紅葉賀の帖 | MOMIDINOGA

主人公、ゲンジ十八歳の正月から十九歳の秋までである。

 藤壺 …… 二十三歳から二十四歳
 葵上 …… 二十二歳から二十三歳
 若紫 …… 十歳から十一歳


これまでのあらすじ

 主人公、光ゲンジは皇帝の息子である。彼の母親は桐壺更衣と呼ばれた、なかなかの美人だった。あまりにも帝が溺愛したため、周りの妾たちから反感を買った桐壺更衣は、いじめの心労から夭逝してしまう。幼くして私生児となった光ゲンジは、信じられないほどの美貌と才能を武器に、後宮を騒がせる貴公子に成長するのだった。帝は光ゲンジを皇帝の後釜に据えたかったのだが、占い師の助言により、源氏姓を与え臣籍に下した。

 桐壺更衣の死後、帝がふさぎ込むので後宮も沈んでいた。しかし藤壺女御が後宮に入内すると、再び華やぐ。何と藤壺女御は桐壺更衣に瓜二つなのだった。幼くして母親を亡くした光ゲンジは、次第に藤壺更衣に惹かれ、挙げ句の果てには理想の女性像までに祭り上げてしまう。世間は、この二人を「光る君、輝く宮」と呼んだ。

 光ゲンジは元服後、左大臣の娘であるアオイを正室に迎える。これは、私生児同然だった彼に、左大臣家という強力な後見人ができたことを意味する。左大臣の息子を皇子の嫁にと考えていた右大臣家の人々(特に弘徽殿女御)は、光ゲンジを忌々しく思うのだった。

 物忌の雨の夜、光ゲンジの部屋に貴公子たちが集まり、恋愛談義に花が咲く。話題は中流階級の姫君の話で盛り上がった。中でも、光ゲンジは、アオイの兄である頭中将が話した、内気な常夏の女(夕顔)の話に興味を持つ。これが「雨夜の品定め」である。

 中流階級の女に興味を持った光るゲンジは、地方官僚の後妻である空蝉と関係を持ってしまうのだった。空蝉は光ゲンジとの関係を後悔し、恋の泥沼を恐れて拒み続ける。光ゲンジは空蝉の弟をそそのかし、再び空蝉を襲うのだが、空蝉は夏衣を一枚残して逃げたのだった。空蝉は自らの境遇を情けなく思い、和歌をなぞって運命を重ねた。

 空蝉に逃げられて傷心の、光ゲンジは、六条の貴婦人のもとへと密通するついでに、病気である乳母の、コレミツの母を見舞う。コレミツは光ゲンジの家来でもある。光ゲンジは、コレミツの家の隣に白い花の咲く家を発見し、この家の女主人に興味を持った。女の童が扇の上に白い花を乗せて差し出すと、そこには意味深な歌が書いてある。お互いの正体を隠したまま密通がはじまった。満月の夜、光ゲンジは女を誘って、ある荒ら屋に連れ込む。その夜、光ゲンジは可憐な女に心を奪われるのだが、なんと深夜に悪霊が現れ、女を呪い殺してしまうのだった。コレミツの協力により女の密葬を済ませると、光ゲンジも病に倒れる。病気の回復後、女に付き添った女官の右近から亡き人の正体を聞くと、頭中将の愛人、夕顔なのだった。

 光ゲンジは、わらわ病の治療のため、北山の聖を訪ねる。そこで、明石に住む入道とその秘蔵娘の話を聞くのだった。光ゲンジは入道の堅物ぶりに興味を持ち、その姫君のことが気になった。

 病快復の祈祷のついでに、光ゲンジが北山の僧坊を覗いてみると、品の良い尼君と、なかなかの女官、そして可愛い少女を発見する。その少女が、憧れの人、藤壺女御にそっくりなのだった。事情を聞けば、少女は藤壺女御の姪という血筋である。光ゲンジはこの少女を手に入れて、自分の思い通りに教育してみたいと思った。

 或日、藤壺女御が療養のため実家に下がった。その隙に、光ゲンジは藤壺女御と二度目の関係を持ってしまうのだった。なんとその後、藤壺女御は光ゲンジの子供を身籠もってしまう。藤壺女御は自分の運命を呪い、帝を裏切ったことに心を痛めた。

 北山の尼君が、幼い姫君を残して病死する。光ゲンジは、この少女を引き取りたいと申し出るのだが、まだ結婚できる年齢ではなく、似つかわしくないと悉く断られてしまう。少女は父の兵部卿宮のもとへ引き取られることになった。

 父宮が、少女を引き取る日の朝、光ゲンジは少女を強引に誘拐する。そして二条院に囲い、教育を開始するのだった。この姫君は、藤壺女御と縁のある血筋なので、若紫と呼ばれた。

 光ゲンジは、夕顔との儚い恋を忘れられず、タイフの命婦という女官の手引きで、没落した故常陸宮の姫君に興味を持つ。しかしこの姫君は黙ってばかりいた。不審に思った光ゲンジは、半ば強引に契りを交わしてしまう。

 そして、ある雪の朝、光ゲンジは、この姫君の顔を見て愕然とする。なんと、象のように伸びた鼻の先が赤いのである。それが紅花のようであった。後にこの姫君は、末摘花の君と呼ばれた。そして、末摘花を不憫に思った光ゲンジは、生活の援助をする羽目になるのだった。

 

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紅葉賀(関係図)

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花宴の帖 | HANANOEN

主人公、ゲンジ二十歳の春である。

 藤壺 …… 二十五歳
 葵上 …… 二十四歳
 若紫 …… 十二歳

 
これまでのあらすじ

 主人公、光ゲンジは皇帝の息子である。彼の母親は桐壺更衣と呼ばれた、なかなかの美人だった。あまりにも帝が溺愛したため、周りの妾たちから反感を買った桐壺更衣は、いじめの心労から夭逝してしまう。幼くして私生児となった光ゲンジは、信じられないほどの美貌と才能を武器に、後宮を騒がせる貴公子に成長するのだった。帝は光ゲンジを皇帝の後釜に据えたかったのだが、占い師の助言により、源氏姓を与え臣籍に下した。

 桐壺更衣の死後、帝がふさぎ込むので後宮も沈んでいた。しかし藤壺女御が後宮に入内すると、再び華やぐ。何と藤壺女御は桐壺更衣に瓜二つなのだった。幼くして母親を亡くした光ゲンジは、次第に藤壺更衣に惹かれ、挙げ句の果てには理想の女性像までに祭り上げてしまう。世間は、この二人を「光る君、輝く宮」と呼んだ。

 光ゲンジは元服後、左大臣の娘であるアオイを正室に迎える。これは、私生児同然だった彼に、左大臣家という強力な後見人ができたことを意味する。左大臣の息子を皇子の嫁にと考えていた右大臣家の人々(特に弘徽殿女御)は、光ゲンジを忌々しく思うのだった。

 物忌の雨の夜、光ゲンジの部屋に貴公子たちが集まり、恋愛談義に花が咲く。話題は中流階級の姫君の話で盛り上がった。中でも、光ゲンジは、アオイの兄である頭中将が話した、内気な常夏の女(夕顔)の話に興味を持つ。これが「雨夜の品定め」である。

 中流階級の女に興味を持った光るゲンジは、地方官僚の後妻である空蝉と関係を持ってしまうのだった。空蝉は光ゲンジとの関係を後悔し、恋の泥沼を恐れて拒み続ける。光ゲンジは空蝉の弟をそそのかし、再び空蝉を襲うのだが、空蝉は夏衣を一枚残して逃げたのだった。空蝉は自らの境遇を情けなく思い、和歌をなぞって運命を重ねた。

 空蝉に逃げられて傷心の、光ゲンジは、六条の貴婦人のもとへと密通するついでに、病気である乳母の、コレミツの母を見舞う。コレミツは光ゲンジの家来でもある。光ゲンジは、コレミツの家の隣に白い花の咲く家を発見し、この家の女主人に興味を持った。女の童が扇の上に白い花を乗せて差し出すと、そこには意味深な歌が書いてある。お互いの正体を隠したまま密通がはじまった。満月の夜、光ゲンジは女を誘って、ある荒ら屋に連れ込む。その夜、光ゲンジは可憐な女に心を奪われるのだが、なんと深夜に悪霊が現れ、女を呪い殺してしまうのだった。コレミツの協力により女の密葬を済ませると、光ゲンジも病に倒れる。病気の回復後、女に付き添った女官の右近から亡き人の正体を聞くと、頭中将の愛人、夕顔なのだった。

 光ゲンジは、わらわ病の治療のため、北山の聖を訪ねる。そこで、明石に住む入道とその秘蔵娘の話を聞くのだった。光ゲンジは入道の堅物ぶりに興味を持ち、その姫君のことが気になった。

 病快復の祈祷のついでに、光ゲンジが北山の僧坊を覗いてみると、品の良い尼君と、なかなかの女官、そして可愛い少女を発見する。その少女が、憧れの人、藤壺女御にそっくりなのだった。事情を聞けば、少女は藤壺女御の姪という血筋である。光ゲンジはこの少女を手に入れて、自分の思い通りに教育してみたいと思った。

 或日、藤壺女御が療養のため実家に下がった。その隙に、光ゲンジは藤壺女御と二度目の関係を持ってしまうのだった。なんとその後、藤壺女御は光ゲンジの子供を身籠もってしまう。藤壺女御は自分の運命を呪い、帝を裏切ったことに心を痛めた。

 北山の尼君が、幼い姫君を残して病死する。光ゲンジは、この少女を引き取りたいと申し出るのだが、まだ結婚できる年齢ではなく、似つかわしくないと悉く断られてしまう。少女は父の兵部卿宮のもとへ引き取られることになった。

 父宮が、少女を引き取る日の朝、光ゲンジは少女を強引に誘拐する。そして二条院に囲い、教育を開始するのだった。この姫君は、藤壺女御と縁のある血筋なので、若紫と呼ばれた。

 光ゲンジは、夕顔との儚い恋を忘れられず、タイフの命婦という女官の手引きで、没落した故常陸宮の姫君に興味を持つ。しかしこの姫君は黙ってばかりいた。不審に思った光ゲンジは、半ば強引に契りを交わしてしまう。

 そして、ある雪の朝、光ゲンジは、この姫君の顔を見て愕然とする。なんと、象のように伸びた鼻の先が赤いのである。それが紅花のようであった。後にこの姫君は、末摘花の君と呼ばれた。そして、末摘花を不憫に思った光ゲンジは、生活の援助をする羽目になるのだった。

 紅葉の季節に、光ゲンジと頭中将は、行幸の試演として、桐壺帝の御前で青海波を舞い、絶賛された。同席していた藤壺女御は、その美しさにたじろぐのだった。その翌年の二月に、藤壺女御は皇子を出産する。表向きは、桐壺帝の第十皇子であるが、光ゲンジの生き写しなのだった。藤壺女御は自分の犯した罪に、恐れおののいたが、帝は何も疑わなかった。そして、帝は、この皇子を東宮に立てるための頼みとして、藤壺女御を中宮にするべく画策する。同じ頃、光ゲンジと頭中将は、源典侍という男好きの女官を巡って、悪戯な恋ではあるが、競い合いをしたのだった。

