第百九段

■ 原文

高名の木登りといひし男、人を掟てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」と言ふ。

あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。


■ 注釈

1 あやしき下臈
 ・身分の低い下賤の者。

2 鞠
 ・蹴鞠。数人の者が鞠を蹴り上げ地面に落とさないようにする。

参照:蹴鞠 - Wikipedia


■ 現代語訳

木登りの名人と呼ばれている男が、弟子を高い木に登らせて小枝を切り落としていた。弟子が危ない場所にいる時には何も言わず、軒先まで降りてきた時に、「怪我をないように気をつけて降りて来い」と声をかけた。「こんな高さなら飛び降りても降りられるではないか。なぜ今更そのようなことを言うのか?」と問わば、「そこがポイントです。目眩がするくらいの危ない枝に立っていれば、怖くて自分で気をつけるでしょう。だから何も言う必要はありません。事故は安全な場所で気が緩んだ時こそ起こるのです」と答えた。

たいした身分の親父ではないが、教科書に掲載できそうな内容だ。バレーボールのラリーなどでも、難しい球をレシーブした後に、気が緩んで必ず球を落とすらしい。