第百二十五段

■ 原文

人におくれて、四十九日の仏事に、或聖を請じ侍りしに、説法いみじくして、皆人涙を流しけり。導師帰りて後、聴聞の人ども、「いつよりも、殊に今日は尊く覚え侍りつる」と感じ合へりし返事に、或者の云はく、「何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなん上は」と言ひたりしに、あはれもさめて、をかしかりけり。さる、導師の讃めやうやはあるべき。

また、「人に酒勧むるとて、己れ先づたべて、人に強ひ奉らんとするは、剣にて人を斬らんとするに似たる事なり。二方に刃つきたるものなれば、もたぐる時、先づ我が頭を斬る故に、人をばえ斬らぬなり。己れ先づ酔ひて臥しなば、人はよも召さじ」と申しき。剣にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。


■ 注釈

1 四十九日の仏事
 ・中陰の最後の日の法事。

参照:中陰法要 - Wikipedia

2 導師
 ・法事の際、リーダとなり儀式を取り仕切る僧侶。ここでは或聖。


■ 現代語訳

人に先立たれ、中陰最後の法事をした時の話である。ある聖職者を呼ぶと、説法が有り難く、一同、涙を流して感動した。聖職者が帰ると聴衆は、「今日の説法は格別に有り難く、感動しました」と、思うままに話し合った。すると誰かが、「何と言っても、あれ程まで狛犬に似ていらっしゃいましたから」と言うものだから、感動も吹っ飛んでしまい、皆で笑い転げた。こんな坊さんの誉め方があるものか。

別の話に、「人に酒を飲ますと言って、自ら先に飲み、人に無理矢理飲ませる行為は、諸刃の剣で人を斬るのと似たようなものだ。両側に刃が付いているから、振りかぶると自分の頭を切る羽目になり、相手を斬りつける場合ではなくなる。自分が先に酔って倒れたら、相手は酒を飲む気も失せるだろう」と言う人がいた。剣で人を斬る実験でもした事があるのだろうか? 非常に面白い話であった。