第百七十七段

■ 原文

鎌倉中書王にて御鞠ありけるに、雨降りて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせんと沙汰ありけるに、佐々木隠岐入道、鋸の屑を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土の煩ひなかりけり。「取り溜めけん用意、有難し」と、人感じ合へりけり。

この事を或者の語り出でたりしに、吉田中納言の、「乾き砂子の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥かしかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤しく、異様の事なり。庭の儀を奉行する人、乾き砂子を設くるは、故実なりとぞ。


■ 注釈

1 鎌倉中書王
 ・後嵯峨天皇の第二皇子。宗尊親王。六代目鎌倉幕府将軍。

参照:宗尊親王 - Wikipedia

2 蹴鞠
 ・平安時代に流行した、鞠を使った遊び。蹴り上げて、回数を競う。

参照:蹴鞠 - Wikipedia

3 佐々木隠岐入道
 ・俗名を政義、法名を真願と名乗った。

4 吉田中納言
 ・藤原定資と思われる。

参照:「坊城定資」を編集中 - Wikipedia


■ 現代語訳

宗尊親王の御所で蹴鞠があったが、雨上がりで、庭が乾いていなかった。一同が、「どうしようか」と頭を抱えていると、佐々木何とかという坊主が、大量のオガ屑をトラックに積んで持ってきた。庭一面に敷き詰めると、泥濘が気にならなくなった。人々は「こんな時のためにオガ屑を用意していたのだから、素晴らしい心がけだ」と感心し合った。

この話を吉田中納言が聞いて、「乾いた砂の用意は無かったのか?」と質問したので、佐々木という坊主の栄光も失墜した。素晴らしい心がけと絶賛されたオガ屑も、乾いた砂に比べてみれば、汚らしく、敷き詰められた庭の光景も異様である。屋外イベントの責任者が、乾いた砂の準備をするのは常識なのだ。