 

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関係図(花宴)

関係図(花宴)

 

花宴の帖  一 桜の宴

(現代語訳)
 きさらぎの二十日頃には、紫宸殿で桜の宴があった。ミカドの玉座の左右に、藤壺中宮東宮の御座所が設置され、二人がお出ましになるのだった。弘徽殿女御は、藤壺中宮の御座所に鎮座しているのを見るたびに癪に触って仕方ないのだが、宴会見物の誘惑に負けて出席している。

 鳥の声が気持ちよい春の青空の下、親王一同、高級役人をはじめとして、詩人たちは皆、文台に置かれた韻字を手にして詩作に没頭する。宰相中将に昇進したゲンジの君は、

 「春という漢字をいただきました」

と韻字を見せる、その声さえも一般人とは比べものにならないのだった。次は頭中将の順番で、ゲンジの君と比較するのは可哀想だと思われたが、本人は落ち着いた様子で見劣りしなかった。声にも貫禄があって悪くない。その他大勢は、この二人に萎縮していた。ミカドや東宮漢詩の知識に長けているのは当然で、他にも優れた詩人が大勢いる時代である。清々しく広い庭に登場する下級役人たちの足取りも重い。腰が抜けたのか、簡単な漢詩を作るのも困難なのだった。一方、年配の博士たちは、枯れ木のようだが、場慣れしているのか優雅に詩を味わっており、花を添えていた。

 舞や音楽の準備は抜かりない。空が夕日に染まる頃「春に鶯がさえずる」という面白い舞の演目があった。東宮は、紅葉の「青海波」を思い出す。ゲンジの君の冠に桜の枝を挿して、舞を所望するので、この男は断り切れないのだった。ゲンジの君が立ち上がって、そっと袖を振るだけで、場が満開になる。左大臣は、ゲンジの君の不義理も忘れて、また涙しているのだった。

 「頭中将よ、何をしているのだ。すぐに」

と声が上がったので、彼は「柳花苑」というのを舞った。こうなることを予想して、前もって練習していたと見えて、ゲンジの君よりも長く舞うのだった。とても見事な舞に、ミカドから着物の贈呈があったので「珍しいこともあるものだ」と人々は感心する。上級役人たちが、次々と舞い乱れたが、暗くなっては鈴生りでしかなかった。

 詩の批評が始まり、進行役は、ゲンジの君の作を読み解けず、一句ずつ口ずさんで絶賛している。博士たちは、ただ感心するばかりなのだった。こんな場面でも、光り輝くゲンジの君である。ミカドが放っておくわけが無い。藤壺中宮は、ゲンジの君の姿が眼に入るたびに、弘徽殿女御が、この男を容赦なく嫌うのが不可解であり、そんなことを考えている自分が情けないのだった。

 「ただ花の姿を見ているだけならば、こんなに心乱れもしないはずなのに」

 と心中に秘めた歌だったろうに、どうやって漏洩したのだろうか。夜更けまで桜の宴は続いた。

 

(原文)
 二月の二十日あまり、南殿の桜の宴せさせたまふ。后、春宮の御局、左右にして、参う上りたまふ。弘徽殿女御、中宮のかくておはするを、をりふしごとに安からず思せど、物見にはえ過ぐしたまはで参りたまふ。

 日いとよく晴れて、空のけしき、鳥の声も心地よげなるに、親王たち、上達部よりはじめて、その道のは、みな探韻賜はりて文作りたまふ。宰相中将、

 「春といふ文字賜はれり」

とのたまふ声さへ、例の、人にことなり。次に頭中将、人の目移しもただならずおぼゆべかめれど、いとめやすくもてしづめて、声づかひなど、ものものしくすぐれたり。さての人々は、みな臆しがちにはなじろめる多かり。地下の人は、まして、帝、春宮の御才かしこくすぐれておはします、かかる方にやむごとなき人多くものしたまふころなるに、恥づかしく、はるばるとくもりなき庭に立ち出づるほど、はしたなくて、やすきことなれど苦しげなり。年老いたる博士どもの、なりあやしくやつれて、例馴れたるも、あはれに、さまざま御覧ずるなむ、をかしかりける。

 楽どもなどは、さらにもいはず調へさせたまへり。やうやう入日になるほど、春の鶯囀るといふ舞、いとおもしろく見ゆるに、源氏の御紅葉の賀のをり思し出でられて、春宮、かざし賜はせて、せちに責めのたまはするに、のがれがたくて、立ちて、のどかに、袖かへすところを、一をれ気色ばかり舞ひたまへるに、似るべきものなく見ゆ。左大臣、うらめしさも忘れて、涙落したまふ。

 「頭中将、いづら。遅し」

とあれば、柳花苑といふ舞を、これはいますこし過ぐして、かることもや、と心づかひやしけむ、いとおもしろければ、御衣賜はりて、いとめづらしきことに人思へり。上達部みな乱れて舞ひたまへど、夜に入りては、ことにけぢめも見えず。

 文など講ずるにも、源氏の君の御をば、講師もえ読みやらず、句ごとに誦じののしる。博士どもの心にもいみじう思へり。かうやうのをりにも、まづこの君を光にしたまへれば、帝もいかでかおろかに思されん。中宮、御目のとまるにつけて、春宮の女御のあながちに憎みたまふらむもあやしう、わがかう思ふも心うしとぞ、みづから思しかへされける。

おほかたに花の姿をみましかば露も心のおかれましやは

 御心の中なりけんこと、いかで漏りにけむ。夜いたう更けてなむ、事はてける。


(註釈)
1 后、春宮の御局、左右にして
 ・立后した藤壺が右(西)に、弘徽殿女御の息子である、東宮が左(東)ということ。

2 探韻
 ・庭に文台を置き、その上に漢詩の韻字を一字書いた紙を伏せて置き、官位順にその紙を取りに行き、即興で詩を奏上した。韻字を探索するので「探韻」と呼び、自分の韻字を探すことを「探韻賜はる」と言う。帝が主催する遊び。

3 宰相中将
 ・ゲンジの君は、前巻の終わりに宰相に昇進した。

4 春の鶯囀る
 ・舞楽『天長宝寿楽』のこと。唐の高宗が、鶯の声を聞き、白明達に命じて声を模写して作った。文武帝の時代に伝来した。

5 かざし
 ・「挿頭」で、冠の上に挿す花。金属などで作られたが、ここでは桜の花を挿した。

6 柳花苑
 ・唐から伝来した舞。現在では舞が途絶えた。

紅葉賀の帖 五 藤壺の立后、ゲンジの君の昇進

(現代語訳)
 七月には、藤壺宮が中宮に立ったようである。ゲンジの君も太政官の参議に昇進したのだった。ミカドは、近く引退する決意で「藤壺宮が産んだ若宮を東宮にしたい」と目論んでいる。しかし、適当な後見人もいなく、藤壺宮の親族は皆、皇子たちなので、皇族が政治に関わるのも無理がある。そこで、ミカドは、母宮を中宮という確固とした地位に据えて、若宮の力添えにしようと企んでいるのだった。もちろん、弘徽殿の女御の逆鱗に触れたことは当然である。しかし、ミカドは、

 「もうすぐ東宮がミカドに立つ時代です。あなたが皇太后になるのは、疑う余地もありません。左うちわでいなさい」

となだめるのだった。皇太子の母として、もう二十年あまりにもなる、この弘徽殿の女御を飛び越して、藤壺宮が中宮になるのだから「筋の通らない立后だ」と、世間も物騒な噂をするのだった。

 ゲンジの君は、藤壺中宮後宮に上がる夜の付き添いをした。ミカドの后と言っても、この人は皇族の出身である。宝石のように光り輝き、ミカドの覚えもこの上なく目出度い。後宮の人々も、藤壺中宮を崇め奉っている。ゲンジの君はと言えば、哀切極まり、御輿の中の藤壺中宮を思えば「ますます手の届かない存在になってしまった」と気が狂う寸前まで悶絶しているのだった。

 月のない心の夜に出る雲よ遙か向こうの君が見えない

とゲンジの君は、寂しさに身が震えて嗚咽していた。

 若宮は月日に成長していくに従って、いよいよゲンジの君の生き写しになったので、藤壺中宮は胸が張り裂けそうである。けれども、誰も気がついていないようだ。確かに、どう転がっても、ゲンジの君に劣らない美男子が、この俗世に降臨するだろうか。ただ、人々は「月が太陽の光に似ているように、二人とも輝いている」と惑わされているのだった。


(原文)
 七月にぞ后ゐたまふめりし。源氏の君、宰相になりたまひぬ。帝おりゐさせたまはむの御心づかひ近うなりて、この若宮を坊に、と思ひきこえさせたまふに、御後見したまふべき人おはせず。御母方の、みな親王たちにて、源氏の公事知りたまふ筋ならねば、母宮をだに動きなきさまにしおきたてまつりて、つよりにと思すになむありける。弘徽殿、いとど御心動きたまふ、ことわりなり。されど、

 「春宮の御世、いと近うなりぬれば、疑ひなき御位なり。思ほしのどめよ」

とぞ聞こえさせたまひける。げに、春宮の御母にて二十余年になりたまへる女御をおきたてまつりては、引き越したてまつりたまひがたきことなりかしと、例の、安からず世人も聞こえけり。

 参りたまふ夜の御供に、宰相の君も仕うまつりたまふ。同じ宮と聞こゆる中にも、后腹の皇女、玉光りかかやきて、たぐひなき御おぼえにさへものしたまへば、人もいとことに思ひかしづききこえたり。まして、わりなき御心には、御輿のうちも思ひやられて、いとど及びなき心地したまふに、すずろはしきまでなむ。

 尽きもせぬ心のやみにくるるかな雲ゐに人を見るにつけても

とのみ、独りごたれつつ、ものいとあはれなり。

 皇子は、およすけたまふ月日に従ひて、いと見たてまつり分きがたげなるを、宮いと苦しと思せど、思ひよる人なきなめりかし。げにいかさまに作りかへてかは、劣らぬ御ありさまは、世に出でものしたまはまし。月日の光の空に通ひたるやうにぞ、世人も思へる。


(註釈)
1 源氏
 ・皇子が臣下に降りると、源氏姓を名乗った。

紅葉賀の帖 四 源内侍と夕立の夜

(現代語訳)
 ミカドはいい年をして、なお女好きだった。配膳や身の回りの世話をする女官たちも、見た目や性格を重視していたので、後宮の女たちは精鋭揃いなのである。ゲンジの君がちょっかいを出すにしても、相手には事欠かない風情なので、もう見飽きてしまったのだろうか。「まったく女には興味がないようね」と女官たちは、試しに挑発してみるのだが、ゲンジの君は適当にあしらうだけで、少しも発情してくれない。こんな紳士ぶったゲンジの君を「堅物でつまらないわ」と勘違いしている女官もいるのだった。

