第二百二十六段
■ 原文
後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉ありけるが、楽府の御論議の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、五徳の冠者と異名を附きにけるを、心憂き事にして、学問を捨てて遁世したりけるを、慈鎮和尚、一芸ある者をば、下部までも召し置きて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持し給ひけり。
この行長入道、平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教へて語らせけり。さて、山門の事を殊にゆゝしく書けり。九郎判官の事は委しく知りて書き載せたり。蒲冠者の事はよく知らざりけるにや、多くの事どもを記し洩らせり。武士の事、弓馬の業は、生仏、東国の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏が生れつきの声を、今の琵琶法師は学びたるなり。
■ 注釈
1 後鳥羽院の御時
・全段の後鳥羽院が統治した時代。一一八三年から一一九八年まで。
2 信濃前司行長
・信濃の国の前任の地方官。中山行輶の三男で、下野守。「信濃前司」は、兼好法師の誤り。
3 慈鎮和尚
・六十七段に登場する「吉水和尚」。前後四度、天台座主で歌人。
4 平家物語
・平家滅亡を記した軍記物語。
5 生仏
・性仏、姉小路資時という説がある。郢曲において天下の名人と呼ばれる。
6 山門
・比叡山延暦寺のこと。三井寺は「寺門」と呼ばれる。
8 蒲冠者
・源範頼。源義朝の六男。弟の義経と協力し、木曾義仲、平家を討ち滅した。
9 琵琶法師
・『平家物語』を琵琶の伴奏で聞かせる盲目の僧侶。
■ 現代語訳
後鳥羽院の時代のことである。地方官の行長は古典の研究に優れ、評判が高かった。しかし、漢詩の勉強会で、白楽天の新楽府を論じた際に「七徳の舞」のうち、二つを忘れてしまい、天皇の前で恥をかいだけでなく「五徳のお兄さん」という不名誉なあだ名まで額に烙印されてしまった。羞恥心に悶絶した行長は、勉強を辞めて、人生も捨ててみることにした。慈円僧正という人は、一つの芸に秀でた者ならば奴隷でも可愛がったので、この行長の面倒をみた。
『平家物語』の作者は、この行長なのだ。性仏という盲目の坊主に教えて、語り部にさせた。比叡山での事を特に緻密に書き、義経にも詳しい。範頼の事は詳しく知らなかったのか、適当に書いている。武士や武芸については関東者の性仏が仲間に聞いて行長に教えた。今の琵琶法師は、この郢曲で名高い性仏の地声を真似しているのだ。