第百十二段

■ 原文

明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心閑かになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。俄かの大事をも営み、切に歎く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁へ・喜びをも問はず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやう闌け、病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらん人、また、これに同じかるべし。

人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙し難きに随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん。日暮れ、塗遠し。吾が生既に蹉蛇たり。諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。毀るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ。


■ 注釈

1 蹉蛇
 ・二字とも「つまづく」という意味で、思い通りに物事が進まないこと。


■ 現代語訳

明日、遠い場所へ旅立とうとしている人に、じっくりと腰を据えてすることを、誰が言いつけるだろうか。突然の緊急事態の対処に追われている人や、不幸に嘆き悲しむしかない人は、自分のことで精一杯で、他人の不幸事や祝い事を見舞うこともないだろう。見舞わないからと言って「薄情な奴だ」と恨む人もいない。得てして、老人や寝たきりの人、ましてや世捨てのアナーキストは、これと同じである。

世間の儀式は、どんなことでも不義理にはできない。世間体もあるからと、知らないふりをするわけにも訳にいかず、「これだけはやっておこう」と言っているうちに、やりたいことが増えるだけで、体にも負担がかかり、心の余裕が無くなり、一生を雑務や義理立てに使い果たし、無意味な人生の幕を閉じることになる。日が暮れているのに、道のりは遠い。人生は思い通りに行かず、既に破綻していたりする。もう、いざという時が過ぎてしまったら、全てを捨てる良い機会だ。仁義を守ることなく、礼儀を考える必要もない。世捨てのやけっぱちの神髄を知らない人から「狂っている」と言われようとも「変態」と呼ばれようとも「血が通っていない」となじられようとも、言いたいように言わせておけばよい。万が一、褒められることがあっても、もはや聞く耳さえなくなっている。