 ずいぶん歳を取った源典侍という女官がいた。上流階級の才女で気品があり、周りからも一目置かれている人だったが、男癖がだらしなく、行儀が悪くて有名なのだった。ゲンジの君は「どうして歳を取ってまで、あんなに旺盛なのだろうか」と不審に思ったので、おもしろ半分に口説いてみた。すると相手は、身の程知れずに真に受けているので、ゲンジの君は、開いた口が塞がらなくなったが、それでも後学のためにと興味津々で、深い仲になってしまったのだった。何と言っても相手は老女だから、人に知れたら大変である。ゲンジの君の対応が冷たいので、女は恨むばかりなのだった。

 ミカドが髪上げするというので、この源内侍が整え終えると、ミカドは衣装係を呼びに出て行った。誰もいなくなった部屋に、源内侍が一人、普段より小綺麗に、姿や髪を色っぽく、着物も艶やかに、むせ返るようにしていたので、ゲンジの君は「若作りをしていやがる」と軽蔑の視線を向けていた。それでも「あれから、どう思っているだろう」と素通りできずに、腰に付けている裳の裾を引っ張ってみた。源内侍は悪趣味な絵が描かれた扇で顔を隠して振り返る。ゲンジの君を誘う目つきは隈だらけで窪んでいるのだった。ゲンジの君は「年甲斐もなく、こんな扇を持って」と思い、自分の扇を交換する。悪趣味な扇を見てみると、目の醒めるばかりの真紅の紙に、大きな木が繁る森の絵が金色に描かれているのだった。その裏側には、古式ゆかしい筆跡で「森の木陰に生える草が枯れそうで」などと書いてある。ゲンジの君は「他に書くものもあるだろうに。悪趣味極まりますね」と微笑みながら、

 「夏の森の大木の日陰宿りですか」

と言うのだった。こんなやりとりをする相手でもないので、ゲンジの君は「誰かに見られるのは勘弁だ」と気が気でないのだが、源内侍は満更でもない。

 君の乗る馬にも飼い葉をあげましょうもう枯れそうな日陰の草でも

と一首詠むのが、おそろしく色っぽいのだった。

 「踏み分けた笹を誰かに見られたらただでは済まない馬の楽園

 面倒なことになるといけません」

と逃げ出そうとするゲンジの君を、源内侍は引っ張って、

 「今までこんなに馬鹿にされたことは無いのよ。老いぼれてまで恥をかくなんて」

と泣きじゃくっているのだった。

 「また手紙を出しますよ。いつでもあなたのことが気になっていますから」

とゲンジの君は袖を振り払って脱出しようとするのだが、源内侍も必死である。「思っているだけでしょう」と恨みたっぷりなのだった。ミカドは着替えを済ませて、障子の隙間からそれを覗いている。「なんとも似合わない二人だな」と可笑しくなって、

 「堅物だと、お前達は、いつも心配していたようだが、やはり油断できない男だったね」

と笑っているので、源内侍は顔を赤らめながらも「恋しい人のためなら濡れ衣を着たがる人もいるのだから」と、あえて言い逃れようともしなかった。

 後宮では「不思議なこともあるものだ」と、たちまち人々の噂になった。頭中将も聞きつけて「あの男が変態だとは知っていたが、まさか源内侍とは思いつかなかったよ」と、歳を取ってもまだ冷めない男好きな源内侍が気になって仕方なかったので、やはり、深い関係になってしまったのだった。この男も、人に劣らぬ貴公子である。源内侍は、冷たいゲンジの君の身代わりにしようと思ったのだが、本当に愛しているのは一人の男だけなのだった。悪い冗談としか思えない。

 頭中将は細心の注意を払っているので、ゲンジの君は何も知らなかった。源内侍は、ゲンジの君を見つけるたびに小言をいうので「可哀想な年寄だからいたわらないと」と思うのだが、やっぱり面倒になってしまうのだった。踏ん切りがつかないまま、月日は過ぎた。夕立の後、にわかに涼しくなった夜に紛れて、ゲンジの君が、控え所の温明殿のあたりを徘徊していると、源内侍が奏でる琵琶がおもしろい。ミカドの御前で男たちに交ざって演奏するほどの琵琶の名手である。腕前に敵う者がいない源内侍が、男恋しさに演奏しているのだから、ゲンジの君の身に沁みるのだった。「瓜作りに……なりやしなまし」と気味が悪いほどの美声なので、ゲンジの君は不安である。「昔、鄂州で女の声に惑わされた白楽天の気持ちは、こんな風だろうか」とゲンジの君は聞き入っている。曲が終わると、源内侍の思い乱れる様子が伝わってきた。ゲンジの君は、東屋という催馬楽を柱に寄りかかって歌い出す。すると源内侍が「押し開いていらっしゃい」と声を揃えて歌うのだから、やはりこの女はただ者ではないのだった。

 佇んで濡れる人なき東屋に雨はこうまで憂鬱に降るの

と一首詠んで、源内侍は泣いている。ゲンジの君は「私だけが、愚痴を言われる筋合いもない。どうして、こんなに男を恋しがるのだろう。嫌らしい」と思うのだった。

 人妻は危険ですから東屋の廂をかりず雨に濡れゆく

とゲンジの君は一首詠んで、さっさと退散したいのだが、それではあまりにもにべもないと思い直して、源内侍の望み通り押し開く。冗談などを言い合っていると、ゲンジの君は「こんな夜も悪くない」と思うのだった。

 頭中将は、この男が真面目面をして、いつも自分を袋だたきにするので癪に障っているのだった。さりげなく通う女も多いだろうから、何とかして見つけてやろうと思っていた矢先である。この現場を押さえたので、嬉しくて仕方ない。この際少し脅かして、尻尾を巻いたら「懲りただろう」と言うつもりで、しばらく泳がしておくのだった。

 冷たい風が吹き、夜が更けはじめてゲンジの君と源内侍が微睡んだようなので、頭中将は静かに侵入を試みる。ゲンジの君は警戒して熟睡できないので、すぐに察知した。まさか頭中将であるとは思いつかず、源内侍を思い続けている修理のカミが未練たらしく忍び込んで来たのだと勘違いしている。こんな醜態を老人に見つけられるのは不体裁だと思い、

 「まずいことになったね。もう帰りますよ。今夜、別の男が来ると知りながら私を騙すとは悪趣味極まる」

とゲンジの君は、直衣だけをつかんで屏風の後ろに隠れるのだった。頭中将は笑いを堪えて、その屏風に近づいて畳んでしまうのだった。わざとらしく音を立ててみる。源内侍は老女だが、とても若作りにめかし込み、こんなことは日常茶飯事なので今さら驚かない。慌てながらも「ゲンジの君の運命はいかに」と心配でわなわなと震えながら、とっさに頭中将を捕獲した。ゲンジの君は自分の正体が知られぬうちに脱出したいと思うのだが「冠をひねったままのだらしない姿で逃げていく後ろ姿の狂態を晒すわけにはいかない」と躊躇っているのだった。頭中将も、自分の正体を明かしてはならぬと無言である。激怒している演技で、刀を引き抜くのだった。

 「あなたあなた」

と源内侍が三つ指を突き出す狂乱なので、頭中将は、笑いを堪えるのに精一杯だ。色気たっぷりに若作りしている化けの皮だけは女らしいのだが、五十七、八の老女なのである。恥も外聞もなく狼狽し、今をときめく二十歳そこらの貴公子に挟まって、狼狽している姿は、悪い冗談にしか見えない。中将は自分だと知れぬように、鬼の形相をしているのだが、ゲンジの君には逆効果だった。正体がわかってしまえば「私と知りながら、仕組んだ罠だ」と馬鹿馬鹿しくなってくるのだった。正体を突き止めてしまうと、笑いが止まらず、太刀を抜いている腕をつかまえて、思いきりつねる。頭中将も「しくじった」と思いながらも笑い出した。

 「まるで無茶苦茶な。ふざけてばかりいられないね。さて、この直衣を着ますよ」

とゲンジの君が言うと、頭中将は直衣をつかんで着せてくれない。

 「では、君の直衣も」

とゲンジの君は、頭中将の帯を引っこ抜いて、脱がせようとするのだった。頭中将は、必死に抵抗するのだが、手当たり次第に引き合っていると、ビリビリとほころびてしまった。頭中将は、

 「包み込む噂の漏れるほころびを引き合う我等の衣の中に

 こんな直衣を上に着たら、怪しまれますよ」

と一首詠むのだった。ゲンジの君は、

 隠せない秘密と知って夏ごろも着たのは薄い心のしわざ

と迎え撃つ。二人は引き分けて、だらしない姿で出て行くのだった。

 ゲンジの君は、この奇襲を悔しく思いながら寝た。源内侍はへなへなと萎れたまま、翌朝、落とし物の袴や帯を届けるのだった。

 「怨んでも仕方ないけどふたつ波 寄せては返し 返して消える

 波が消えて底が露わになってしまいました」

などと書いてある。ゲンジの君は「図々しい女だ」と手紙を読んで忌々しく思うのだが、当惑しているようなので可哀想に思って、

 荒ぶれる波に心は揺れずとも寄せる磯には恨みが残る

と返歌だけするのだった。その帯は、頭中将の物だった。自分の直衣よりも、濃い紫であると気がつき、確認してみると、袖の先もない。ゲンジの君は「みっともないな。女に夢中になっている男は、しょっちゅうこんな無様な思いをしているのだろう」と思えば、神妙な顔にもなった。

 頭中将の控え所から「まずは、これを縫い付けてください」と包みが届いた。ゲンジの君は「どうしてこの袖の先を奪われたのか」と歯ぎしりするのだった。「この帯を手に入れてなかったら、惨敗だな」と気を取り直し、帯を、同じ色の紙に包んで、

 途絶えたと糾弾されると癪だから帯に触らず祟りに触れず

と一首詠むのだった。当然、頭中将からも反撃があるのだった。

 「こんなにも君が引っ張る帯だから二人の仲は離れ離れに

 もう言い訳はできませんね」

などと書いてある。

 昼になってから、二人は後宮へやって来た。ゲンジの君が涼しい顔でとぼけているので、頭中将は可笑しくて仕方がない。それでも、公用の多い日で、伺いを立てたり、宣旨で忙しく、頭中将も行儀良く神妙にしていた。二人は目配せをすると、自然と笑みがこぼれてしまう。頭中将は人目を伺って近寄り、

 「秘め事は懲りただろうね」

と棘のある視線を向けるのだった。

 「馬鹿なことを言うなよ。君の方こそ折角来たのに残念だったね。本当に恋愛とは面倒だ」

とゲンジの君も応酬する。「さあ、わかりませんと答えましょう」と、この一件は、お互いの胸にしまっておくことにするのだった。しかし、その後、何かがあるたびに、この話を頭中将が蒸し返すので、ゲンジの君も「面倒な女に手を出してしまった」と後悔もしただろう。源内侍は、未だ懲りずに艶っぽい恨み言をしてくる。ゲンジの君は、ほとほと困るばかりなのだった。頭中将は、この話をアオイには隠しておくことにした。何かがあった際の切り札にするつもりなのだ。

