第二百三十二段

■ 原文

すべて、人は、無智・無能なるべきものなり。或人の子の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言ふとて、史書の文を引きたりし、賢しくは聞えしかども、尊者の前にてはさらずともと覚えしなり。また、或人の許にて、琵琶法師の物語を聞かんとて琵琶を召し寄せたるに、柱の一つ落ちたりしかば、「作りて附けよ」と言ふに、ある男の中に、悪しからずと見ゆるが、「古き柄杓の柄ありや」など言ふを見れば、爪を生ふしたり。琵琶など弾くにこそ。盲法師の琵琶、その沙汰にも及ばぬことなり。道に心得たる由にやと、かたはらいたかりき。「柄杓の柄は、檜物木とかやいひて、よからぬ物に」とぞ或人仰せられし。

若き人は、少しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。


■ 注釈

1 琵琶法師
 ・『平家物語』を琵琶の伴奏で聞かせる盲目の僧侶。

参照:琵琶法師 - Wikipedia


■ 現代語訳

人間は何事も知らず、出来ず、馬鹿のふりをしたほうが良い。ある賢そうな子供がいた。父親がいる前で人と話すので中国の史書から話題を引いていた。利口には見えたが、目上の人の前だといっても、そこまで背伸びすることもなかろうと思われた。また、ある人の家で琵琶法師の物語を聞こうと琵琶を取り寄せたら柱が一つ取れていた。「柱を作って付けなさい」と言うと、会場にいた人格者にも見えなくはない男が、「使わない柄杓の柄はないか」と立ち上がった。爪を伸ばしているから、この男も琵琶を弾くのだろう。だが、盲目の法師が弾く琵琶に、そこまで気を遣うこともない。琵琶を心得たつもりでいるのだろうと思えば、片腹痛くなった。「柄杓の柄は、わっぱ細工だから琵琶の柱になどにできる物ではない」という説もある。

若者は、わずかなことで、よく見え、悪くも見える。