第百四十五段

■ 原文

随身秦重躬、北面の下野入道信願を、「落馬の相ある人なり。よくよく慎み給へ」と言ひけるを、いと真しからず思ひけるに、信願、馬より落ちて死ににけり。道に長じぬる一言、神の如しと人思へり。

さて、「如何なる相ぞ」と人の問ひければ、「極めて桃尻にして、沛艾の馬を好みしかば、この相を負せ侍りき。何時かは申し誤りたる」とぞ言ひける。


■ 注釈

1 御随身秦重躬
 ・公家が外出時にお供した警備員の秦重躬。「御」とあるのは後宇多上皇の警備員。『実躬卿記』や『継塵記抄』の文献に活躍が知られる。

参照:随身 - Wikipedia

2 北面(ほくめん)

 ・北面の武士で、上皇の御所を警備する。

参照:北面武士 - Wikipedia

3 下野入道信願
 ・伝未詳。


■ 現代語訳

秦重躬は、上皇のセキュリティ・ポリスだった。御所の警備員、下野入道信願に「落馬の相が出ています。充分に用心なさい」と言った。信願は、「どうせ当たりもしない占いだろう」と内心バカにしていたら、本当に馬から落ちて死んでしまった。人々は、この道何十年の専門家が言うことは神懸かっていると感心した。

そこで、「どんな相が出ていたのですか?」と誰かが聞いた。「安定感のない桃尻のくせに、跳ね癖のある馬が好きでした。それで落馬の相を見つけたのです。何か間違っているでしょうか」と言ったそうだ。