 やんごとない母を持った皇子たちでも、ミカドが特別扱いしているゲンジの君には一目置いていた。しかし頭中将は違う。「後れを取るまい」と、つまらないことでもライバル意識を燃やすのだった。左大臣家では、頭中将だけが、アオイと同じ皇族の血を引く男である。「ゲンジの君だって、ミカドの子というだけだ。私だって、同じ大臣と言っても、今をときめく左大臣家の皇族の血を引く息子なのだ。しっかりと教育を受けたのだから、ゲンジの君に劣ることがあるだろうか」と思っているらしいのである。頭中将もまた、人格の整った利口な男である。何をさせても完璧に備わっているのだった。この二人の張り合いは、異常なほどだったが、これ以上書いてもややこしくなるだけなので、例の通り省略する。


(原文)
 帝の御年ねびさせたまひぬれど、かうやうの方え過ぐさせたまはず、采女女蔵人などをも、かたち心あるをば、ことにもてはやし思しめしたれば、よしある宮仕人多かるころなり。はかなきことをも言ひふれたまふには、もてはなるることもありがたきに、目馴るるにやあらむ、げにぞあやしうすいたまはざめると、こころみに戯れ言を聞こえかかりなどするをりあれど、情なからぬほどにうち答へて、まことには乱れたまはぬを、まめやかにさうざうしと思ひきこゆる人もあり。

 年いたう老いたる典侍、人もやむごとなく心ばせあり、あてにおぼえ高くはありながら、いみじうあだめいたる心ざまにて、そなたには重からぬあるを、かうさだ過ぐるまでなどさしも乱るらむ、といぶかしくおぼえたまひければ、戯れ言いひふれてこころみたまふに、似げなくも思はざりける。あさましと思しながら、さすがにかかるもをかしうて、ものなどのたまひてけれど、人の漏り聞かむも、古めかしきほどなれば、つれなくもてなしたまへるを、女はいとつらしと思へり。

 上の御梳櫛にさぶらひけるを、はてにければ、上は御袿の人召して、出でさせたまひぬるほどに、また人もなくて、この内侍常よりもきよげに、様体頭つきなまめきて、装束ありさま、いとはなやかに好ましげに見ゆるを、さも旧りがたうもと、心づきなく見たまふものから、いかが思ふらんと、さすがに過ぐしがたくて、裳の裾を引きおどろかしたまへれば、かはほりのえならずゑがきたるを、さし隠して見かへりたるまみ、いたう見延べたれど、目皮らいたく黒み落ち入りて、いみじうはづれそそけたり。似つかはしからぬ扇のさまかな、と見たまひて、わが持たまへるに、さしかへて見たまへば、赤き紙の、映るばかり色深きに、木高き森のかたを塗り隠したり。片つ方に、手はいとさだ過ぎたれど、よしなからず、「森の下草老いぬれば」など書きすさびたるを、言しもあれ、うたての心ばへや、と笑まれながら、

 「森こそ夏の、と見ゆめる」

とて、何くれとのたまふも、似げなく、人や見つけん、と苦しきを、女はさも思ひたらず。

 君し来ば手なれの駒に刈り飼はむさかり過ぎたる下葉なりとも

と言ふさま、こよなく色めきたり。

 「笹分けば人や咎めむいつとなく駒なつくめる森の木がくれ

 わづらはしさに」

とて、立ちたまふを、ひかへて、

 「まだかかるものをこそ思ひはべらね。今さらなる身の恥になむ」

とて、泣くさまいといみじ。

 「いま聞こえむ。思ひながらぞや」

とて、引き放ちて出でたまふを、せめておよびて、「橋柱」と恨みかくるを、上は御袿はてて、御障子よりのぞかせたまひけり。似つかはしからぬあはひかなと、いとをかしう思されて、

 「すき心なしと、常にもてなやむめるを、さはいへど、すぐさざりけるは」

とて、笑はせたまへば、内侍は、なままばゆけれど、憎からぬ人ゆゑは、濡れ衣をだに着まほしがるたぐひもあなればにや、いたうもあらがひきこえさせず。

 人々も、思ひの外なることかな、とあつかふめるを、頭中将聞きつけて、いたらぬ隈なき心にて、まだ思ひよらざりけるよ、と思ふに、尽きせぬ好み心も、見まほしうなりにければ、語らひつきにけり。この君も、人よりはいとことなるを、かのつれなき人の御慰めに、と思ひつれど、見まほしきは限りありけるをとや。うたての好みや。

 いたう忍ぶれば、源氏の君はえ知りたまはず。見つけきこえては、まづ恨みきこゆるを、齢のほどいとほしければ、慰めむと思せど、かなはぬものうさに、いと久しくなりにけるを、タ立して、なごり涼しき宵のまぎれに、温明殿のわたりをたたずみ歩きたまへば、この内侍、琵琶をいとをかしう弾きゐたり。御前などにても、男方の御遊びにまじりなどして、ことにまさる人なき上手なれば、もの恨めしうおぼえけるをりから、いとあはれに聞こゆ。「瓜作りになりやしなまし」と、声はいとをかしうて謡ふぞ、すこし心づきなき。鄂州にありけむ昔の人も、かくやをかしかりけむと、耳とまりて聞きたまふ。弾きやみて、いといたう思ひ乱れたるけはいなり。君、東屋を忍びやかに謡ひて、寄りたまへるに、「おし開いて来ませ」と、うち添へたるも、例に違ひたる心地ぞする。

 立ち濡るる人しもあらじ東屋にうたてもかかる雨そそきかな

とうち嘆くを、われひとりしも聞きおふまじけれど、うとましや、何ごとをかくまでは、とおぼゆ。

 人妻はあなわづらはし東屋の真屋のあまりも馴れじとぞ思ふ

とてうち過ぎなまほしけれど、あまりはしたなくや、と思ひかへして、人に従へば、すこしはやりかなる戯れ言など言ひかはして、これもめづらしき心地ぞしたまふ。

 頭中将は、この君の、いたうまめだち過ぐして、常にもどきたまふがねたきを、つれなくて、うちうち忍びたまふ方々多かめるを、いかで見あらはさむとのみ思ひわたるに、これを見つけたる心地、いとうれし。かかるをりに、すこしおどしきこえて、御心まどはして、「懲りぬや」と言はむと思ひて、たゆめきこゆ。

 風冷やかにうち吹きて、やや更けゆくほどに、すこしまどろむにやと見ゆる気色なれば、やをら入りくるに、君はとけてしも寝たまはぬ心なればふと聞きつけて、この中将とは思ひよらず、なほ忘れがたくすなる修理大夫にこそあらめと思すに、おとなおとなしき人に、かく似げなきふるまひをして、見つけられんことは恥づかしければ、

 「あな、わづらはし。出でなむよ。蜘珠のふるまひはしるかりつらむものを。心うくすかしたまひけるよ」

とて、直衣ばかりを取りて、屏風の後に入りたまひぬ。中将をかしきを念じて、引きたてたまへる屏風のもとに寄りて、こぼこぼと畳み寄せて、おどろおどろしく騒がすに、内侍は、ねびたれど、いたくよしばみなよびたる人の、さきざきもかやうにて心動かすをりをりありければ、ならひて、いみじく心あわたたしきにも、この君をいかにしきこえぬるかと、わびしさにふるふふるふ、つと控へたり。誰と知られで出でなばやと思せど、しどけなき姿にて、冠などうちゆがめて走らむ後手思ふに、いとをこなるべしと思しやすらふ。中将、いかで我と知られきこえじ、と思ひて、ものも言はず、ただいみじう怒れる気色にもてなして、太刀を引き抜けば、女、

 「あが君、あが君」

と向ひて手をするに、ほとほど笑ひぬべし。好ましう若やぎてもてなしたるうはべこそさてもありけれ、五十七八の人の、うちとけてもの思ひ騒げるけはひ、えならぬ二十の若人たちの御中にて物怖ぢしたるいとつきなし。かうあらぬさまにもてひがめて、恐ろしげなる気色を見すれど、なかなかしるく見つけたまひて、我と知りてことさらにするなりけりと、をこになりぬ。その人なめり、と見たまふに、いとをかしければ、太刀抜きたる腕をとらへていといたうつみたまへれば、ねたきものから、えたへで笑ひぬ。

 「まことはうつし心かとよ。戯れにくしや。いでこの直衣着む」

とのたまへど、つととらへてさらにゆるしきこえず。

 「さらばもろともにこそ」

とて、中将の帯をひき解きて脱がせたまへば、脱がじとすまふを、とかくひきしろふほどに、綻びはほろほろと絶えぬ。中将、

 「つつむめる名やもり出でん引きかはしかくほころぶる中の衣に

 上に取り着ば、しるからん」

といふ。君、

 かくれなきものと知る知る夏衣きたるをうすき心とぞ見る

と言ひかはして、うらやみなきしどけな姿に引きなされて、みな出でたまひぬ。

 君はいと口惜しく、見つけられぬること、と思ひ臥したまへり。内侍は、あさましくおぼえければ、落ちとまれる御指貫帯など、つとめてたてまつれり。

 「うらみても言ふかひぞなきたちかさね引きてかへりし波のなごりに

 底もあらはに」

とあり。面なのさまやと、見たまふも憎けれど、わりなしと思へりしもさすがにて、

 あらだちし波にこころは騒がねど寄せけむ磯をいかがうらみぬ

とのみなむありける。帯は、中将のなりけり。わが御直衣よりは色深し、と見たまふに、端袖もなかりけり。あやしの事どもや、下り立ちて乱るる人は、むべをこがましきことは多からむと、いとど御心をさめられたまふ。

 中将、宿直所より、「これまづとぢつけさせたまへ」とて、おし包みておこせたるを、いかで取りつらむ、と心やまし。この帯をえざらましかば、と思す。その色の紙につつみて、

 中絶えばかごとやおふとあやふさにはなだの帯を取りてだに見ず

とて遣りたまふ。たち返り、

 「君にかく引き取られぬる帯なればかくて絶えぬる中とかこたむ

 え逃れさせたまはじ」

とあり。

 日たけて、おのおの殿上に参りたまへり。いと静かに、もの遠きさましておはするに、頭の君もいとをかしけれど、公事多く奏し下す日にて、いとうるはしくすくよかなるを見るも、かたみにほほ笑まる。人まにさし寄りて、

 「もの隠しは懲りぬらむかし」

とて、いとねたげなる後目なり。

 「などてかさしもあらむ。立ちながらかへりけむ人こそいとほしけれ。まことは、うしや世の中よ」

と言ひ合はせて、「とこの山なる」と、かたみに口がたむ。さてその後、ともすれば事のついでごとに、言ひむかふるくさはひなるを、いとど、ものむつかしき人ゆゑと、思し知るべし。女は、なほいと艶に恨みかくるを、わびしと思ひありきたまふ。中将は、妹の君にも聞こえ出でず。たださるべきをりのおどしぐさにせむ、とぞ思ひける。

