第八十段

■ 原文

人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は、兵の道を立て、夷は、弓ひく術知らず、仏法知りたる気色し、連歌し、管絃を嗜み合へり。されど、おろかなる己れが道よりは、なほ、人に思ひ侮られぬべし。

法師のみにもあらず、上達部・殿上人・上ざままで、おしなべて、武を好む人多かり。百度戦ひて百度勝つとも、未だ、武勇の名を定め難し。その故は、運に乗じて敵を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。兵尽き、矢窮りて、つひに敵に降らず、死をやすくして後、初めて名を顕はすべき道なり。生けらんほどは、武に誇るべからず。人倫に遠く、禽獣に近き振舞、その家にあらずは、好みて益なきことなり。


■ 注釈

1 兵(つはもの)
 ・武道、武術。

参照:武道 - Wikipedia

2 夷(えびす)
 ・関東の武士。

参照:夷 - Wikipedia

3 連歌
 ・短歌の五七五と七七の句を交互に作っていく遊び。

参照:連歌 - Wikipedia

4 上達部(かんだちめ)
 ・三位以上、参議以上の公卿。

参照:公卿 - Wikipedia

5 殿上人(てんじゃうびと)
 ・清涼殿、殿上の間に上ることを許された四位、五位の蔵人。

参照:殿上人 - Wikipedia

6 上ざま
 ・下ざまの反意語。上流階級。

参照:上流階級 - Wikipedia

7 百度(ももたび)戦ひて百度勝つとも
 ・戦う度に、全勝しても。「其ノ故ニ、百戦・百勝スルハ、善ノ善ナルモノニ非ルナリ。戦ハズシテ、人ノ兵ヲ屈スルハ、善ノ善ナルモノナリ」と『孫子』にある。

参照:孫子 - Wikipedia

8 兵尽き、矢窮りて
 ・武器が尽きて、矢が尽きても。「兵尽キ、矢窮リテ、人、尺鉄無キモ、猶、復(また)、徒首奮呼(としゅふんこ)シ、争ヒテ先登ヲ為ス」と『文選』にある。

参照:文選 (書物) - Wikipedia

9 人倫
 ・人類、人間のこと。

参照:人道 - Wikipedia


■ 現代語訳

誰にでも、自分とは縁が無さそうな分野に首を突っ込みたくなる傾向があるようだ。坊主が屯田兵まがいの事をしたり、弓の引き方も知らない武士が、さも仏の道に通じているような顔をして、連歌をし、音楽を嗜む。そういう事は、怠けている自分の本業よりも、より一層、バカにされることであろう。

宗教家に限ったことではない。政治家や公家、上流階級の者まで、取り憑かれたように戦闘的な人が多い。しかし、例え百戦錬磨であっても、その勇気を称える人はいないだろう。なぜなら、ラッキーな事が重なって敵をバタバタと薙ぎ倒している最中は、勇者という言葉さえ出てこない。武器を使い果たし、弓が尽きても、最後まで降参することなく、気持ちよく死んだ後に、初めて勇者の称号が与えられるからだ。生きている人間は、戦闘力を誇ってはならない。戦闘とは、人間のやるべき事ではなく、イーグルやライオンがやる事である。武術の後継者以外、好き好んで特訓しても意味がない。