第百三十二段

■ 原文

鳥羽の作道は、鳥羽殿建てられて後の号にはあらず。昔よりの名なり。元良親王、元日の奏賀の声、甚だ殊勝にして、大極殿より鳥羽の作道まで聞えけるよし、李部王の記に侍るとかや。


■ 注釈

1 鳥羽の作道(とばのつくりみち)
 ・九条の四ツ塚から上鳥羽、下鳥羽への道。

参照:鳥羽作道 - Wikipedia

2 鳥羽殿
 ・白河天皇が造営した御所。

参照:鳥羽離宮 - Wikipedia

3 元良親王
 ・陽成天皇の第一子。歌人で『元良親王集』がある。

参照:元良親王 - Wikipedia

4 大極殿
 ・天皇が下界を見下ろす高台。

参照:大極殿 - Wikipedia

5 李部王
 ・醍醐天皇の皇子で、式部卿重明親王

参照:重明親王 - Wikipedia
参照:吏部王記 - Wikipedia


■ 現代語訳

鳥羽新街道は鳥羽宮殿が造営された後につけられた呼び方ではない。昔からある名前なのだ。「元良親王一般参賀で演説した声が透き通るようで、高台の上から鳥羽新街道まで聞こえ届いた」と、鳥羽宮殿が造営される前に記された、重明親王の日記に書いてあったそうだ。