 やむごとなき御腹々の御子たちだに、上の御もてなしのこよなきに、わづらはしがりて、いとことに避りきこえたまへるを、この中将は、さらにおし消たれきこえじと、はかなきことにつけても、思ひいどみきこえたまふ。この君ひとりぞ、姫君の御ひとつ腹なりける。帝の皇子といふばかりこそあれ、我も、同じ大臣と聞こゆれど、御おぼえことなるが、皇女腹にて、またなくかしづかれたるは、何ばかり劣るべき際とおぼえたまはぬなるべし。人がらもあるべき限りととのひて、何ごともあらまほしく、足らひてぞものしたまひける。この御仲どものいどみこそ、あやしかりしか。されどうるさくてなむ。


(註釈)
1 采女
 ・ミカドの食事を配膳する女官。

2 女蔵人
 ・内裏の雑務をする下級女官。

3 かはほり
 ・蝙蝠扇のことで、片面に紙を貼ってあるもの。

4 森の下草老いぬれば
 ・(古今、雑上、読み人知らず)大荒木の森の下草老いぬれば駒も進めず刈る人もなし

5 森こそ夏
 ・(信明集)時鳥来鳴くを聞けば大荒木の森こそ夏の宿りなるらん

6 君し来ば
 ・わが門の一むらすすき刈り飼はん君が手馴の駒も来ぬかな(後撰集を踏まえた歌である)

7 橋柱
 ・(伊行釈)津の国の長柄の橋の橋柱古りぬる身こそ悲しかりけれ (新勅撰集、雑四、読み人知らず)思ふこと昔ながらの橋柱ふりぬる身こそ悲しけれ

8 瓜作りになりやしなまし
 ・催馬楽、山城。「山城の、狛のわたりの瓜つくり(中略)瓜つくり、我を欲しと言う、いかにせん」

9  鄂州
 ・地名。白氏文集に「秋江ニ月澄徹ス、隣船ニ歌フ者有リ、調ヲ発シテ愁絶ニ堪ヘタリ、歌罷ンデ継グニ泣ヲ以テス(中略)借問ス誰ガ家ノ婦ゾ、歌泣スルコト何ゾ凄切ナル」とある。

10 東屋
 ・催馬楽、東屋。「東屋の真屋のあまりのその雨そそぎ、我立ち濡れぬ殿戸開かせ。鎹も錠もあらばこそ、その殿戸我鎖さめ、おし開いて来ませ我や人妻」

11 蜘珠のふるまひ
 ・(古今、墨消歌、読み人知らず)わがせこが来べき宵なりささがにの蜘蛛の行ひかねて著しも

12 底もあらは
 ・(新勅撰、恋四、読み人知らず)別れての後ぞ悲しき涙川底もあらはになりぬと思へば

13 わが御直衣よりは色深し
 ・三位中将の源氏は薄い二藍か縹の直衣を着用した。源氏より位の低い頭中将は濃い二藍か縹の直衣を着用したことから。

14 端袖
 ・袖を広く見せるために木綿幅の半幅を足したもの。

15 とこの山なる
 ・(古今、墨消歌、読み人知らず)犬上のとこの山なるいさや川いさと答へてなき名もらすな

紅葉賀の帖 三 藤壺宮の御子誕生

(現代語訳)
 ゲンジの君が参賀に行く場所は、数が知れていた。ミカドと、皇太子、それから前のミカドだけだったが、藤壺宮がいる三条宮殿にも行った。

 「今日は格別に美しく見えること。歳を重ねて、怖いぐらいに成熟されていますわね」

と囁き合う女官たちの黄色い声を聞いて、藤壺宮は仕切りの間からゲンジの君の姿を微かに見るのだが、思い悩むことが多かった。

 出産があるべき十二月も過ぎた。過期産を心配している藤壺宮家の人々も、今月は生まれるだろうと待ちわびて、ミカドもそのつもりでいたのだった。しかし正月も何も無く過ぎてしまう。化け物に取り憑かれたのだろうかと、世間ではもっぱらの噂だったが、藤壺宮は、ただ憂鬱なだけで「これで私もおしまいね」と溜息ばかりで悩ましく、体調も悪化してくのだった。

 ゲンジの君は、思い当たる節がありすぎるので、あちらこちらで事情を伝えずに祈祷をさせていた。「儚い世界を思えば、これでこの恋が終わるかもしれない」と悩むゲンジの君だが、二月十日過ぎに男の子が誕生した。ミカドは満面の笑みで、後宮や三条宮殿も春爛漫である。藤壺宮は「命拾いしてしまったわ」と悲しんでいるが、弘徽殿あたりで呪っていると聞けば「このまま死んだら犬死になってしまう」と気丈になって、体調も快復していくのだった。

 ミカドは早く息子に会いたくて居ても立ってもいられなかった。ゲンジの君もしかり。気になって仕方ない思いを秘めて、人気のない頃にやってくる。

 「ミカドが待ち焦がれていますから、若宮に私がお会いして、様子を伝えましょう」

とゲンジの君が提案するのだが、

 「生まれたばかりで見苦しいですから」

藤壺宮が却下して見せたがらないのは、当然なのだった。なんとこの子は、ゲンジの君と瓜二つなのである。疑う余地はなかった。藤壺宮の心の中に鬼が現れて、たちまち胸をかき乱す。「この子を見て、あの異常な過ちを非難しない人なんていないわ。些細なことでも粗探しをする世の中なのだから、どんな悪女と呼ばれるようになるのかしら」などと悶絶すれば、ひとりぼっちで絶望するしかないのだった。

 ゲンジの君は、王命婦とわずかに面会し、言葉の限りに手助けを求めるが、打つ手はなかった。若宮に会いたいと、執拗に迫ると、

 「どうしてそんなに聞き分けのないことを言うのですか。そのうちお会いになる日がございます」

と王命婦は突っぱねたのだが、心で泣いた。あたりの目が気になるので、ゲンジの君も無茶はできずに、

 「いつの世になったら伝言ではなく、あの人と会えるのだろうか」

泣き出すので、王命婦は見ていられない。そしてゲンジの君は、

 「どうやって前世で交わした約束か この世にできた溝の深さよ

 こんなはずではなかったのに」

と一首詠むのだった。王命婦も悲しみに暮れる藤壺宮の姿を思い出して、冷酷に徹するわけにもいかない。

 「見て悩む見ずに嘆くみどり児を思う親には心に闇を

 悲しいほどに痛々しいお二人です」

と小さく答えるのだった。

 かくて、ゲンジの君が取りつく島もなく帰って行くのだが、藤壺宮は世間の目が恐ろしく「滅茶苦茶だわ」と迷惑に思った。王命婦をも、昔のように信用していない。王命婦は、人目に付かないように細心の注意を払っているのだが、それでも藤壺宮お気に召さないようなので、胸が痛く不本意に思うのだった。

 四月になると、若宮は後宮へ上がった。わりあい発育がよいようで、もう寝返りなどしている。呆れるほどにゲンジの君の生き写しなのだが、ミカドは何も知らないので「絶世の美男子というのは、似たような顔をしているのだろう」と取り違えているのだった。若宮を溺愛し、大切にした。

 ミカドは、ゲンジの君をこれ以上ないほどに慈しんでいたが、世間が許さないだろうと、皇太子にはしなかった。普通の役人にしておくにはもったいない、その気品が備わっていく容姿を見るたびに、可哀想に思っていたのだった。藤壺宮を母として、同じように光り輝く男の子が生まれてきたのを、非の打ち所がないものとして、愛情を注いだ。そのたびに藤壺宮は、身を切られる思で不安に襲われるのだった。

 通例の演奏会などでゲンジの君は、藤壺の間に呼び出される。ミカドが若宮を抱いて出てくると、

 「私の子供は大勢いるが、この子と同じぐらいの年齢から四六時中近くに置いたのは、お前だけだ。だから勘違いしてしまうのだろうが、本当によく似ている。子供というのは、皆こういうものなのだろうか」

と言って、息子の可愛さに顔がほころんでいる。ゲンジの君は顔面蒼白になって、恐ろしくも、かたじけなくも、嬉しくも、感無量にも、複雑な思いで泣きそうになるのだった。若宮は、声を発して笑っている。不気味なほど美しい顔をしているので、ゲンジの君は我ながら「自分がこの子に似ているとは、何とも畏れ多い」と思っているのだから、いい気なものだ。藤壺宮は、その場にいるのも耐え難く、恥ずかしさに冷や汗を流している。ゲンジの君は、ますます取り乱し、理性を失いそうになったので、後宮から出たのだった。

 ゲンジの君は二条院に戻って「動悸息切れが治まってから左大臣の屋敷へ行こう」と思った。目の前の植え込みが、何やら青くなっている中に、撫子の花がきらめくように咲いている。手折って、王命婦に手紙を書いたことは言うまでもないのだった。

 「子を想い見つめる花の撫子は袖を濡らして我を鎮めず

 花が咲くのを待っていましたが、叶わぬ想いでした」

と書いてある。誰もいない時だったのだろうか、王命婦は、藤壺宮に見せて、

 「塵ほどで構いませんから、どうかこの花びらに返事を」

と言うと、藤壺宮も悲しみに暮れていた頃なので、

 この花が涙を誘う形見でも根には持てない大和撫子

とだけ、微かな筆跡で付け足したような返事を王命婦が嬉々として届けたのだった。返事がないのは毎度のことで、ゲンジの君が臥したまま思い悩んでいた折である。ゲンジの君は、胸がときめき、嬉しさに涙が出るのだった。

 湿っぽくいじけながら寝転んでいても、何も解決しないような気がしたので、ゲンジの君は、いつものように西の対に気晴らしに行くことにした。髪をボサボサにしたまま、上着を着流して、後を追いたくなるような笛の音を出しながら、ゲンジの君は、部屋を覗く。若紫は、あの植え込みの撫子が露に濡れたような姿で、壁に凭れているのが美しく、可愛らしい。この可憐な少女は、ゲンジの君が帰宅してから、すぐに顔を出してくれなかったので、拗ねているようだ。背中を向けたまま部屋の隅に座っている。ゲンジの君が「こっちへおいで」と言っても知らん顔なのだった。「海に沈んだ若布だから、会えないの」と歌いながら口を袖で隠すと、若紫は、美しくうるおった。

 「生意気だね。どこでそんな歌を覚えたのかい。見過ぎて飽きるは、もっと良くない」

とゲンジの君は冗談を言ってから、琴を持ってこさせて若紫に弾かせようとするのだった。

 「十三弦の琴は中央の細い弦が切れやすいから注意しないといけません」

とゲンジの君が調律する。簡単な曲を弾いて調律してから、箏の琴を若紫に差し出すので、もう拗ねてなどいられなくなって、元気よく弾き始める。小さな身体をいっぱいにして弦を押さえる左手が綺麗なので、ゲンジの君は見惚れながらも笛を吹き合わせて教えるのだった。若紫は飲み込みが良くて、難しい拍子も一度で覚えた。何をやらせても才能が煌めく少女なので、ゲンジの君は、「やっぱり思ったとおりの人だった」と実感するのだった。ホソグロセリというおかしな名前の曲を、ゲンジの君が節回し面白く笛で吹くと合奏が始まる。若紫は、未熟ながらも拍子を間違えることなく、筋がよいのだった。

