第二百二十五段
■ 原文
多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に興ある事どもを選びて、磯の禅師といひける女に教へて舞はせけり。白き水干に、鞘巻を差させ、烏帽子を引き入れたりければ、男舞とぞ言ひける。禅師が娘、静と言ひける、この芸を継げり。これ、白拍子の根元なり。仏神の本縁を歌ふ。その後、源光行、多くの事を作れり。後鳥羽院の御作もあり、亀菊に教へさせ給ひけるとぞ。
■ 注釈
1 多久資(おほのひさすけ)
・周防守。多家(おおのけ)は、神楽と舞を家業にして宮廷に仕えた。
2 通憲入道
・藤原通憲(みちのり)。鳥羽・崇徳・近衛・後白河の四代天皇に仕え、少納言になる。出家して、信西と称した。博学多才として知られる。
3 磯の禅師
・後に登場する「静」の母。静に伴い京都から鎌倉に下向。「禅師」は芸妓の源氏名。
5 白拍子
・遊女が男装して舞う歌舞。
6 源光行
・鎌倉初期の歌人で学者でもあった。源頼朝のセキュリティ・ポリス。関東地方で活躍し『蒙求和歌』『百詠和歌』などの著書を残す。『源氏物語』の河内本を校閲した。
7 後鳥羽院
・第八十二代の天皇。承久の乱に失敗し、隠岐の島に流される。
参照:後鳥羽天皇 - Wikipedia
参照:承久の乱 - Wikipedia
8 亀菊
・後鳥羽院が寵愛した舞姫。この寵愛が承久の乱の原因の一つとなったと伝えられる。隠岐の島に連れ添う。
■ 現代語訳
舞踏家の多久資が言っていた。「藤原信西入道が、数ある舞の中から好きな物を選んで、磯の禅師という芸妓に教えて舞わせた。白装束に匕首、黒烏帽子という出で立ちだったので、男舞と呼んだ。その芸妓の娘が静御前である。母の舞を伝承したのだ。これが白拍子の起こりである。太古の神話を歌っていたが、のちに、源光行が多くの台本を手がけた。後鳥羽院の手なる作品もあり、愛人の亀菊という芸妓に舞わせた」と。