第百四十一段

■ 原文

悲田院尭蓮上人は、俗姓は三浦の某とかや、双なき武者なり。故郷の人の来りて、物語すとて、「吾妻人こそ、言ひつる事は頼まるれ、都の人は、ことうけのみよくて、実なし」と言ひしを、聖、「それはさこそおぼすらめども、己れは都に久しく住みて、馴れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて、心柔かに、情ある故に、人の言ふほどの事、けやけく否び難くて、万え言ひ放たず、心弱くことうけしつ。偽りせんとは思はねど、乏しく、叶はぬ人のみあれば、自ら、本意通らぬ事多かるべし。吾妻人は、我が方なれど、げには、心の色なく、情おくれ、偏にすぐよかなるものなれば、始めより否と言ひて止みぬ。賑はひ、豊かなれば、人には頼まるゝぞかし」とことわられ侍りしこそ、この聖、声うち歪み、荒々しくて、聖教の細やかなる理いと辨へずもやと思ひしに、この一言の後、心にくゝ成りて、多かる中に寺をも住持せらるゝは、かく柔ぎたる所ありて、その益もあるにこそと覚え侍りし。


■ 注釈

1 悲田院
 ・京の西と東に造られた孤児や老人を教育、治療するための複合型福祉施設

参照:悲田院 - Wikipedia

2 尭蓮上人
 ・伝未詳


■ 現代語訳

悲田院の尭蓮上人は、またの名を「三浦何とか」と言い、無敵のサムライだった。ある日、故郷から客が来たので語り合ったところ、「東京者が言ったことは信用できるが、京都の奴らは口先ばかりで信用ならん」という話題になった。尭蓮聖は、「あなたはそう思うかも知れませんが、長く京都に馴染むと、とりわけ都会の人間の心が荒んでいるようには思えません。京都の者は皆、心が優しくて情にもろいから、人からお願いされてしまうと無下に断れないようです。気が弱く言葉に詰まって頼み事を承諾してしまうのです。約束を破ろうとは微塵も思っていないのですが、貧乏で生活もままならないから、自然と思い通りにならないのです。東京の田舎者は、私の故郷の人々ですが、実は、心に血が通ってなく、愛情が軽薄で偏屈頑固だから、最初から嫌だと言って終わりにします。田舎者は財産を貯め込んでいて裕福な人が多いので、カモにされているだけなのです」と説き伏せた。この聖は、話し方に訛りがあり、荒削りで、仏の教えを細部まで理解していないように見えた。しかし、この話を聞いて聖のことが好きになった。大勢いる法師の中で寺を持つことができたのも、このような柔軟な心の持ち主だった結果であろう。