第百二十二段

■ 原文

人の才能は、文明らかにして、聖の教を知れるを第一とす。次には、手書く事、むねとする事はなくとも、これを習ふべし。学問に便りあらんためなり。次に、医術を習ふべし。身を養ひ、人を助け、忠孝の務も、医にあらずはあるべからず。次に、弓射、馬に乗る事、六芸に出だせり。必ずこれをうかゞふべし。文・武・医の道、まことに、欠けてはあるべからず。これを学ばんをば、いたづらなる人といふ道、まことに、欠けてはあるべからず。これを学ばんをば、いたづらなる人といふべからず。次に、食は、人の天なり。よく味はひをへ知れる人、大きなる徳とすべし。次に細工、万に要多し。

この外の事ども、多能は君子の恥づる処なり。詩歌に巧みに、糸竹に妙なるは幽玄の道、君臣これを重くすといへども、今の世には、これをもちて世を治むる事、漸くおろかになるに似たり。金はすぐれたれども、鉄の益多きに及かざるが如し。


■ 注釈

1 六芸(りくげい)
 ・士が必須とした六つの技術。礼儀作法、音楽、射的、乗馬、習字、算数。

参照:六芸 - Wikipedia

2 人の天なり
 ・「夫(そ)レ、食ハ人ノ天タリ。農ハ政ノ本タリ」と『帝範』にある。

参照:帝範(テイハン)とは - コトバンク

3 多能は君子の恥づる処なり
 ・「吾、少(わか)キ賤シ。故ニ、鄙事(ひじ)ニ多能ナリ。君子、多(た)ナランヤ。多ナラザルナリ」と『論語』にある。

参照:論語 - Wikipedia


■ 現代語訳

人の能力は、多くの書物を吸収し儒教の教えを熟知するのが第一である。次は習字で、プロを目指すわけでなくとも教わっておいた方が良い。いずれ勉強の役に立つ。その次は医療だ。自身の健康管理だけでなく、人命を救い、人に尽くすのは、医療の他にない。その次は、武士の六つの心得にもある射的と乗馬だ。この三つの分野は、何が何でも習得しておく必要がある。学問と武道、そして医療は三つ巴であり、どれ一つとして欠落してはならない。この道を究める人を「意味のないことをする人だ」と馬鹿にする者は、馬鹿でしかない。その次に料理があるが、生命にとって太陽と同じくらい重要である。料理が上手な人は、偉大な才能を授けられたと思って良い。次に日曜大工があるが、いざという時に役立つ。

この他にも様々な能力があるが、何でもこなす超人というのは恥ずべき存在でしかない。素晴らしき詩の世界や、音楽の超絶技巧などは、知識人達がシリアスに考えがちだが、今どきアートの力で世界征服をするのは不可能に近い。純金はピカピカと光るだけで、鉄の利用価値に及ばないのと一緒である。