第百二段

■ 原文

尹大納言光忠卿、追儺の上卿を勤められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎男を師とするより外の才覚候はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士の、よく公事に慣れたる者にてぞありける。

近衛殿著陣し給ひける時、軾を忘れて、外記を召されければ、火たきて候ひけるが、「先づ、軾を召さるべくや候ふらん」と忍びやかに呟きける、いとをかしかりけり。


■ 注釈

1 尹大納言光忠
 ・源光忠中央政府の風俗を取り締まり、京を警備する弾正台の長官。後に任権中納言

参照:弾正台 - Wikipedia

2 追儺の上卿

 ・追儺は、大晦日、宮中で行われた鬼やらいの行事。上卿は、儀式のリーダーで、運営する公家。平たく言うと幹事。

参照:追儺 - Wikipedia
参照:上卿 - Wikipedia

3 洞院右大臣殿
 ・洞院公賢(きんたか)。右大臣。

参照:洞院公賢 - Wikipedia

4 又五郎
 ・伝未詳。男は、男性の従者の事。

5 衛士
 ・六衛府に所属し、宮中の門番や夜に篝火を焚く警備員。

参照:衛士 - Wikipedia

6 近衛殿
 ・近衛経忠近衛家の上首。後に関白。

参照:近衛経忠 - Wikipedia

7 軾(ひざつき)
 ・公事の際、庭の役人が跪く時に使う敷物。畳などを使って作り、半畳ほどの大きさにする。

参照:http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E8%BB%BE&enc=UTF-8&stype=1&dtype=0&dname=0ss

8 外記
 ・節会、公事の際の進行係。

参照:外記 - Wikipedia


■ 現代語訳

公安の長官であった源光忠が、新年の鬼やらいの行事を取り仕切ることになったので、公賢右大臣に進行についてアドバイスを伺ったところ、「だったら又五郎さんに聞いてみなさい」と教えられた。この又五郎というのは、年老いた警備員で、国家行事の警備に勤しんだので色々と詳しかった。

ある時、警視庁長官の近衛経忠が国家行事に参加した際に、自分が跪くための敷物を敷かずに係員を呼びつけたのを、焚き火の世話をしている又五郎が見て「まずは敷物を敷いた方が良いのでは」と、人知れず呟いた。彼もまた、とても気が利く男であった。