 灯りをともして二人で絵を見ていると、出かける時間になったので、家来たちが咳払いをして「雨が降りそうです」と言う。若紫は、いつものように寂しくなってしょんぼりするのだった。絵を見る気になれないように、うつ伏せているので、ゲンジの君は可愛くて仕方ない。ふさふさとこぼれる髪の毛を撫で上げながら、

 「私がいない時は寂しいのかな」

とゲンジの君が聞くと、若紫は頷いた。

 「私だって一日でも会わないと苦しいんだよ。だけどあなたはまだ小さいから心配していない。まずは、私が行かないと意地悪な恨み言を言う人が怒り出したら大変だから、しばらくはご機嫌伺いしているんだ。あなたが大人になったら、どこへも行かない。人から恨まれないようにするのは、長生きして、あなたといつまでも幸せに暮らしたいからなのですよ」

などとゲンジの君は必死に説得する。さすがに若紫も恥ずかしくなって何も答えられないのだった。そのままゲンジの君の膝に寄り添って不貞寝をしてしまう。ゲンジの君は、いじらしくてたまらなく、

 「今夜の外出はやめた」

と家来たちに言う。皆、立ち上がって食事を西の対に運んでくる。ゲンジの君が、若紫を起こしながら、

 「出かけないことにしたよ」

と言うと、嬉しくて目を覚ますのだった。二人は一緒に食事をするのだが、若紫は少しだけしか食べられず、

 「おやすみなさい」

と心配そうにしているので、ゲンジの君は「こんなに可愛らしい人を見捨てては、あの世への旅でさえ行くのがつらいだろう」と思うのだった。

 こうやって引き止められることが多かったので、自然と噂になって左大臣家に密告する者も現れた。

 「いったい何者かしら。本当に失礼な人よね。ゲンジの君の縁談なんて聞いたことがないけど、そうやってまとわりついて甘ったれている女なんて、たかが知れているわ。どうせ後宮でつまみ食いした女を溺愛して、目立たないように囲っているのでしょう。ひどく子供っぽい女だって言うじゃないですか」

などと、アオイ付きの女官たちにも、もっぱらの噂だった。後宮でもミカドに「そういう人がいるそうです」と告げ口があった。

 「忍びない。左大臣が心配しているぞ。まだ小さいお前の後見人になってくれて、今まで受けた世話を忘れたのか。そんなこともわからない年齢じゃないだろう。どうして非道いことをするのだ」

とミカドはゲンジの君に説教する。ゲンジの君は、ただ恐縮するばかりで、何も答えられないのだった。ミカドは「夫婦仲がうまくいっていないらしいな」と可哀想になった。

 「けれどもお前には浮ついた話もないではないか。後宮にいる女官たちや、その辺の女たちと泥沼になったように見えないし、噂も聞かない。それなのに、どうして隠し事までして人に恨まれるようなことをするのだ」

とミカドは心配するのだった。


(原文)
 参座しにとても、あまた所も歩きたまはず。内裏、春宮、一院ばかり、さては藤壼の三条宮にぞ参りたまへる。

 「今日はまたことにも見えたまふかな。ねびたまふままに、ゆゆしきまでなりまさりたまふ御ありさまかな」

と、人々めできこゆるを、宮、几帳の隙より、ほの見たまふにつけても、思ほすことしげかりけり。

 この御事の、十二月も過ぎにしが心もとなきに、この月はさりとも、と宮人も待ちきこえ、内裏にもさる御心まうけどもあり。つれなくてたちぬ。御物の怪にや、と世人も聞こえ騒ぐを、宮いとわびしう、このことにより、身のいたづらになりぬべきこと、と思し嘆くに、御心地もいと苦しくてなやみたまふ。

 中将の君は、いとど思ひあはせて、御修法など、さとはなくて所どころにせさせたまふ。世の中の定めなきにつけても、かくはかなくてややみなむと、取り集めて嘆きたまふに、二月十余日のほどに、男皇子生まれたまひぬれば、なごりなく、内裏にも宮人もよろこびきこえたまふ。命長くも、と思ほすは心うけれど、弘徽殿などの、うけはしげにのたまふと聞きしを、空しく聞きなしたまはましかば人笑はれにや、と思しつよりてなむ、やうやうすこしづつさはやいたまひける。

 上の、いつしかとゆかしげに思しめしたること限りなし。かの人知れぬ御心にも、いみじう心もとなくて、人まに参りたまひて、

 「上のおぼつかながりきこえさせたまふを、まづ見たてまつりて奏しはべらむ」

と聞こえたまへど、

 「むつかしげなるほどなれば」

とて、見せたてまつりたまはぬも、ことわりなり。さるは、いとあさましう、めづらかなるまで写し取りたまへるさま、違ふべくもあらず。宮の、御心の鬼にいと苦しく、人の見たてまつるも、あやしかりつるほどのあやまりを、まさに人の思ひ咎めじや、さらぬはかなきことをだに、疵を求むる世に、いかなる名のつひに漏り出づべきにか、と思しつづくるに、身のみぞいと心うき。

 命婦の君に、たまさかに逢ひたまひて、いみじき言どもを尽くしたまへど、何のかひあるべきにもあらず。若宮の御事を、わりなくおぼつかながりきこえたまへば、

 「など、かうしもあながちにのたまはすらむ。いま、おのづから見たてまつらせたまひてむ」

と聞こえながら、思へる気色かたみにただならず。かたはらいたきことなれば、まほにもえのたまはで、

 「いかならむ世に、人づてならで聞こえさせむ」

とて、泣いたまふさまぞ心苦しき。

 「いかさまに昔むすべる契りにてこの世にかかる中のへだてぞ

 かかることこそ心得がたけれ」

とのたまふ。命婦も、宮の思ほしたるさまなどを見たてまつるに、えはしたなうもさし放ちきこえず。

 「見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむこや世の人のまどふてふ闇

 あはれに心ゆるびなき御事どもかな」

と、忍びて聞こえけり。

 かくのみ言ひやる方なくて帰りたまふものから、人のもの言ひもわづらはしきを、わりなきことにのたまはせ思して、命婦をも、昔思いたりしやうにも、うちとけ睦びたまはず。人目立つまじく、なだらかにもてなしたまふものから、心づきなしと思す時もあるべきを、いとわびしく思ひの外になる心地すべし。

 四月に内裏へ参りたまふ。ほどよりは大きにおよすけたまひて、やうやう起きかへりなどしたまふ。あさましきまで、紛れどころなき御顔つきを、思しよらぬことにしあれば、また並びなきどちは、げに通ひたまへるにこそは、と思ほしけり。いみじう思ほしかしづくこと限りなし。源氏の君を限りなきものに思しめしながら、世の人のゆるしきこゆまじかりしによりて、坊にも据ゑたてまつらずなりにしを、あかず口惜しう、ただ人にてかたじけなき御ありさま容貌にねびもておはするを御覧ずるままに、心苦しく思しめすを、かうやむごとなき御腹に、同じ光にてさし出でたまへれば、瑕なき玉と思しかしづくに、宮はいかなるにつけても、胸の隙なく、やすからずものを思ほす。

 例の、中将の君、こなたにて御遊びなどしたまふに、抱き出でたてまつらせたまひて、

 「皇子たちあまたあれど、そこをのみなむ、かかるほどより明け暮れ見し。されば思ひわたさるるにやあらむ、いとよくこそおぼえたれ。いと小さきほどは、みなかくのみあるわざにやあらむ」

とて、いみじくうつくしと思ひきこえさせたまへり。中将の君、面の色かはる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがたうつろふ心地して、涙落ちぬべし。物語などして、うち笑みたまへるが、いとゆゆしううつくしきに、わが身ながらこれに似たらむは、いみじういたはしうおぼえたまふぞあながちなるや。宮は、わりなくかたはらいたきに、汗も流れてぞおはしける。中将は、なかなかなる心地の乱るやうなれば、まかでたまひぬ。

 わが御方に臥したまひて、胸のやる方なきほど過ぐして、大殿へと思す。御前の前栽の、何となく青みわたれる中に、常夏のはなやかに咲き出でたるを、折らせたまひて、命婦の君のもとに、書きたまふこと多かるべし。

 「よそへつつ見るに心は慰まで露けさまさるなでしこの花

 花に咲かなんと思ひたまへしも、かひなき世にはべりければ」

とあり。さりぬべき隙にやありけむ、御覧ぜさせて、

 「ただ塵ばかり、この花びらに」

と聞こゆるを、わが御心にも、ものいとあはれに思し知らるるほどにて、

 袖ぬるる露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬやまとなでしこ

とばかり、ほのかに書きさしたるやうなるを、喜びながら奉れる、例のことなれば、しるしあらじかし、とくづほれてながめ臥したまへるに、胸うちさわぎて、いみじくうれしきにも涙落ちぬ。

 つくづくと臥したるにも、やる方なき心地すれば、例の、慰めには、西の対にぞ渡りたまふ。しどけなくうちふくだみたまへる鬢ぐき、あざれたる袿姿にて、笛をなつかしう吹きすさびつつ、のぞきたまへれば、女君、ありつる花の露にぬれたる心地して、添ひ臥したまへるさま、うつくしうらうたげなり。愛敬こぼるるやうにて、おはしながらとくも渡りたまはぬ、なまうらめしかりければ、例ならず背きたまへるなるべし、端の方についゐて、「こちや」とのたまへどおどろかず、「入りぬる磯の」と口ずさみて、口おほひしたまへるさま、いみじうざれてうつくし。

 「あなにく。かかること口馴れたまひにけりな。みるめにあくは正なきことぞよ」

とて、人召して、御琴取り寄せて弾かせたてまつりたまふ。

 「箏の琴は、中の細緒のたへがたきこそところせけれ」

とて、平調におしくだして調べたまふ。掻き合はせばかり弾きて、さしやりたまへれば、え怨じはてず、いとうつくしう弾きたまふ。ちひさき御ほどに、さしやりてゆしたまふ御手つき、いとうつくしければ、らうたしと思して、笛吹き鳴らしつつ教へたまふ。いとさとくて、かたき調子どもを、ただ一わたりに習ひとりたまふ。おほかた、らうらうしうをかしき御心ばへを、思ひしことかなふ、と思す。保曾呂倶世利といふものは、名は憎けれど、おもしろう吹きすさびたまへるに、掻き合はせまだ若けれど、拍子違はず上手めきたり。

 大殿油まゐりて、絵どもなど御覧ずるに、出でたまふべし、とありつれば、人々声づくりきこえて、「雨降りはべりぬべし」など言ふに、姫君、例の、心細くて屈したまへり。絵も見さして、うつぶしておはすれば、いとらうたくて、御髪のいとめでたくこぼれかかりたるを、かき撫でて、

