第四十七段

■ 原文

或人、清水へ参りけるに、老いたる尼の行き連れたりけるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、「尼御前、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、応へもせず、なほ言ひ止まざりけるを、度々問はれて、うち腹立ちて「やゝ。鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養君の、比叡山に児にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。

有り難き志なりけんかし。


■ 注釈

1 清水
 ・京都市東山区にある、音羽山清水寺

参照:清水寺 - Wikipedia

2 くさめ
 ・くしゃみをしたときに唱える、まじないの呪文。「休息命(くそみょう)」を早口で言った言葉。

参照:くしゃみ - Wikipedia

3 養君
 ・乳母が養育した貴族のご子息。

5 比叡山(ひえのやま)
 ・比叡山延暦寺

参照:延暦寺 - Wikipedia
参照:http://www.hieizan.or.jp/enryakuji/jcont/access/virtual/index.html


■ 現代語訳

ある人が清水寺に、お詣りに出かけた。一緒についてきた年寄りの尼さんが道すがら、「くさめ、くさめ」言い続けてやめない。「婆さんや、何をそんなにのたまわっているのだ」と尋ねても、老いた尼さんは返事もせず、気がふれたままだ。何度も尋ねられると、老いた尼さんも逆上して、「ええい、うるさい。答えるのも面倒くさい。くしゃみをしたときに、このまじないをしなければ、死んでしまうと言うではないか。あたしが世話した坊ちゃまは賢くて、比叡山で勉強しているんだ。坊ちゃまが、今くしゃみをしたかも知れないと思うと気が気でないから、こうやってまじないをしているのだ」と言った。

殊勝なまでの心入れをする変人がいたもんだ。