第九十一段

■ 原文

赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり。昔の人、これを忌まず。この比、何者の言ひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事、末とほらずと言ひて、その日言ひたりしこと、したりしことかなはず、得たりし物は失ひつ、企てたりし事成らずといふ、愚かなり。吉日を撰びてなしたるわざの末とほらぬを数へて見んも、また等しかるべし。

その故は、無常変易の境、ありと見るものも存ぜず。始めある事も終りなし。志は遂げず。望みは絶えず。人の心不定なり。物皆幻化なり。何事か暫くも住する。この理を知らざるなり。「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行ふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶は、人によりて、日によらず。


■ 注釈

1 赤舌日(しゃくぜちにち)
 ・六日ごとに訪れる不吉な日。

参照:赤舌日 - Wikipedia

2 陰陽道
 ・中国から伝来した方術、占い。

参照:陰陽道 - Wikipedia

3 変易
 ・変わりやすく、常に変化する状態のこと。


■ 現代語訳

六日ごとに訪れる赤舌日という日がある。陰陽道の占いの世界では、取るに足りない事である。昔の人は、こんな事を気にせずに暮らしていた。最近になって、誰が言い出したのかは知らないが、不吉な日だと言う事になって、忌むようになった。「この日に始めた事は、中途半端で終わり、言った事、行った事は、座礁し、手に入れた物は、紛失し、立てた計画は、失敗に終わる」と言うのは、馬鹿げたことだ。敢えて大安吉日を選んで始めた事でも、行く末を見てみれば、赤舌日に始めた事と同じ確率でうまくいってない。

解説すれば、世界は不安定で、全ての物事は、終わりに向かって緩やかなカーブを描いている。そこにある物が、永遠に同じ形で存在することは不可能である。成功を目指しても、最終的には失敗し、目的が達成できないまま、欲望だけが膨れあがるのが世の常だ。人の心とは、常に矛盾していて説明出来るはずもなく、物質は、いつか壊れて無くなる事を思えば、幻と一緒である。永遠など無いのだ。このシステムを理解していないから「吉日の悪い行いは、必ず罰が当たり、悪日の良い行いは、必ず利益がある」などと、寝言を言うのである。物事の良い悪いは、心の問題で、日柄とは関係ない。