第百七十一段

■ 原文

貝を覆ふ人の、我が前なるをば措きて、余所を見渡して、人の袖のかげ、膝の下まで目を配る間に、前なるをば人に覆はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。碁盤の隅に石を立てて弾くに、向ひなる石を目守りて弾くは、当らず、我が手許をよく見て、こゝなる聖目を直に弾けば、立てたる石、必ず当る。

万の事、外に向きて求むべからず。たゞ、こゝもとを正しくすべし。清献公が言葉に、「好事を行じて、前程を問ふことなかれ」と言へり。世を保たん道も、かくや侍らん。内を慎まず、軽く、ほしきまゝにして、濫りなれば、遠き国必ず叛く時、初めて謀を求む。「風に当り、湿に臥して、病を神霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるが如し。目の前なる人の愁を止め、恵みを施し、道を正しくせば、その化遠く流れん事を知らざるなり。禹の行きて三苗を征せしも、師を班して徳を敷くには及かざりき。


■ 注釈

1 貝を覆ふ
 ・貝合わせの事。

参照:貝合わせ - Wikipedia

2 聖目
 ・碁盤の目に打ってある九つの黒点

参照:置き碁 - Wikipedia

3 清献公
 ・宋の大臣、趙抃(ちょうべん)の諡。仁宗、英宗、神宗の三代に仕えた。

4 禹
 ・中国古代の王様。

参照:禹 - Wikipedia

5 三苗
 ・苗族ともいい、中国五大の異民族。凶暴で中国政府に反抗したが次第に駆逐される。

参照:「三苗」を編集中 - Wikipedia


■ 現代語訳

神経衰弱をする人が、目の前のカードをなおざりにして、よそ見をし、他人の袖の影や膝の下を見渡していると、目の前のカードを取られてしまう。上手な人は、他人の近くを無理矢理に取るように見えず、近くのカードばかり取っているようだが、結局、多くのカードを取る。ビリヤードも台のカドに球を置いて、一番遠くの球をめがけて突いても空振りだ。自分の手元に注意して、近くにある球へ筋道を定めれば、ナインボールもポケットに落ちる。

全ての事は、外側に向かって求めると駄目になる。ただ、身の回りを固めるだけでよい。清献公の言葉にも、「今の瞬間を最善に過ごし、未来のことを人に聞くな」とある。政治も同じ事だ。政府が、政治を疎かにし、軽はずみな態度で、身勝手で、堕落していたら、地方は必ず反逆に出る。そうなってから緊急対策を練っても手遅れだ。「自堕落な生活をし、自ら進んで病気になってから、神に病気を治してくれと願うのは、バカでしかない」と医学書にも書いてある。目の前の人の苦しみを取り除き、餓えを満たし、正しく導けば、その教えが広がって、少しずつ世界を変えるムーブメントになっていくのを知らないのだ。禹は、苗族を滅ぼそうとしたが失敗した。その後、軍隊を引き上げて自国を良く治めたから、自然と苗族も見習い、感化されたのだろう。