第八段

■ 原文

世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。

匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。


■ 注釈

1 九米の仙人
 ・大和の国の竜門寺にて飛行の術の修行を行っていた。「後ニ久米モ既ニ仙ニ成リテ、空ニ昇リテ飛ビテ渡ル間、吉野河ノ辺(ほとり)ニ、若キ女、衣ヲ洗ヒテ立テリ。衣ヲ洗フトテ、女ノ、脛(はぎ)マデ衣ヲ掻キ上ゲタルニ、脛ノ白カリケルヲ見テ、久米、心穢テ、其ノ女ノ前ニ落チヌ」と『今昔物語』にある。


■ 現代語訳

男の子を狂わせる事といえば、なんと言っても性欲がいちばん激しい。男心は節操がなく身につまされる。

香りなどはまやかしで、朝方に洗髪したシャンプーのにおいだとわかっていても、あのたまらなくいいにおいにはドキドキしないではいられない。「空飛ぶ術を身につけた仙人が、足で洗濯をしている女の子のふくらはぎを見て、仙人からただの厭らしいおっさんになってしまい空から降ってきた」とかいう話がある。二の腕やふくらはぎが、きめ細やかでぷるぷるしているのは、女の子の生の可愛さだから妙に納得してしまう。