第六十九段

■ 原文


書写の上人は、法華読誦の功積りて、六根浄にかなへる人なりけり。旅の仮屋に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「疎からぬ己れらしも、恨めしく、我をば煮て、辛き目を見するものかな」と言ひけり。焚かるゝ豆殻のばらばらと鳴る音は、「我が心よりすることかは。焼かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。


■ 注釈

1 書写の上人
 ・性空上人。姫路市書写山円教寺を開いた高僧。

参照:圓教寺 - Wikipedia

2 六根
 ・人間の持つ六つの器官。すなわち、眼、耳、鼻、舌、体、心。

参照:三科 - Wikipedia


■ 現代語訳

円教寺性空上人は、法華教を毎日飽きずに唱えていたので、目と耳と鼻と舌と体と心が冴えてきた。旅先で仮寝の宿に入った時、豆の殻を燃やして豆を煮ているグツグツという音を「昔は一心同体の親友だった豆の殻が、どうしたことか恨めしく豆の僕を煮ている。豆の殻は、僕らを辛い目に遭わせる非道い奴だ」と言う声に聞こえたそうだ。一方、豆の殻がパチパチ鳴る音は「自ら進んでこんなことをするものか。焼かれて熱くて仕方がないのに、どうすることも出来ない。だから、そんなに怒らないでくださいな」と言う声に聞こえたらしい。