第百十八段
■ 原文
鯉の羹食ひたる日は、鬢そゝけずとなん。膠にも作るものなれば、粘りたるものにこそ。
鯉ばかりこそ、御前にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉、さうなきものなり。雉・松茸などは、御湯殿の上に懸りたるも苦しからず。その外は、心うき事なり。中宮の御方の御湯殿の上の黒み棚に雁の見えつるを、北山入道殿の御覧じて、帰らせ給ひて、やがて、御文にて、「かやうのもの、さながら、その姿にて御棚にゐて候ひし事、見慣はず、さまあしき事なり。はかばかしき人のさふらはぬ故にこそ」など申されたりけり。
■ 注釈
1 鯉の羹(こひのあつもの)
・鯉で作った吸い物。(鯉こくは味噌で煮たもの)
2 膠(にかは)
・糊。
3 御湯殿(みゆどの)
・天皇が入浴する「御湯殿」の先にある食料庫及び台所。
5 北山入道殿
・中宮の父、西園寺実兼(さいおんじさだかね)。第二百三十一段の「北山太政入道殿」と同一人物。
■ 現代語訳
鯉こくを食べた日は髪の毛がボサボサにならないという。鯉の骨は接着剤の材料になるからネバネバしているのだろうか。
鯉だけは天皇の目の前で調理しても問題ない大変ありがたい魚である。鳥で言えばキジが一番リッチだ。キジやマツタケは皇居の台所にそのままぶら下がっていても見苦しくはない。その他の食材は、汚らわしく見える。ある日、中宮の台所の棚にカリが乗っているのを、お父様の北山入道が見て、帰宅早々、手紙を書いた。「キジのような下手物が、そのままの姿で棚に乗っているのを見たことがない。世間体が悪いことである。一般常識を知っている者が近くにいないからこうなる」と意見した。