第四十四段

■ 原文

あやしの竹の編戸の内より、いと若き男の、月影に色あひさだかならねど、つやゝかなる狩衣に濃き指貫、いとゆゑづきたるさまにて、さゝやかなる童ひとりを具して、遥かなる田の中の細道を、稲葉の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かん方知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹き止みて、山のきはに惣門のある内に入りぬ。榻に立てたる車の見ゆるも、都よりは目止る心地して、下人に問へば、「しかしかの宮のおはします比にて、御仏事など候ふにや」と言ふ。

御堂の方に法師ども参りたり。夜寒の風に誘はれくるそらだきものの匂ひも、身に沁む心地す。寝殿より御堂の廊に通ふ女房の追風用意など、人目なき山里ともいはず、心遣ひしたり。

心のまゝに茂れる秋の野らは、置き余る露に埋もれて、虫の音かごとがましく、遣水の音のどやかなり。都の空よりは雲の往来も速き心地して、月の晴れ曇る事定め難し。


■ 注釈

1 狩衣(かりぎぬ)
 ・貴族の普段着で襟が丸い。着用時は烏帽子をつける。

参照:狩衣 - Wikipedia

2 指貫(さしぬき)
 ・平絹、綾織り物で仕立て、裾を紐で指し抜いて着用する袴。

参照:袴 - Wikipedia

3 惣門
 ・貴族邸宅の正門。

参照:門 - Wikipedia

4 御堂
 ・邸宅の仏壇を置く場所。

5 追風用意
 ・追い風のように、お香を衣類に薫きしめて。

6 遣水(やりみず)
 ・庭に水を運ぶ水路。


■ 現代語訳

ボロボロな竹で編んだ扉の中から、とても若い男の子が出てきた。月明かりではどんな色なのか判別できないが、つやつや光る上着に濃紫の袴を着けている。案内の子供を引き連れて、どこまでも続く田園の小径を、稲の葉の露に濡れながらも、かき分けて、とても由緒ありげに歩いている。歩きながら、この世の物とは思えない音色で笛を演奏していた。その音色を「素敵な演奏だ」と聴く人もいないと思い、どこに行くのか知りたくて、尾行することにした。笛を吹く音も止んで、山の端にある、お寺の大きな正門の中へ消えていった。駐車場に停めてある車を見ても、ここは田舎だから、都会よりも目立つので、召使いに尋ねてみると「何とかの宮がいらっしゃる時なので、法事でもあるのかもしれません」と答えた。

お堂の方には坊さんたちが集まっている。冷たい夜風に誘われる薫き物の香りが、体の芯まで染み込んでいく気分である。母屋からお堂まで続く渡り廊下を行き交う、お手伝いの女の子たちの残り香なども、誰に見せたりするでもない山里だけど、細部まで気が利いている。

全て自由に茂っている野草たちは、置き場に困るほどの夜露に埋もれ、虫が何かを訴えるように啼き、庭を流れる人工の河川の水の音ものどかである。都会の空よりも流れていく雲が速いような気がして、夜空に月が点滅している。