第八十二段

■ 原文

「羅の表紙は、疾く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿が、「羅は上下はつれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、弘融僧都が、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。

「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるゝにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。


■ 注釈

1 羅(うすもの)の表紙
 ・巻物を巻き終わった際に表になる部分に薄い布を張った表紙。

参照:羅 - Wikipedia

2 頓阿(とんな)
 ・俗名、二階堂貞宗という。遁世者で兼好法師の友人であった。歌人

参照:頓阿 - Wikipedia

3 螺鈿(らでん)の軸
 ・貝の裏側を削って、巻物の軸の両方に填めて飾った軸。

参照:巻物 - Wikipedia

4 草子
 ・巻物と異なり、紙を重ねて綴じた本。

参照:MSN Japan - ニュース, 天気, メール (Outlook, Hotmail), Bing検索, Skype

5 弘融僧都
 ・仁和寺の僧侶。弘舜僧正の弟子。

6 内外
 ・仏教の世界から見ると、仏書を内典、儒教の書を外典と呼ぶ。

7 章段
 ・文章の大きなまとまりや段落。


■ 現代語訳

「薄い表紙の巻物は、すぐに壊れるから困る」と誰かが言った際に、頓阿が、「巻物は上下がボロボロになって軸の飾りが落ちると風格が出る」と言ったのが立派で、思わず見上げてしまった。また、全集や図鑑などが同じ体裁でないのは、「みっともない事だ」と、よく言われるが、弘融僧都が「何でも全部の物を揃えるのはアホのすることだ。揃っていない方が慎み深い」と言ったのには感動を覚えた。

「何事も完璧に仕上げるのは、返って良くない事だ。手を付けていない部分を有りの儘にしておく方が、面白く、可能性も見出せる。皇居の改築の際も必ず造り残しをする」と誰かも言っていた。昔の偉人が執筆した文献にも文章が脱落した部分が結構ある。