しは愛嬌が出てきたようなのだった。「今年からは、立て直しもしないとね」と、ゲンジの君は目論んだ。日の出までくつろいでから帰ることにした。東側の引き戸を開けると、向こうへ渡す廊下が壊れて屋根がなくなっている。やがて降り注ぐ日差しが雪を反射させて奥の方まですっかり見渡せるようになるのだった。ゲンジの君が直衣を着ているのを見つめながら、横たえた末摘花の、頭の形や溢れんばかりの髪の毛が、ずいぶん可憐なのであった。ゲンジの君は「幾分か化ける女だったらいいのだけど」と思って窓を跳ね上げる。それでも、末摘花を余すことなく見てしまった後悔に懲りているので、窓を全開にはしない。肘掛けに窓に挟んで、ゲンジの君は、髪の乱れを整える。すると、女官たちが、おかしなほど古い鏡台や、舶来の櫛入れ、髪上げの道具などを持ってくる。ゲンジの君は「男物の道具があるのは趣味が良い」と感心するのだった。

 末摘花の着ている物が、今日は普通に見えるのは、年末に贈った箱の中身を、そのまま着ているからなのである。ゲンジの君は、それに気がつかず、面白い模様の入った上着を見て「どこかで見たことのある着物だな」と思うのだった。

 「今年からは、少しでも声を聞かせて下さい。鶯のさえずりは待ち遠しいですが、それよりも、生まれ変わったあなたの声を聞いてみたい」

とゲンジの君が言うと、

 「さえずる春は」

と末摘花は、やっと口を開いて声を震わせている。

 「その調子。成長しましたね」

とゲンジの君は笑いながら、

 「夢のようだ」

と口ずさんで帰って行く。末摘花は見送って壁により掛かっている。口元を覆っている横顔の袖の下から、やはり末摘花が色鮮やかに咲いているのだった。ゲンジの君は「あの容貌だけは、どうにもならないな」と思った。


(原文)
 年も暮れぬ。内裏の宿直所におはしますに、大輔命婦参れり。御梳櫛などには、懸想だつ筋なく、心やすきものの、さすがにのたまひ戯れなどして、使ひ馴らしたまへれば、召しなき時も、聞こゆべきことあるをりは参う上りけり。

 「あやしきことのはべるを、聞こえさせざらむも、ひがひがしう思ひたまへわづらひて」

と、ほほ笑みて聞こえやらぬを、

 「何ざまのことぞ。我にはつつむことあらじとなむ思ふ」

とのたまへば、

 「いかがは。みづからの愁へは、かしこくともまづこそは。これはいと聞こえさせにくくなむ」

と、いたう言籠めたれば、「例の艶なる」と憎みたまふ。「かの宮よりはべる御文」とて取り出でたり。

 「ましてこれは、とり隠すべきことかは」

とて、取りたまふも胸つぶる。みちのくに紙の厚肥えたるに、匂ひばかりは深うしめたまへり。いとよう書きおほせたり。歌も、

 からころも君が心のつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ

心得ず、うちかたぶきたまへるに、つつみに衣箱の重りかに古代なる、うち置きておし出でたり。

 「これを、いかでかはかたはらいたく思ひたまへざらむ。されど、朔日の御よそひとて、わざとはべるめるを、はしたなうはえ返しはべらず。ひとり引き籠めはべらむも人の御心違ひはべるべければ、御覧ぜさせてこそは」

と聞こゆれば、

 「引き籠められなむは、からかりなまし。袖まきほさむ人もなき身に、いとうれしき心ざしにこそは」

とのたまひて、ことにもの言はれたまはず。さても、あさましの口つきや。これこそは手づからの御事の限りなめれ。侍従こそ取り直すべかめれ、また筆のしりとる博士ぞなかべきと、言ふかひなく思す。心を尽くして詠み出でたまひつらむほどを思すに、いともかしこき方とは、これをも言ふべかりけりと、ほほ笑みて見たまふを、命婦おもて赤みて見たてまつる。

 今様色の、えゆるすまじくつやなう古めきたる、直衣の裏表ひとしうこまやかなる、いとなほなほしう、つまづまぞ見えたる。あさましと思すに、この文をひろげながら、端に手習すさびたまふを、側目に見れば、

 「なつかしき色ともなしに何にこのを袖にふれけむ

 色こき花と見しかども」

など、書きけがしたまふ。花の咎めを、なほあるやうあらむと、思ひあはするをりをりの月影などを、いとほしきものから、をかしう思ひなりぬ。

 「紅のひとはな衣薄くともひたすらくたす名をしたてずは

 心苦しの世や」

と、いといたう馴れて独りごつを、よきにはあらねど、かうやうのかいなでにだにあらましかばと、かへすがへす口惜し。人のほどの心苦しきに、名の朽ちなむはさすがなり。人々参れば、