 「ほかなるほどは恋しくやある」

とのたまへば、うなづきたまふ。

 「我も、一日も見たてまつらぬはいと苦しうこそあれど、幼くおはするほどは、心やすく思ひきこえて、まづくねくねしく怨むる人の心破らじと思ひて、むつかしければ、しばしかくもありくぞ。大人しく見なしてば、ほかへもさらに行くまじ。人の恨み負はじなど思ふも、世に長うありて、思ふさまに見えたてまつらんと思ふぞ」

など、こまごまと語らひきこえたまへば、さすがに恥づかしうて、ともかくも答へきこえたまはず。やがて御膝によりかかりて、寝入りたまひぬれば、いと心苦しうて、

 「今宵は出でずなりぬ」

とのたまへば、みな立ちて、御膳などこなたにまゐらせたり。姫君起こしたてまつりたまひて、

 「出でずなりぬ」

と聞こえたまへば、慰みて起きたまへり。もろともに物などまゐる。いとはかなげにすさびて、

 「さらば寝たまひねかし」

と、あやふげに思ひたまひつれば、かかるを見棄てては、いみじき道なりとも、おもむきがたくおぼえたまふ。

 かやうに、とどめられたまふをりをりなども多かるを、おのづから漏り聞く人、大殿に聞こえければ、

 「誰ならむ。いとめざましきことにもあるかな。今までその人とも聞こえず、さやうにまつはし、戯れなどすらんは、あてやかに心にくき人にはあらじ。内裏わたりなどにて、はかなく見たまひけむ人を、ものめかしたまひて、人や咎めむと隠したまふななり。心なげにいはけて聞こゆるは」

など、さぶらふ人々も聞こえあへり。内裏にも、かかる人あり、と聞こしめして、

 「いとほしく大臣の思ひ嘆かるなることも、げに。ものげなかりしほどを、おほなおほなかくものしたる心を、さばかりのことたどらぬほどにはあらじを、などかなさけなくはもてなすなるらむ」

とのたまはすれど、かしこまりたるさまにて、御答へも聞こえたまはねば、心ゆかぬなめり、といとほしく思しめす。

 「さるは、すきずきしううち乱れて、この見ゆる女房にまれ、またこなたかなたの人々など、なべてならず、なども見え聞こえざめるを、いかなるものの隈に隠れ歩きて、かく人にも恨みらるらむ」

とのたまはす。


(註釈)

1 参座
 ・年頭の参賀

2 世の人のまどふ
 ・(後撰、雑一、藤原兼輔) 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな

3 花に咲かなん
 ・(後撰、夏、読み人知らず) わが宿の垣根に植ゑし撫子は花に咲かなんよそへつつ見む

4 入りぬる磯の
 ・(拾遺、恋五、坂上郎女) 潮満てばいりぬる磯の草なれや見らく少く恋ふらくの多き (万葉集にも読み人知らずとしてある)

5 みるめにあくは正なきこと
 ・(古今、恋四、読み人知らず) 伊勢の海士の朝な夕なにかづくてふみるめに人を飽く由もがな

6 平調
 ・現代のホ調。盤渉調(ロ調)や壱越調(ニ調)では高すぎるために、調律をした。

7 掻き合はせ
 ・琴や琵琶の弦をかき鳴らして調子を合わせること。

8 保曾呂倶世利
 ・曲名。現代では長保楽の破として伝わっている。

紅葉賀の帖 二 ゲンジの君、里に下がった藤壺を訪ねる。その後の若紫

(現代語訳)
 そんな折、藤壺宮は里に下がった。当然ながら、ゲンジの君は、何とかして逢えないものかと、機会を探して徘徊していたので、左大臣家では騒乱が発生していた。おまけに、あの若紫を引き取ってから、誰かが「二条院では、女を囲っているようです」と余計なことを告げ口するので、アオイは、ますますご立腹なのだった。

 ゲンジの君は「詳しいことを知らないのだから、怒り出すのも仕方ない。もっと素直になって、まっとうな女のように愚痴でも言ってくれたら、私も隠し事をせず、言い訳をして怒りを鎮められるのだけど。一人で勝手に深読みをして、私を色魔あつかいするのだから、たまったものじゃない。それが私の原因なのだ。アオイには何の不満もないし、欠陥もない。はじめて結ばれた夫婦なのだから、私が、どれだけ大切に思っているのか、どうやら、その気持ちに気がついてくれていないみたいだ。いつかは、必ずわかってくれて、アオイも思い直すだろう」と勝手なことを考えているのだが、アオイの潔癖な性格を知っていたので安心していたのだ。やはり、アオイは特別な女なのだった。

 若紫は二条院の生活に慣れるにしたがって、輪をかけて性格や見た目が良くなった。何も疑わず、ゲンジの君にじゃれついているのだった。ゲンジの君は「しばらくは二条院の者にも、正体を明かすのはやめておこう」と、まだ離れの建物に部屋を用意した。そこを綺麗に整えて、自分も絶えず出入りして、若紫の教育に余念がない。手本を書いて習字をさせたり、まるで別居していた娘を引き取った父親の気分なのだった。執事や雑夫など、しかるべき世話人がいて、生活に不便もない。コレミツ以外の男たちは「いったい誰がいるのだろうか」と首をひねっている。若紫の父親の兵部卿宮でさえ知らないのだ。

 若紫は、まだ昔を思い出すことがよくあり、尼君恋しさに泣いた。ゲンジの君がいれば、忘れているのだが、彼が二条院に泊まることは希だった。ゲンジの君は、あまりにも夜這う場所が多かったので、日暮れには出撃しなければならない。若紫が寂しがるときがあるので、ゲンジの君は可愛そうで仕方ないのだった。ゲンジの君が、二三日の後宮での勤めのあと、そのまま左大臣家に行ってしまった時などは、若紫は、虚脱状態になる。ゲンジの君は、父子家庭を持ったような心地に胸が痛んで、夜這いにも気合いが入らなかった。北山の僧都は、そんな話を聞いて、胡散臭く思いながらも嬉しくなるのだった。ゲンジの君は、あの尼君の法事の際にも、僧都には充分すぎるお布施を届けた。

 ゲンジの君は、藤壺が下がった三条宮殿に、様子を探りに行った。王命婦中納言の君、中務といった、藤壺付きの女官が取り次ぐ。「ずいぶんとよそよそしいな」と、ゲンジの君は不機嫌なのだが、自制しながら無意味なおしゃべりをしていた。そこへ兵部卿宮がやってくる。ゲンジの君が来ていると聞いて、二人は対面するのだった。

 兵部卿宮は清楚な姿をして、色っぽくしなやかな男なので、ゲンジの君は「この麗人が女だったらよかったのに」と、密かに思った。藤壺宮の兄であり、若紫の父である兵部卿宮に親しみを感じて、ゲンジの君は真摯な気持ちで語らうのだった。兵部卿宮も、今夜のゲンジの君が、いつにも増して心を開いているので「見事な男だ」と見つめながら、まさか娘の婿だとは思うはずもなく「この君を女として見てみたい」と変態めくのだった。

 日が暮れて、兵部卿宮が御簾の向こうへ入っていくのが、ゲンジの君には羨ましくてならなかった。子供の頃は、ミカドが連れて歩くから、藤壺宮の隣で、人づてでなくても話ができたのに、今となっては、この仕打ちである。やる瀬なくても、どうにもならないのだった。

 「足繁く伺うつもりなのですが、何も用事がないと、自然と足が遠のいてしまいます。何かありましたら御用を言いつけていただければ、私も浮かばれます」

などと、ゲンジの君は畏まって帰るのだった。王命婦も、密会させる手段がなかった。藤壺宮に至っては、日に日に後悔が深まって苦しく、ゲンジの君とは関わりたくないようだ。王命婦は、口にするのも恥ずかしく、痛々しくも思ったので、どうすることもできないままだった。ただ、お互いに「悲しい契りだった」と思い悩むだけなのである。

 若紫の乳母の少納言は「図らずも面白いことになったわ。これも亡くなった尼君が姫様を心配して仏様に念じてくれたから、御利益もあったのね」と思うのだが「左大臣家には本妻がいて、あたり構わず女を囲っているのだから、姫様が大人になったら刃物沙汰になるのではないかしら」と心配もするのだった。それでも、この尋常でないゲンジの君の寵愛っぷりを思えば心配さえも吹き飛ぶのだった。

 母方の服喪は三ヶ月である。十二月の終わりには、喪服もおしまいだ。けれども母親がなく、祖母の手で育てられたので、まばゆい色の着物はやめて、紅、紫、山吹色だけで織られた無地の平服を着ているのが、垢抜けていて趣味も良い。ゲンジの君は、後宮での拝賀に行くので、若紫の部屋を覗いてみた。

 「今日から年も改まって、大人になりましたか」

とゲンジの君が満面の笑みを浮かべて輝いている。若紫は、すでに人形を並べて遊ぶのに夢中なのだった。三尺の棚に、道具をたくさん飾って、他にも小さな家をゲンジの君が作って与えたのを、部屋いっぱいに並べて遊んでいる。

 「鬼やらいをするって、イヌキがお家を壊しちゃったから、やり直しているの」

と若紫は一大事のようだ。

 「それは乱暴者の仕業だね。すぐに改築してあげますよ。今日の涙は禁止です」

とゲンジの君は出かけるのだった。はち切れんばかりの美貌のこの男を、女官たちは廊下近くに出て見送る。若紫も立ち上がって見送ってから、ゲンジの君と名づけた人形を綺麗に着せ替えて、後宮に参内させる遊びに興じていた。

 「今年からはもう少し大人になって下さいね。十歳を過ぎたら人形遊びをしてはいけないのですよ。もう男の人を持っているお姫様なのだから、大人の女らしくしてください。髪の毛を梳かすのでさえ嫌がるのですから」

なとど少納言は溜息をつく。人形遊びに夢中になっているのを反省させるために言ったのだが、若紫は知ったことではない。「わたしには夫がいるんだ。少納言たちの夫は、みんな変な顔の人ばかり。わたしは若くて美しいゲンジの君が夫なんだ」と、若紫にもようやく事情が飲み込めてきたようなのだった。きっと、一つ歳をとって大人にでもなったのだろう。この御殿に仕える人々は、こんな幼い若紫の気配を、不審に思っていたが、まさか添い寝相手には相応しくない少女が匿われているなど、夢にも思わなかった。

 ゲンジの君は後宮を後にして、左大臣家に向かった。もちろんアオイはいつものように高慢な態度で冷ややかに見下すだけなので、ゲンジの君は萎縮しつつも、

 「今年からでも遅くありません。あなたが思い直して、優しくしてくれたら、どれだけ嬉しいでしょうか」

などと言うのだが、アオイは聞く耳を持たない。得体の知れない女を二条院に囲っていると聞いてからは、その女が本妻になるのだろうと、それが癪に障って、馬鹿にされたようで、話をするのも嫌なのだった。それでも、アオイの自尊心が許さないので、知らないふりをしている。ゲンジの君がおどけてみせると、意地を張り通せずに返事をするアオイは、特別な女の雰囲気があった。

