第七十段
■ 原文
元応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにし比、菊亭大臣、牧馬を弾じ給ひけるに、座に著きて、先づ柱を探られたりければ、一つ落ちにけり。御懐にそくひを持ち給ひたるにて付けられにければ、神供の参る程によく干て、事故なかりけり。
いかなる意趣かありけん。物見ける衣被の、寄りて、放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。
■ 注釈
1 元応
・後醍醐天皇の時代。(一三一九年四月から一三二一年二月)だが、この話は文保二年(一三一八年)の出来事であった。
2 清暑堂
・平城京の大内裏にある神楽が行われる場所。御遊は音楽を奏でること。
3 玄上
・宮中に保管されていた琵琶の名器。
4 菊亭大臣
・藤原兼季(かねすえ)。太政大臣西園寺兼の息子で菊亭と称した琵琶の名手。
5 牧馬
・(3)の玄上と同じく琵琶の名器。
■ 現代語訳
後醍醐天皇の時代、平安京のコンサートホールで演奏会が開催されたのは、宮中に秘蔵されていた琵琶の名器、玄上が盗難にあった頃だった。名手、菊亭兼季が、もう一つの名器、牧馬を弾くことになった。席に座り手探りでチューニングをしていると、支柱を一本落としてしまった。菊亭は、ポケットに米を練った糊を忍ばせておいたので、修理した。準備が完了して供え物が飾り終わる頃には、よく乾いていて、演奏に差し支えはなかった。
だが、何か恨みでもあったのだろうか? 観客席から覆面女が乱入して、支柱を取り外して、元に戻して置いたという。