第八十六段
■ 原文
惟継中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて読経うちして、寺法師の円伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺焼かれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。いみじき秀句なりけり。
■ 注釈
2 寺
・「寺」は滋賀県大津市にある、天台宗寺門、長等山園城寺(三井寺)のこと。
4 文保
・文保三年に、比叡山延暦寺の僧侶によって三井寺が焼き落とされた。
5 三井寺
・(2)を参照。
■ 現代語訳
惟継中納言は、自然派の多彩な詩人だった。お経漬けの仏道修行をする為に、三井寺の寺法師だった円伊僧正と同棲していた。文保の時代、三井寺が延暦寺の僧侶に放火されて焼け落ちた時、惟継は、この法師に「三井寺の法師であったあなたの事を寺法師と呼んでおりましたが、寺も無くなったので、今からはただの法師と呼びましょう」と言ったそうだ。とても気の利いた慰め方だ。