第一段

■ 原文

いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多かンめれ。

御門の御位は、いともかしこし。竹の園生の、末葉まで人間の種ならぬぞ、やんごとなき。一の人の御有様はさらなり、たゞ人も、舎人など賜はるきはは、ゆゝしと見ゆ。その子・うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。

法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるゝよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢まうに、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀聖の言ひけんやうに、名聞ぐるしく、仏の御教にたがふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。

人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向はまほしけれ。

めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性見えんこそ、口をしかるべけれ。しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才なく成りぬれば、品下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。

ありたき事は、まことしき文の道、作文・和歌・管絃の道。また、有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙からず走り書き、声をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ、男はよけれ。


■ 注釈

1 竹の園生
 ・史記(漢の時代の史書)に「漢の文帝の子の梁の孝王が庭園に竹を多く植えた」という故事があり、皇族の子孫のこと。

参照:http://ext.dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/123989/m0u/%E3%81%A1%E3%81%8F/

2 清少納言
 ・平安時代の作家、歌人。日本三大エッセーの『枕草子』を記す。ちなみに『徒然草』もこの一つ。ほかに鴨長明の『方丈記』がある。

参照:清少納言 - Wikipedia

3 増賀聖
 ・蔵賀【ぞうが】比叡山の僧侶。名誉を嫌って隠遁していた。

参照:蔵賀 - Wikipedia

4 有職
 ・(ゆうそく)公家の儀式等の知識と、それに詳しい者。

参照:有職 - Wikipedia



■ 現代語訳

さて人間は、この世に産み落とされたら、誰にだって「こういう風になりたい」という将来のビジョンが沢山あるようだ。

皇帝ともなるとあまりにも畏れ多いので語るまでもない。竹林で育った竹が、その先端まで竹であるのと同じで、皇帝の系譜は、その末端まで遺伝子を受け継ぐ。その遺伝子が人間を超越して、もう訳が分からないものになっているのはとても聖なることだ。政界のナンバーワンである、摂政関白大臣の外見が尊いことも説明する必要がなく、それ以下のプチブルの皇族を警備させていただける身分の人でさえも偉そうに見える。その人の子供や孫がその後、没落してしまったとしても、それはそれで魅力があるように思われる。もっと身分が低い人たちは、やはり身分相応で、たまたまラッキーなことが重って出世したわりには、得意げな顔をして自分では「偉くなったもんだ」と思っているのだが、他人から「馬鹿だ」と思われている。

坊さんくらい、他人から見ると「ああはなりたくない」と思われるものはない。「人から、その頼りなさに樹木の末端のように思われる」と清少納言が、『枕草子』に書いているのも、本当に同意してしまう。出世した坊さんが偉そうに調子に乗っているのは、見た目にも立派ではない。蔵賀先生が言っていたように「名誉とか、人からどう見られるか、などで忙しくなってしまって、仏様のご希望に添えなくなっている」と思ってしまう。それとは対極に、もうどうでもよくなってしまうまで、世の中のことを捨ててしまった人は、なんだか輝かしい人生を歩んでいるように感じられる。

現実を生きている人としては、顔、スタイルが優れているのが一番よいに決まっている。そういう人は、何気なく何かを言ったとしても嫌みな感じもしないし、うっとりとさせてくれて、言葉数の少ない人であったとしたら、無言のままいつまでも向かい合っていたいものだ。

「立派な人かもしれない」と尊敬していても、その人の幻滅してしまうような本性を見つけてしまったらショックを受けてしまうに違いない。「家柄が良い」とか「美形の遺伝子を受け継いだ」とか、そういうことは産んでくれた両親と深く関わっているから仕方がないが、心のことは努力して「スキルアップしよう」と思えば、達成できないこともない。見た目や性格が素敵な人であったとしても、お勉強が足りないと、育ちの悪い生活態度が顔に滲み出ている人の中に混ざってしまうと赤く染まってしまうので、とても残念だ。

本当に必要な未来のビジョンとは、アカデミックな学問の世界、漢詩の創作、短歌、音楽の心得、そうして基本的なマナーで、人々からお手本にされるくらいになるのが、なんといっても一番だ。お習字なども優雅にすらすらと書けて、歌もうまくリズム感があって、はにかみながらお酌を断るのだけど、実は嫌いじゃないのが、本当に格好いい男の子なのである。