第百十四段

■ 原文

今出川の大殿、嵯峨へおはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸、御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板までさゝとかゝりけるを、為則、御車のしりに候ひけるが、「希有の童かな。かゝる所にて御牛をば追ふものか」と言ひたりければ、大殿、御気色悪しくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭を打ち当てられにけり。この高名の賽王丸は、太秦殿の男、料の御牛飼ぞかし。

この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。


■ 注釈

1 今出川の大殿
 ・太政大臣西園寺公相(さいおんじきんすけ)。

参照:西園寺公相 - Wikipedia

2 嵯峨
 ・京都市右京区嵯峨の場所。

参照:嵯峨野 - Wikipedia

3 有栖川
 ・嵯峨にあった地名。

参照:有栖川駅 - Wikipedia

4 賽王丸(さいわうまる)
 ・西園寺家の、公経(きんつね)、実氏(さねうじ)、公相の三代に仕えた牛飼い。

参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%BF%E7%89%9B%E7%B5%B5%E8%A9%9E

5 あがきの水
 ・牛が地面を蹴って跳ねた水。

6 為則
 ・伝未詳。公相の家来か。

7 太秦殿(うづまさどの)
 ・藤原信清。内大臣

参照:坊門信清 - Wikipedia

8 料の御牛飼
 ・後嵯峨院に仕えた御牛飼。


■ 現代語訳

今出川の大臣が嵯峨へ出かけた時に、有栖川あたりの泥濘んだ場所で運転手の賽王丸が牛を追ったので、牛が蹴り上げる水が車のフロントバンパーに飛び散った。後部座席に乗っていた、大臣の舎弟の為則が「おのれ、こんなところで牛を追う馬鹿がいるか」と罵ったので、大臣はにわかに機嫌が悪くなり「お前が車の運転をしたところで賽王丸に及ぶまい。お前が本当の馬鹿者だ」と言い放ち、車に為則の頭を打ち付けた。噂の賽王丸とは、内大臣、藤原信清の家来で、元は皇室のお抱え運転手であった。

信清内大臣に仕える女中は、今となっては何のことだか分からないが、一人は膝幸、一人はこと槌、一人は抱腹、一人は乙牛と、牛にちなんだ名前が付いていた。