 ゲンジの君より四歳年上のアオイは引け目を感じていたが、大人の女の魅力があった。「この人は、非の打ち所のない女だ。私が女にだらしがないから、こうやって怒っているのだ」とゲンジの君も反省せざるを得ない。同じ大臣と言っても、今をときめく左大臣と、宮家の母を持ち、アオイは一人娘として純粋培養されたのだった。誰よりも思い上がりが強く、少しの無礼も許さないのだった。ゲンジの君は、「そこまで偉そうにしなくても」となだめるので、二人の溝は深まるばかりなのだった。左大臣も、ゲンジの君の曖昧な態度を心ないと思っているのだが、目の前にいれば、憎しみも忘れて、あれこれと面倒をみてしまう。

 翌朝の早くにゲンジの君が出かけるというので、左大臣は顔を出して、宝石の帯を手ずから差し出すのだった。着物の後ろを整えたり、靴を取って渡しかねない可愛がりぶりなのだから、何という愛情なのだろう。

 「こんな素晴らしい帯は、詩の節会のときにでも使いましょう」

とゲンジの君は言うのだが、

 「そのときにはもっと良い品を。これはただ珍しいだけの物ですから」

左大臣は強引に帯を締める。ゲンジの君を婿として、様々な面倒をみるのが、左大臣の生きがいなのだった。「滅多にない気まぐれな訪問でも、このような美男子を婿として家に向かい入れ、送り出せるのだから、これ以上嬉しいことはない」と思っているようだった。


(原文)
 宮は、そのころまかでたまひぬれば、例の、隙もやとうかがひ歩きたまふを事にて、大殿には騒がれたまふ。いとど、かの若草尋ね取りたまひてしを、「二条院には人迎へたまふなり」と人の聞こえければ、いと心づきなしと思いたり。

 うちうちのありさまは知りたまはず、さも思さむはことわりなれど、心うつくしく、例の人のやうに恨みのたまはば、我もうらなくうち語りて慰めきこえてんものを、思はずにのみとりないたまふ心づきなさに、さもあるまじきすさびごとも出で来るぞかし。人の御ありさまの、かたほに、そのことのあかぬとおぼゆる疵もなし。人よりさきに見たてまつりそめてしかば、あはれにやむごとなく思ひきこゆる心をも知りたまはぬほどこそあらめ、つひには思しなほされなむと、おだしくかるがるしからぬ御心のほども、おのづからと頼まるる方は、ことなりけり。

 幼き人は、見ついたまふままに、いとよき心ざま容貌にて、何心もなく睦れまとはしきこえたまふ。しばし殿の内の人にも誰と知らせじ、と思して、なほ離れたる対に、御しつらひ二なくして、我も明け暮れ入りおはして、よろづの御事どもを教へきこえたまひ、手本書きて習はせなどしつつ、ただほかなりける御むすめを迎へたまへらむやうにぞ思したる。政所家司などをはじめ、ことにわかちて、心もとなからず仕うまつらせたまふ。惟光よりほかの人は、おぼつかなくのみ思ひきこえたり。かの父宮も、え知りきこえたまはざりけり。

 姫君は、なほ時々思ひ出できこえたまふ時、尼君を恋ひきこえたまふをり多かり。君のおはするほどは紛らはしたまふを、夜などは、時々こそとまりたまへ、ここかしこの御いとまなくて、暮るれば出でたまふを、慕ひきこえたまふをりなどあるを、いとらうたく思ひきこえたまへり。二三日内裏にさぶらひ、大殿にもおはするをりは、いといたく屈しなどしたまへば、心苦しうて、母なき子持たらむ心地して、歩きも静心なくおぼえたまふ。僧都は、かくなむと聞きたまひて、あやしきものから、うれしとなむ思ほしける。かの御法事などしたまふにも、いかめしうとぶらひきこえたまへり。

 藤壼のまかでたまへる三条宮に、御ありさまもゆかしうて、参りたまへれば、命婦中納言の君、中務などやうの人々対面したり。けざやかにももてなしたまふかなと、やすからず思へど、しづめて、おほかたの御物語聞こえたまふほどに、りたまへり。この君おはすと聞きたまひて、対面したまへり。

 いとよしあるさまして、色めかしうなよびたまへるを、女にて見むはをかしかりぬべく、人知れず見たてまつりたまふにも、かたがた睦ましくおぼえたまひて、こまやかに御物語など聞こえたまふ。宮も、この御さまの常よりもことになつかしううちとけたまへるを、いとめでたし、と見たてまつりたまひて、婿になどは思しよらで、女にて見ばや、と色めきたる御心には思ほす。

 暮れぬれば御簾の内に入りたまふを、うらやましく、昔は上の御もてなしに、いとけ近く、人づてならでものをも聞こえたまひしを、こよなう疎みたまへるも、つらうおぼゆるぞわりなきや。

 「しばしばもさぶらふべけれど、事ぞとはべらぬほどは、おのづから怠りはべるを、さるべきことなどは、仰せ言もはべらむこそうれしく」

など、すくすくしうて出でたまひぬ。命婦もたばかりきこえむ方なく、宮の御気色も、ありしよりは、いとどうきふしに思しおきて、心とけぬ御気色も、恥づかしくいとほしければ、何のしるしもなくて過ぎゆく。はかなの契りや、と思し乱るること、かたみに尽きせず。

 少納言は、おぼえずをかしき世を見るかな、これも故尼上の、この御ことを思して、御行ひにも祈りきこえたまひし、仏の御しるしにや、とおぼゆ。大殿、いとやむごとなくておはします、ここかしこあまたかかづらひたまふをぞ、まことに、大人びたまはむほどは、むつかしきこともや、とおぼえける。されど、かくとりわきたまへる御おぼえのほどは、いと頼もしげなりかし。

 御服、母方は三月こそはとて、晦日には脱がせたてまつりたまふを、また、親もなくて生ひ出でたまひしかば、まばゆき色にはあらで、紅、紫、山吹の、地のかぎり織れる御小袿などを着たまへるさま、いみじう今めかしく、をかしげなり。男君は、朝拝に参りたまふとて、さしのぞきたまへり。

 「今日よりは、おとなしくなりたまへりや」

とて、うち笑みたまへる、いとめでたう愛敬づきたまへり。いつしか、雛をしすゑて、そそきゐたまへる、三尺の御厨子一よろひに、品々しつらひすゑて、また小さき屋ども作り集めて奉りたまへるを、ところせきまで遊びひろげたまへり。

 「儺やらふとて、犬君がこれをこぼちはべりにければ、つくろひはべるぞ」

とて、いと大事と思いたり。

 「げにいと心なき人のしわざにもはべるなるかな。いまつくろはせはべらむ。今日は言忌して、な泣いたまひそ」

とて、出でたまふ気色ところせきを、人々端に出でて見たてまつれば、姫君も立ち出でて見たてまつりたまひて、雛の中の源氏の君つくろひ立てて、内裏に参らせなどしたまふ。

 「今年だにすこし大人びさせたまへ。十にあまりぬる人は、雛遊びは忌みはべるものを、かく御男などまうけたてまつりたまひては、あるべかしうしめやかにてこそ、見えたてまつらせたまはめ。御髪まゐるほどをだに、ものうくせさせたまふ」

など、少納言聞こゆ。御遊びにのみ心入れたまへれば、恥づかしと思はせたてまつらむ、とて言へば、心の中に、我はさは男まうけてけり、この人々の男とてあるは、みにくくこそあれ、我はかくをかしげに若き人をも持たりけるかな、と、今ぞ思ほし知りける。さはいへど、御年の数添ふしるしなめりかし。かく幼き御けはひの、事にふれてしるければ、殿の内の人々も、あやしと思ひけれど、いとかう世づかぬ御添臥ならむとは思はざりけり。

 内裏より、大殿にまかでたまへれば、例のうるはしうよそほしき御さまにて、心うつくしき御気色もなく、苦しければ、

 「今年よりだに、すこし世づきてあらためたまふ御心見えば、いかにうれしからむ」

など聞こえたまへど、わざと人すゑてかしづきたまふ、と聞きたまひしよりは、やむごとなく思し定めたることにこそはと、心のみおかれて、いとどうとく恥づかしく思さるべし。しひて見知らぬやうにもてなして、乱れたる御けはひには、えしも心強からず、御答へなどうち聞こえたまへるは、なほ人よりはいとことなり。

 四年ばかりがこのかみにおはすれば、うちすぐし、恥づかしげに、さかりにととのほりて見えたまふ。何ごとかはこの人のあかぬところはものしたまふ、わが心のあまりけしからぬすさびに、かく恨みられたてまつるぞかし、と思し知らる。同じ大臣と聞こゆる中にも、おぼえやむごとなくおはするが、宮腹にひとりいつきかしづきたまふ御心おごり、いとこよなくて、すこしもおろかなるをば、めざましと思ひきこえたまへるを、男君は、などかいとさしも、と馴らはいたまふ、御心の隔てともなるべし。大臣も、かく頼もしげなき御心を、つらしと思ひきこえたまひながら、見たてまつりたまふ時は、恨みも忘れて、かしづきいとなみきこえたまふ。

 つとめて、出でたまふところに、さしのぞきたまひて、御装束したまふに、名高き玉帯、御手づから持たせて、渡りたまひて、御衣の後ひきつくろひなど、御沓を取らぬばかりにしたまふ、いとあはれなり。

 「これは、内宴などいふこともはべるなるを、さやうのをりにこそ」

など聞こえたまへど、

 「それはまされるもはべり。これはただ目馴れぬさまなればなむ」

とて、しひてささせたてまつりたまふ。げによろづにかしづき立てて見たてまつりたまふに、生けるかひあり、たまさかにても、かからん人を出だし入れて見んにますことあらじ、と見えたまふ。


(註釈)
1 政所
 ・摂政、大臣家でその領地の事務や家事を行う場所。また、その職にある人。

2 家司
 ・親王・摂政、関白以下の三位の家の家事を行う人。

3 服
 ・若紫の喪服着用は、母方の祖母のため三ヶ月の定めである。尼君が九月二十日頃に他界しているため、除服は、十二月二十日頃になる。

4 朝拝
 ・正月元日の辰の刻(午前十時頃)に、天皇大極殿にやって来て、百官が賀辞を奏する。その後、簡略化され、親王以下、六位以上の者が、束帯で清涼殿の東庭に並び、拝賀する、小朝拝になった。ここでは、小朝拝のこと。

5 儺
 ・追儺(鬼やらい)の時の鬼。イヌキは北山で雀を逃がした童女。『若紫』参照。http://genji-m.com/?p=1485

6 内宴
 ・内々の宴会。正月二十一、二、三日のうちの子の日に仁寿殿で行われた。祝酒一、二献に、若菜の羮を食べる。