第十八段

■ 原文

人は、己れをつゞまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。

唐土に許由といひける人は、さらに、身にしたがへる貯へもなくて、水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に掬びてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。孫晨は、冬の月に衾なくて、藁一束ありけるを、夕べにはこれに臥し、朝には収めけり。

唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記し止めて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。


■ 注釈

1 唐土(もろこし)
 ・昔の中国。

2 許由(きょゆう)
 ・中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者。

参照:許由 - Wikipedia

3 孫晨
 ・『古注蒙求』に「三輔決録(さんぽけつろく)ニ孫晨、字ハ元公(げんこう)。家貧シク、蓆(むしろ)を織リテ業ト為ス。詩書ニ明ラカナリ。京兆(けいてふ)ノ功曹ト為ル。冬月、被(ふすま)無ク、藁一束アリ。暮ニ臥シ。朝ニ収ム」とある。


■ 現代語訳

人は、無くても良い物を持ったりせず、欲張るのをやめて、貴金属も持たず、「他人が羨むようになりたい」などと考えないことが一番偉い。今日まで人格者が高額納税者になったなどという話は、お伽噺でしか聞いたことがない。

昔、中国に許由さんという人がいた。その人は身の回りの所持品がなかったから、水は手で掬って飲んでいた。それを見た人が、柄杓を買い与え、木の枝にかけておくという余計なお世話をした。すると、柄杓は風に吹かれてカラカラと音を立てるので、許由さんは「うるせぇ」とおっしゃって、柄杓を投げ捨ててしまった。そうして、また手で掬って水を飲んでいたそうな。きっと許由さんは、せいせいした気持ちだったに違いない。また、孫晨さんという人は、クソ寒い冬の季節にも、お布団がなかったので、納豆みたいに藁にくるまって寝て、朝が来ると藁を片づけたという。

昔々の中国人は、こんなことが伝説に値すると思ったから本に書いたのだろう。この近所に住んでいる人なら、こんな話は素通りして語り伝えたりはしない。