 「取り隠さむや。かかるわざは人のするものにやあらむ」

とうちうめきたまふ。何に御覧ぜさせつらむ。我さへ心なきやうにと、いと恥づかしくてやをらおりぬ。

 またの日、上にさぶらへば、台盤所にさしのぞきたまひて、

 「くはや。昨日の返り事。あやしく心ばみ過ぐさるる」

とて投げたまへり。女房たち、何ごとならむとゆかしがる。

 「ただ、梅の花の、色のごと、三笠の山の、をとめをば、すてて」

と、歌ひすさびて出でたまひぬるを、命婦はいとをかしと思ふ。心知らぬ人々は、「なぞ。御独り笑みは」と、とがめあへり。

 「あらず。寒き霜朝に、掻練このめるはなの色あひや見えつらむ。御つづしり歌のいとほしき」

と言へば、

 「あながちなる御ことかな。このなかには、にほへるはなもなかめり。左近命婦肥後采女やまじらひつらむ」

など、心もえず言ひしろふ。

 御返り奉りたれば、宮には女房つどひて見めでけり。

 逢はぬ夜をへだつる中の衣手にかさねていとど見もし見よとや

白き紙に、捨て書いたまへるしもぞ、なかなかをかしげなる。晦日の日、タつ方、かの御衣箱に、御料とて人の奉れる御衣一具、葡萄染の織物の御衣、また山吹かなにぞ、いろいろ見えて、命婦ぞ奉りたる。「ありし色あひをわろしとや見たまひけん」と、思ひ知らるれど、「かれはた、紅のおもおもしかりしをや。さりとも消えじ」と、ねび人どもは定むる。

 「御歌も、これよりのは、ことわり聞こえてしたたかにこそあれ、御返りは、ただをかしき方にこそ」

など、口々に言ふ。姫君も、おぼろけならでし出でたまひつるわざなれば、物に書きつけておきたまへりけり。

 朔日のほど過ぎて、今年、男踏歌あるべければ、例の所どころ遊びののしりたまふに、もの騒がしけれど、淋しき所のあはれに思しやらるれば、七日の日の節会はてて、夜に入りて御前よりまかでたまひけるを、御宿直所にやがてとまりたまひぬるやうにて、夜更かしておはしたり。

 例のありさまよりは、けはひうちそよめき世づいたり。君もすこしたをやぎたまへる気色もてつけたまへり。いかにぞ、あらためてひきかへたらむ時、とぞ思しつづけらるる。日さし出づるほどにやすらひなして、出でたまふ。東の妻戸押し開けたれば、むかひたる廊の、上もなくあばれたれば、日の脚、ほどなくさし入りて、雪すこし降りたる光に、いとけざやかに見入れらる。御直衣など奉るを見出だして、すこしさし出でて、かたはら臥したまひつる頭つき、こぼれ出でたるほど、いとめでたし。生ひなほりを見出でたらむ時、と思されて、格子引き上げたまへり。いとほしかりし物懲りに、上げもはてたまはで、脇息をおし寄せて、うちかけて、御鬢ぐきのしどけなきをつくろひたまふ。わりなう古めきたる鏡台の、唐櫛笥、掻上の箱など取り出でたり。さすがに、男の御具さへほのぼのあるを、ざれてをかしと見たまふ。

 女の御装束、今日は世づきたりと見ゆるは、ありし箱の心ばへをさながらなりけり。さも思しよらず、興ある紋つきてしるき表着ばかりぞ、あやしと思しける。

 「今年だに声すこし聞かせたまへかし。待たるるものはさしおかれて、御気色のあらたまらむなむゆかしき」

とのたまへば、

 「さへづる春は」

とからうじてわななかしいでたり。

 「さりや。年経ぬるしるしよ」

と、うち笑ひたまひて、「夢かとぞ見る」とうち誦じて出でたまふを、見送りて、添ひ臥したまへり。口おほひの側目より、なほ、かの末摘花、いとにほひやかにさし出でたり。見苦しのわざやと思さる。


(註釈)
1 みちのくに紙
 ・【陸奥紙】は「檀紙」のこと。厚手で白く縮緬のような皺がある。懸想の手紙には、通常、薄い色紙を使うのが常識で、厚い檀紙を使うのは異常だった。

2 すゑつむ花
 ・【末摘花】は、紅花(べにばな)のこと。その茎を染料にする。赤い花を咲かせるので、赤い鼻の姫君を、「末摘花」と呼んだ。

3 台盤所
 ・清涼殿の西廂にあった、女房の詰め所。

4 ただ、梅の花の、色のごと
 ・ただうめの花のごと、掻練好むや、滅し紫の色好むや『風俗歌』の一節。

5 掻練
 ・赤い練って柔らかくした絹。

6 男踏歌
 ・正月の十四日から十五日にかけて、殿上人、地下の人々が内裏から諸院、諸宮へ、催馬楽などを歌いながら巡回する行事。

7 七日の日の節会
 ・「白馬(あおうま)の節会」のこと。奈良時代から行われている中国伝来の宮廷行事。陰暦正月七日、紫宸殿にて「青馬」二十一頭を天覧し、宴が行われた。

8 待たるるものは
 ・拾遺、春植え、素性 あらたまの年立ち返るあしたより待たるる物は鶯の声 和漢朗詠集、春にもある。

9 夢かとぞ
 ・古今、雑下、業平 忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見んとは