第四十八段

■ 原文

光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御を出だされて食はせられけり。さて、食ひ散らしたる衝重を御簾の中へさし入れて、罷り出でにけり。女房、「あな汚な。誰にとれとてか」など申し合はれければ、「有職の振舞、やんごとなき事なり」と、返々感ぜさせ給ひけるとぞ。


■ 注釈

1 光親卿
 ・藤原光親。承久の乱において、後鳥羽上皇の命令によって幕府征伐の案文を書いた。承久の乱が終わり、斬殺された。学才に富み、後鳥羽上皇に可愛がられ、歌の名手であった。

参照:葉室光親 - Wikipedia

2 最勝講(さいしょうかう)
 ・東大寺興福寺延暦寺園城寺の四大寺からトップクラスの僧侶を呼び寄せて、宮中で天下太平を祈る仏事。

3 奉行(ぶぎゃう)
 ・天皇の命を受けて、公事を執行すること。

参照:奉行 - Wikipedia

4 供御(くご)
 ・上皇天皇、皇后、皇太子などが食すお膳。

5 衝重(ついがさね)
 ・檜の白木で四角く作ったお盆に、檜のへぎ板を折り曲げて穴を開けて作った台を付けたもの。

参照:三方 (神道) - Wikipedia

6 有職(ゆうそく)
 ・公家の儀式等の知識と、それに詳しい者。

参照:有職 - Wikipedia


■ 現代語訳

藤原光親が、仙洞御所で世界平和を祈る儀式の執行委員長をしていた時、後鳥羽上皇に呼び出された。上皇と一緒に食事をし、食べ散らかしたお膳を後鳥羽上皇のいる御簾の中に突っ込んで、退場した。宮廷のウェイトレス達が「きゃぁ、汚らしいわ。誰に片づけさせるつもりなの」と、目を細め合っていると、上皇は「伝統継承者のすることは、宮中のマナーを心得ていて、天晴れなことだ」と言って何度も感激していたそうだ。