第二十二段
■ 本文
何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の匠の造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。
文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古は、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数立て」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝講の御聴聞所なるをば「御講の廬」とこそ言ふを、「講廬」と言ふ。口をしとぞ、古き人は仰せられし。
■ 注釈
1 今様(いまよう)
・現代の流行。現代風。
2 木の道の匠
・指物師。
3 反故(ほうご)
・「ほご」とも。書き汚した不要の紙。
4 主殿寮(とのもりれう)
・宮中にて庶務を扱う人が待機している場所。
5 最勝講(さいしょうかう)
・東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺の四大寺からトップクラスの僧侶を呼び寄せて、宮中で天下太平を祈る仏事。
6 御聴聞所(みちゃうもんじょ)
・「最勝講」が行われる場所。
7 御講の廬
・「廬(いお)」は臨時のテントの事だと思われる。用例が他にないため不明。
■ 現代語訳
何を考えるにしても、古き良き時代への憧れは募るばかりだ。最先端の流行は見窄らしく、野暮ったい。タンス職人の名工がつくった道具なんかも、トラディショナルなほうが存在感がある。
昔に書かれた手紙は、たとえチリ紙交換に出す物でも素晴らしい。日常生活で使う言葉なども、退化してしまったみたいだ。昔は「車を発車させてください」とか「電気をつけてください」と言っていたのに、最近では「発車!」とか「点灯!」などと言っている。照明係に「立ち上がり整列して灯りをともせ」と言えばよいものを「立ち上がって明るくしろ」と言うようになったり、世界平和を祈る儀式の特設会場に作った「大会委員本部席」を「本部」と略すようになったのは「誠に遺憾である」と頑固で古風な老人が言っていた。