第二百二十一段

■ 原文

「建治・弘安の比は、祭の日の放免の附物に、異様なる紺の布四五反にて馬を作りて、尾・髪には燈心をして、蜘蛛の網書きたる水干に附けて、歌の心など言ひて渡りし事、常に見及び侍りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍りしか」と、老いたる道志どもの、今日も語り侍るなり。

この比は、附物、年を送りて、過差殊の外になりて、万の重き物を多く附けて、左右の袖を人に持たせて、自らは鉾をだに持たず、息づき、苦しむ有様、いと見苦し。


■ 注釈

1 建治・弘安の比
 ・建治は千二百七十五年から七十八年、弘安は千二百七十八年から八十八年。後宇多天皇の時代。

参照:建治 - Wikipedia
参照:弘安 - Wikipedia
参照:後宇多天皇 - Wikipedia


■ 現代語訳

後宇多天皇の時代には、葵祭りの警備をする放免人が持つ槍に、変梃な飾りを付けていた。紺色の布を、着物にして四・五着ぶん使って馬を作り、尾や鬣はランプの芯を使い、蜘蛛の巣を書いた衣装などを付け、短歌の解釈などを言いながら練り歩いた姿をよく見た。面白いことを考えたものだ」と、隠居した役人達が、今でも昔話する。

近頃では、年々贅沢になり、この飾りも行き過ぎたようだ。色々と重たい物を、いっぱい槍にぶらさげて、両脇を支えられながら、本人は槍さえ持てずに息を切らせて苦しがっている。とても見るに堪えない。