第百五段
■ 原文
北の屋蔭に消え残りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せたる車の轅も、霜いたくきらめきて、有明の月、さやかなれども、隈なくはあらぬに、人離れなる御堂の廊に、なみなみにはあらずと見ゆる男、女となげしに尻かけて、物語するさまこそ、何事かあらん、尽きすまじけれ。
かぶし・かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ匂ひのさと薫りたるこそ、をかしけれ。けはひなど、はつれつれ聞こえたるも、ゆかし。
■ 注釈
1 車の轅
・車に牛をつなぐために長くした二本の棒。
2 御堂
・邸宅の仏壇を置く場所。
■ 現代語訳
陽当たりの悪い北の屋根に残雪がカチカチと凍っている下で、停車してある牛車の取っ手の霜がキラキラと輝いている。明け方の月が頼りなさそうに光っているのだけど、時折雲隠れする。人目を離れたお堂の廊下で、大層な身分の男が、女と柵に腰掛けて語り合っているのだが、何を話しているのだろう。話は尽きそうにない。
女の顔、姿がとても美しく見え、何とも言えない良い香りをばらまいているのだから、たまらない。聞こえてくる話し声が、時々フェードアウトして、何ともくすぐったい気分になる。