第百二十六段

■ 原文

最明寺入道、鶴岡の社参の次に、足利左馬入道の許へ、先づ使を遣して、立ち入られたりけるに、あるじまうけられたりける様、一献に打ち鮑、二献に海老、三献にかいもちひにて止みぬ。その座には、亭主夫婦、隆辨僧正、主方の人にて座せられけり。さて、「年毎に給はる足利の染物、心もとなく候ふ」と申されければ、「用意し候ふ」とて、色々の染物三十、前にて、女房どもに小袖に調ぜさせて、後に遣されけり。

その時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍りしなり。


■ 注釈

1 最明寺入道
 ・北条時頼。第百八十四段に登場。鎌倉幕府五代目の執権である。三十歳で執権を辞し、出家。道崇と称す。

参照:第百八十四段 - 徒然草 (新訂ブログ版)

2 鶴岡
 ・鶴岡八幡宮鎌倉市にある。

参照:鶴岡八幡宮 - Wikipedia

3 足利左馬入道
 ・足利義氏。足利家三代目当主。

参照:足利義氏 (足利家3代目当主) - Wikipedia

4 隆辨僧正
 ・四条大納言隆房卿の子。権僧正。鶴岡別当僧正と呼ばれる。

参照:隆弁 - Wikipedia


■ 現代語訳

北条時頼鶴岡八幡宮へ参拝したついでに、足利義氏のところへ、「これから伺います」と使いを出して立ち寄った。主の義氏が用意した献立は、お銚子一本目に、アワビ、お銚子二本目に、エビ、お銚子三本目に、蕎麦がきだった。この宴席には、主人夫婦の他に、隆弁僧正が出席して座っていた。宴もたけなわになると、時頼は、「毎年頂く、足利地方の染め物が待ち遠しくて仕方ありません」と言うのだった。義氏は「用意してあります」と、百花繚乱に染め上がった三十巻の反物を広げ、その場で女官に、シャツに仕立てさせて、後で送り届けたそうだ。

それを見ていた人が最近まで生きていて、その話をしてくれた。