第四十九段

■ 原文

老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速やかにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。

人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心もまめやかならざらん。

「昔ありける聖は、人来りて自他の要事を言ふ時、答へて云はく、「今、火急の事ありて、既に朝夕に逼れり」とて、耳をふたぎて念仏して、つひに往生を遂げけり」と、禅林の十因に侍り。心戒といひける聖は、余りに、この世のかりそめなる事を思ひて、静かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける。


■ 注釈

1 老来りて
 ・「豈(あに)聞カズヤ。古人云ハク、老ノ来ルヲ待チテ方(まさ)ニ道ヲ学スルコト莫(なか)レ。孤墳ハ尽(ことごと)ク是レ少年ノ人」と宋の円照宗本の『帰元直指集』にある。

2 やかにすべき事を緩くし
 ・「百年ノ命、朝露、奢リニ非ズ。須ラク、道ヲ為スニ、急ニスベキ所ヲ緩クシ、緩クスベキ所ヲ急ニスベシ。豈、一生自ラ誤ルニ非ズヤ」と『抄石集』に嘉祥大師の言葉を引いている。

参照:吉蔵 - Wikipedia

3 昔ありける聖は
 ・「伝ヘ聞ク。聖有リ。念仏ヲ業ト為シ、専ラ、寸分ヲ惜シム。若シ、人来リテ、自他ノ要事ヲ謂ヘバ、聖人陳ジテ曰ク、『今、火急(くわきふ)ノ事有リ。既ニ旦暮(たんぼ)ニ逼レリ』ト。耳ヲ塞ギテ念仏シ、終(つい)ニ往生スルヲ得タリト」と、『往生十因』にある。

4 十因
 ・『往生十因』。京都市左京区南禅寺寺町にある禅林寺の第七世、永観(ようかん)の著。

参照:永観 (僧) - Wikipedia

5 心戒
 ・『発心集』(鴨長明著)に「近く、心戒坊とて、居所も定めず、風雲に跡をまかせたる聖あり。俗姓は、花園殿の御末とかや。八嶋の大臣(平宗盛)の子にして、宗親とて、阿波守(あはのかみ)になされたる人なるべし」とある。平家没落後、思い立って高野山に籠もり、入宋し、下山後、陸奥地方に住み蒸発した。

参照:発心集 - Wikipedia
参照:平宗盛 - Wikipedia

6 静かについゐける
 ・「有云。心戒上人、つねに蹲居し給ふ。或人その故を問ひければ、三界六道には、心安く、尻さしすゑてゐるべき所ばきゆゑ也」と、『一言芳談』にある。「ついゐる」は、膝を付けて座ること。

参照:死生観 - Wikipedia


■ 現代語訳

ヨボヨボになってから、「仏道修行するぞ」と、時が過ぎて行くのを待っていてはならない。古い墓の多くは、夭逝した人の物である。思いがけず疾病して、たちまち「さよなら」を言う羽目になった時、初めて過失に気がついたりする。過失とは、言うまでもなく、早く処理しておけばよい事をズルズルと先延ばしにして、どうでもよい事だけは、何故だか迅速に対処してきた人生に対して、過去を悔しく思うことである。やはり、こぼれたミルクは元に戻らない。

人は、いつまでもこんな日が続かない事を、常に心に思い、いつも忘れてはならない。そうすれば、世の中のヘベレケ達に混ざって俗世間にまみれる暇もなく、仏道修行にも身が入るはずだ。

「今は昔、聖人がいた。客が訪問し自分や他人の雑多な事を話し出すと、こう答えた。『今すぐにやらねばならぬ事がある。人生の締切に追われているから、他人の話を聞いている暇などない』。そして、耳栓をして念仏を唱えながら、とうとう楽しく死んでしまうことができた」と、禅林寺の永観が書いた『往生十因』という文献で紹介されている。また、心戒という聖人は、「あまりにも、この世の人生は、不安定だ」と思って、じっと座っていることもなく、死ぬまでしゃがんでばかりいた。