第百三十三段

■ 原文

夜の御殿は、東御枕なり。大方、東を枕として陽気を受くべき故に、孔子も東首し給へり。寝殿のしつらひ、或は南枕、常の事なり。白河院は、北首に御寝なりけり。「北は忌む事なり。また、伊勢は南なり。太神宮の御方を御跡にせさせ給ふ事いかゞ」と、人申しけり。たゞし、太神宮の遥拝は、巽に向はせ給ふ。南にはあらず。


■ 注釈

1 夜の御殿(よるのおとど
 ・清涼殿の天皇の寝室。

参照:夜御殿 - Wikipedia

2 東御枕(ひがしみまくら)
 ・「夜御殿ハ、四方ニ妻戸アリ。南ノ大妻戸ハ、一間ナリ。御帳ハ、清涼殿ト同ジク、東枕ナリ」と、『禁秘抄』にある。

参照:禁秘抄 - Wikipedia

3 孔子も東首
 ・「疾(やまひ)アルニ、君、之ヲ視レバ、東首ニシテ、朝服ヲ加ヘ、紳ヲ拖(ひ)ク」と『論語』にある。

参照:論語 - Wikipedia

4 白河院
 ・白河上皇

参照:白河天皇 - Wikipedia


■ 現代語訳

天皇の寝床は東枕である。当然だが、東に向けた顔に朝日を浴びて目覚めると気分がよい。だから孔子も東枕をした。だから、寝床の間取りは東枕か南枕にするのが一般的だ。白河上皇は北枕で眠った。「北枕は縁起が悪く、南向きの伊勢神宮に足を向けて眠るのはいかがな事でしょうか?」と、ある人がケチをつけたそうだ。だが、伊勢神宮の神殿は南東向きで、南ではない。