2009-07-18から1日間の記事一覧

第二百三十七段

■ 原文柳筥に据うる物は、縦様・横様、物によるべきにや。「巻物などは、縦様に置きて、木の間より紙ひねりを通して、結い附く。硯も、縦様に置きたる、筆転ばず、よし」と、三条右大臣殿仰せられき。 勘解由小路の家の能書の人々は、仮にも縦様に置かるゝ事…

第二百三十六段

■ 原文丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。御前なる獅…

第二百三十五段

■ 原文主ある家には、すゞろなる人、心のまゝに入り来る事なし。主なき所には、道行人濫りに立ち入り、狐・梟やうの物も、人気に塞かれねば、所得顔に入り棲み、木霊など云ふ、けしからぬ形も現はるゝものなり。また、鏡には、色・像なき故に、万の影来りて…

第二百三十四段

■ 原文人の、物を問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのまゝに言はんはをこがましとにや、心惑はすやうに返事したる、よからぬ事なり。知りたる事も、なほさだかにと思ひてや問ふらん。また、まことに知らぬ人も、などかなからん。うらゝかに言ひ聞かせたら…

第二百三十三段

■ 原文万の咎あらじと思はば、何事にもまことありて、人を分かず、うやうやしく、言葉少からんには如かじ。男女・老少、皆、さる人こそよけれども、殊に、若く、かたちよき人の、言うるはしきは、忘れ難く、思ひつかるゝものなり。万の咎は、馴れたるさまに…

第二百三十二段

■ 原文すべて、人は、無智・無能なるべきものなり。或人の子の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言ふとて、史書の文を引きたりし、賢しくは聞えしかども、尊者の前にてはさらずともと覚えしなり。また、或人の許にて、琵琶法師の物語を聞かんと…

第二百三十一段

■ 原文園の別当入道は、さうなき庖丁者なり。或人の許にて、いみじき鯉を出だしたりければ、皆人、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかゞとためらひけるを、別当入道、さる人にて、「この程、百日の鯉を切り侍るを、今日欠き侍るべ…

第二百三十段

■ 原文五条内裏には、妖物ありけり。藤大納言殿語られ侍りしは、殿上人ども、黒戸にて碁を打ちけるに、御簾を掲げて見るものあり。「誰そ」と見向きたれば、狐、人のやうについゐて、さし覗きたるを、「あれ狐よ」とどよまれて、惑ひ逃げにけり。未練の狐、…

第二百二十九段

■ 原文よき細工は、少し鈍き刀を使ふと言ふ。妙観が刀はいたく立たず。 ■ 注釈1 妙観(めうくわん) ・大阪府箕面市にある勝尾寺の観音像と四天王像を彫刻した僧。参照:勝尾寺 - Wikipedia ■ 現代語訳名匠は少々切れ味の悪い小刀を使うという。妙観が観音…

第二百二十八段

■ 原文千本の釈迦念仏は、文永の比、如輪上人、これを始められけり。 ■ 注釈1 千本 ・京都市上京区千本にある瑞応山大報恩寺。通称千本釈迦堂。参照:大報恩寺 - Wikipedia2 釈迦念仏 ・「南無釈迦牟尼仏」と、釈尊の名号を唱えて菩提を祈願する念仏。二月…

第二百二十七段

■ 原文六時礼讃は、法然上人の弟子、安楽といひける僧、経文を集めて作りて、勤めにしけり。その後、太秦善観房といふ僧、節博士を定めて、声明になせり。一念の念仏の最初なり。後嵯峨院の御代より始まれり。法事讃も、同じく、善観房始めたるなり。 ■ 注釈…

第二百二十六段

■ 原文後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉ありけるが、楽府の御論議の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、五徳の冠者と異名を附きにけるを、心憂き事にして、学問を捨てて遁世したりけるを、慈鎮和尚、一芸ある者をば、下部までも召し置きて…

第二百二十五段

■ 原文多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に興ある事どもを選びて、磯の禅師といひける女に教へて舞はせけり。白き水干に、鞘巻を差させ、烏帽子を引き入れたりければ、男舞とぞ言ひける。禅師が娘、静と言ひける、この芸を継げり。これ、白拍子の根…

第二百二十四段

■ 原文陰陽師有宗入道、鎌倉より上りて、尋ねまうで来りしが、先づさし入りて、「この庭のいたすらに広きこと、あさましく、あるべからぬ事なり。道を知る者は、植うる事を努む。細道一つ残して、皆、畠に作り給へ」と諌め侍りき。まことに、少しの地をもい…

第二百三十八段

■ 原文御随身近友が自讃とて、七箇条書き止めたる事あり。皆、馬芸、させることなき事どもなり。その例を思ひて、自賛の事七つあり。 一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の辺にて、男の、馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒…