第四十二段
■ 原文
唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧ありけり。気の上る病ありて、年のやうやう闌くる程に、鼻の中ふたがりて、息も出で難かりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額なども腫れまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は、坊の内の人にも見えず籠りゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。
かゝる病もある事にこそありけれ。
■ 注釈
1 唐橋中将(からはしのちゅうじゃう)
・源雅清。中将は近衛の中将。源通資(みなもとのみちすけ)の子。
2 行雅僧都(ぎゃうがそうづ)
・不詳。僧都は層の位で、僧正に次ぐ。
3 教相(けうさう)
・真言密教の教理を掘り下げて追求する学問。
4 二の舞の面
・舞楽で舞う際に用いる、細面で腫れぼったい顔のお面。
■ 現代語訳
唐橋中将雅清という人の息子に、行雅僧徒という、密教の教理を志す学生の先生をやっていた坊さんがいた。すぐに逆上する病気で、年がら年中のぼせていた。だんだん老化するにつれて、鼻が詰まってきて呼吸困難になった。いろんな治療は一通りやったが、余計にひどくなってきた。ついには目と眉と額もやたらと腫れてあがってきて、顔を覆い被さってしまったので、視界が塞がり、変なお面のようになってしまった。すごく恐ろしい鬼のような顔で、目玉は頭のてっぺん、おでこが鼻に付いている。仕舞いには、寄宿舎の坊さんたちにも顔を見せないようになり、どこかに隠遁していたが、数年後、本当にひどくなって死んでしまった。
世の中には変わった病気もあるものだ。